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初めてのマニラをスイスイ歩く(3)フィリピ―ノに間違えられ

18年の時を隔てて

夜は国際機関にお勤めのFさんと再会。実は今回のマニラ訪問は直接的には昨年彼女とバンコックで劇的に再会したのがきっかけだったとも言える。バンコックでお知り合いのA師主催のヨーガ合宿に参加した際、マニラから参加の日本人女性が目を惹いた。彼女の名前に何となく見覚えがあった。実際会って元同業者であることを確認すると同時に「Fさん、18年前にこんな取引しましたね」と口をついて出てきた。そう、18年前同じ取引を一緒にした人だったのだ。その後彼女は海外の大学院にも行き、転職もして、今では国際機関で高い地位に着いている。その激務を癒すために、ヨーガをやっているという。国内にいるより余程条件の良い職場のようだ。   

だが彼女の口から出てくるのは、マニラやフィリピンの悪口が多い。昔の私も中国の悪口ばかり言っていたのを思い出す。現地で当事者になれば目の前の事態に対処せざるを得ず、ついついいい話にはならないもの。マニラには楽しみが無い、文化が無いという言葉が象徴的だった。それでも定年までマニラで働くと言っていたから、口で言うほど嫌いではないのかもしれない。

彼女が予約してくれた店はマカティで有名なフィリピン料理屋、ミルキウエー(http://cafe.milkywayrestaurant.com/)。カジュアルなカフェのように見えたのだが、それなりの料金を取る立派なお店でちょっと窮屈。マネージャーの女性がテキパキと我々の要望により、メニューを決めていく。

店は満員で、ここでもマニラの消費の高さを実感する。このビルの下には同じグループの経営による日本料理屋もあった。リトル東京とは違い、フィリピン人の富裕層がやって来るのかもしれない。日本の外食店にもビジネスチャンスは大いにありそうだが、どうなんだろうか。ともかくFさんとの再会で日本女性の活躍とそのストレスを見た。

4月6日(土)  モール巡り

翌日は疲れていたので、バスの旅をしてみることにした。昨日聞いたグリーンヒルというモールが面白そうだったので向かう。またホテルのフロントで行き方を聞き、ジプニーに乗る。「エクスポートバンク」の前で降りてSMメガモール行きのバスに乗れ、とのことだったので、従う。だが、ジプニーを降りる場所も分からない。運転手に聞くと「ここだ」というので、降りる。しかしバス停などは見付からない。そんな時、マニラは便利だ。英語が通じる。2-3人に聞くと、バス停などはなく、道路脇から適当に乗ることが分かる。言われたバスに乗り込む。

バスには運転手の他に車掌が乗っている。彼に行き先を告げて料金を払う仕組み。道が分からない者には便利だ。バスは観光バスタイプで乗り心地も悪くない。ただ人の乗り降りが非常に頻繁なのに驚く。マニラではやはり歩く人はいない。ちょっとの距離でもバスやジプニーに乗る。

少し乗っていると環状道路のような所へ出て、スムーズになる。電車もこの道路沿いに走っている。そしてメガモールに到着。ここもSMの経営。相変わらずデカい。モールの中身は他とさして変わらない。それならなぜこんなに同じようなモールがあるのか、不思議でならない。吉野家で牛丼を食べてみるが日本とはかなり違い、今一つ。フィリピン人は天ぷらが好き、とかで、弁当に天ぷらを入れ、天丼も出している。

メガモールからグリーンヒルまで歩いて行けるのかと思い、歩き始めたが、これはとんだ間違いだった。どこまで歩いても見えてこない。途中で人に聞くと「ジプニーに乗れ」と言われ、わざわざジプニーを停めてくれた。有難い。そこから5分で到着したが、かなり消耗した。

グリーンヒルの建物は低いが、敷地が広く、ゆったりとした感じがある。中に入るとバックや服などの安物を売っている。この雰囲気は東南アジアの市場だ。メイドインチャイナもあるが、タイあたりから流れてきている物も多い。値段は中国の方が安いかもしれない(売り子は中国製は良くないと言っていたが本当だろうか)。真珠のマーケットがある。女性はこれを目当てに来るらしい。売り子はミンダナオ出身が多いというから、その辺で採れるのだろう。

骨董屋もあり、PC関連の店も多い。これまでの高級モールと違い、何となく落ち着く雰囲気がそこにある。中庭にはレストランがいくつかあり、そこでパンケーキを食べた。沢山の人がモールに来ていたが、レストランは混んではいない。やはり料金が高いからだろう。

キアポ

次に行く宛がなかったが、ホテルに戻る方法も分からない。仕方なくグリーンヒルに来たバスに乗り込む。どうやらキアポという所へ行くらしい。終点までの切符を買う。少し渋滞したせいもあるが、このバス、なかなか目的地に着かない。途中でLRTの駅が見えたので降りようかと思ったが、そのまま進んでみることに。

1時間ぐらい乗って、ようやくキアポに到着。実に立派な教会があり、そこを起点に市場が形成されていた。門前町の雰囲気。ずっと歩いている内に、少し雰囲気が違うが所へ出た。そこはイスラム教徒の居住区だった。この辺りは貧しい。後で聞くと、この辺はマニラでも一番危ない場所、とされているらしい。確かにその雰囲気はあった。

何故かすぐ近くにマラカニアン宮殿があると聞き、行って見ることに。直ぐと言っても結構歩いたが、付近は下町風でとても宮殿があるとは思われない。ずーっと行くと、立派な門がある。ここはマラカニアン宮殿か、と門番に聞くと、そうだ、という。だが許可なく入ることは出来ないとも言う。「日本から態々来たんだ」と言ってみると、上官が出て来て、「写真は撮るな」といって見学は許してくれた。

中は住民が住む居住区だった。その一角に立派な建物があり、昔マルコスが住んでいたんだろうな、と思われたが、きっと言われなければ分からないような建物。イメージ先行で来てしまい、ちょっとビックリ。更に中へ入れば色々とあるかもしれないが、そこの門は固く閉ざされていた。

取り敢えずさっきバスを降りた教会までジプニーで戻る。流石に疲れた。外は本当に暑い。もうこれ以上は限界だと、ジプニーを探すが、良く分からないので適当に乗る。今度は本当にどこを走っているのか分からず、とうとう終点まで来たが、どこか分からない。直ぐ近くに動物園があり、位置を確認。再度ジプニーに乗り、何とかリベルタードへ。

そこで昨日も両替した両替所へ。ところが今日は両替できないという。実は昨日身分証の提示を求められた時に香港のIDカードを出していた。どうやらこれはダメだったらしく、断られる。困っているとおばあさんが「道の向こうにあるよ」というので行って見ると、確かに両替所があり、しかも身分証提示不要だった。どうなっているのか。

4月7日(日)  フィリピン人と間違えられる

マニラ最終日。何となく慣れ親しんだこの街、離れがたいが、疲れも相当に溜まる。今日は夜便なので時間を潰す必要がある。しかしもう歩く気力はない。午前中はホテルでゆっくりして、チェックアウト、荷物を預けて、ショッピングモールグリーンベルトへ。もうすでに行った場所だが、ここならホテルからも近く、何より涼しい。

先ずは腹ごしらえと、先日Fさんから勧められた地元のレストラン、Max’sへ行く。どこのモールにも大体あるようだが、このグリーンベルトのお店は大繁盛でお客が溢れていた。ちょっと待って店内へ案内される。普通は4-10人がけのテーブルだが、ちゃんと1-2人用シートがあり、便利。何だか幅広い顧客を念頭に入れているようだ。一番驚いたのは、ある意味でファーストフード店であるこの店で、テーブルごとに担当が決まっていたこと。私の所にも若い男の子がやって来て、「何かご用命があれば私に」と言って、オーダーを取って去って行く。不思議な感じもしたが、良いサービスだなと思えた。

その後先日シンガポールで取材したTWG(http://www.yyisland.com/yy/terakoyachina/item/5658)の店を探す。このTea Shopチェーンはアジア各地の一等地にのみ出店しており、お茶文化が無いマニラにも店を出していた。店内はお客で埋まっており、観光客を含めて多様な層を取り込んでいるように見えた。「フィリピン人も珈琲ばかり飲んでいるわけではない」との店長の言葉が印象的。茶畑が無いと言われるフィリピンで、お茶のブームは来るだろうか。

今回のマニラ滞在では暑い中、良く歩いた。結果自分でも分かるほどに顔が日焼けしてしまい、黒々としてきた。すると滞在3日目あたりから、道を歩いているとフィリピン人の女性から道を聞かれ、4日目にはショッピングモールで男性から店の場所を聞かれ、そして今日はグリーンベルトで3回も道を聞かれた。「私は外国人だから分からない」と英語で答えると、若い女性は目を大きく見開いて、黙って行ってしまったが、年配の女性は「あなたがフィリピン人出なくて誰がフィリピン人なの」という最上級の褒め言葉を頂き、更には別の女性からは「あなたは完璧なフィリピン人よ」とダメを押された。

今まで一度もフィリピン人に似ていると言われたことが無かっただけにこのマニラでの反応は意外だった。だが後日香港の居酒屋で日本人3人で飲み会をしている時に、ウエートレスが偶々フィリピン人だったので「この3人に中でフィリピン人に似ている者はいるか」と聞いてみると、彼女は真っ直ぐに私を見て「ユー アー フィリピーノ」というではないか。私のどこがそんなに似ているかはいまだに謎だが、これが危険な目に合わなかった最大の要因なら感謝しなければならない。

その後は疲れたのでスタバでネット。ここは本当に大繁盛で席を確保するのが大変だった。特に電源のある場所を見付けた時はホッとした。向かいに座ってフィリピン人が実に流暢な英語で話し掛けてきて、ひとしきり雑談していると、何と無料WIFIの時間が終了していて、結局あまり活用できずに終わる。しかしこれだけ混んでいると時間制限したくなる気持ちは分かる。

仕方なくホテルに戻り、荷物を持ってタクシーに乗り込む。運転手はまたもや陽気で誠実。何の問題もなく、30分で空港に到着、料金も250pだった。だが空港入り口は荷物検査があり、大混雑。急いでいる人は大変だろうと思うほど、待たされ、更にはチェックインカウンターも長蛇の列。何とかならないものだろうか。

そしてカフェでネットをやり、搭乗時間に合わせて搭乗口へ向かうと、何と突然のゲート変更。何のアナウンスもなく、走って新ゲートへ行く羽目に。これもまたフィリピン。兎に角無事にマニラを離れ、ホッとするやら、物足りないやら。




初めてのマニラをスイスイ歩く(2) 街を歩きまくる

4月4日(木)   マニラの定食

翌朝はスッキリ起きた。窓が無い部屋は、実は眠りには快適なのだ。このホテルは大きな道に面していないこともあり、静か。光も入らないうえ、昨晩のお酒もあり、眠りは殊の外、深い。勿論マニラの暑さによる体の疲労もあるだろう。ゆっくり起きて、ロビーでダラダラとネットして。

そして歩いてマカティの中心に向かう。快晴のマニラ、歩いていると暑い。道は非常にきれいで、迷うこともない。グリーンベルトという巨大ショッピングモールに着く。建物が5つに分かれていたが、1つ1つも相当に大きい。レストランからブランドショップまで、これでもか、というほど並んでいる。各建物への出入りは厳しくチェックされており、荷物検査がある。ここを通り抜けて向こうの端まで行くと4回ぐらいチェックを受ける。セキュリティはしっかりしている?

そして何とSM(シューマート)と呼ばれる別のショッピングモールまで行きついてしまう。何とここマニラではショッピングモール同士が連携して、商圏を繋いでいるのだ。確かに東南アジアの人々は私のように無暗に街中を歩き回ったりしない。そこをきちんと捉えている。モール内は凄い人だが外からは分からない。面白い。

マニラの特徴の一つはファーストフードが多いこと。マックやケンタは当然ながら、地元企業も健闘している。ジョリビーという地元の店に入って見た。午前11時前でも店にはかなりの客がいた。東南アジア型、いつでもどこでも食べるのだ。食べている物は定番のフライドチキン+ご飯+(コーラ)。日本では考えにくい組み合わせだが、インドネシアや沖縄でもこのパターンで食べるようだから、これはポリネシアン系と言えるかもしれない。

皆楽しそうにお話しながら食べている。一人の女性は携帯をいじっている。アジアのどこにでもある光景。店もきれいだし。しかしショッピングモールも盛況、レストランも盛況、一体どこからこのお金は出て来るのだろうか。

因みに夕方マックに入ってみた。所謂バリューセットもあったが、全てスモールサイズというお得セットもあった。60pぐらいでポテト、ハンバーガー、コーラが付いてきた。これはまた一つの工夫だろう。客層はかなり広がったはずだ。子供でも学生でも皆それを買って食べている。お金のある人もあまりない人も良く食べる国のようだ。

マニラを歩けない駐在員

昼過ぎに某日本企業を訪問した。フィリピン経済は好調だが、決して好調な産業がある訳でもなく、出稼ぎ者の送金によるところが大きいと聞く。そして貧しい家庭に送金が入れば消費にすぐ回るので経済はよい。ショッピングモールが多く出来ているのもその表れ。


   

また華人は福建人が殆ど。経済を牛耳っているが、大陸との関係は薄い。大陸からの投資はフィリピンにはあまり来ていないと聞き、意外な感あり。華人は国内だけで資金を回しているらしい。日本企業の視察は昨年の尖閣以降、増えてきているが、実際の投資は設備拡張などすでに投資している企業の活動が多い。やはりフィリピン投資はハードルが高いということだろうか。コラムには書いてみた⇒ http://www.yyisland.com/yy/terakoyachina/item/5685

何と言ってもマニラの駐在員生活で一番驚くのは、「公共交通機関乗車禁止」だろうか。バスも電車も、ジプニーは勿論、タクシーにすら乗ったことが無い人がいるのは異常。20年ほど前の誘拐事件はいまだに記憶にあるものの、もしそれ程に危険なのであれば、投資など増えるわけがないだろう。ちょっと違和感あり。フィリピンに駐在していても、庶民の暮らしなど全く分からないだろう。コンビニなど小売りの展開が始まっているが、一般フィリピン人の嗜好などはフィリピン人社員に任せるのかな。「チャイナタウンなど行きたくても行けないよ」という言葉がやけに複雑に聞こえた。

夜は香港駐在時代、2度ご一緒したWさんと会う。彼はわざわざホテルまで迎えに来てくれ、そして何とフィリピンの服をくれた。「これに着替えていこう」という。洋はあまり日本人らしい服装をしていくのは良くないという判断。着てみると着心地が良いので気に入ったが、一般のフィリピン人ならジーンズにTシャツだろう。返って意識し過ぎか。

車で海鮮レストラン街へ行く。ここはマニラ湾に近い。かなり賑わっており、観光客が市場風の場所で魚やエビ蟹を買い、レストランに持ち込んで料理してもらうスタイル。香港や福建にも良くあったな、と思い出す。

売り手のおばさん達は必至に声を掛けて来る。英語もあれば中国語もある。台湾、香港、中国大陸のお客も多い。広東語や福建語も飛び交う。面白い。ここの魚が安いのかは疑問だが、観光地としては良いかと思う。

ガルーパ、エビ、カニ、香港で食べる味だ。懐かしく、たらふく食べる。レストランも混んでいた。ようやく席を確保。団体さんが楽しそうに食べている。ここはフィリピンではない、感覚的には中国だ。フィリピン人の運転手さんはあまり味方がいない、といった雰囲気で黙々と食べている。夜遅くても子供も大勢いる。

Wさんいわく、「フィリピンには裕福な人もいるが、貧しい人も沢山いる。ニコニコして親切な人が、ある日はスリをするかもしれない。そんな簡単な社会ではない」「もっと自由に暮らしたいが、事件は日々起こっている」と。確かにそうかもしれない。日本人は単純に「マニラは危険な所」などと刷り込まれるが、実際には同一人物が日によって行動を変えることもあるかもしれない。それは勿論フィリピンだけの話ではない。

4月5日(金)   アジア最大を目指すモール

昨日駐在員の皆さんと話をしていて何度も出てきた場所、それは「モールオブアジア」だった。最初は何のことか分からなかったが、どうやらショッピングモールだと分かり、昨晩Wさんの車から実物を見た。その大きさに興味を持ったので、自力で行って見る。

相変わらず愛用車はジプニー。多分この辺に行くだろうと勝手に推測して乗り込むとある程度の所へ行けるようになってきた。これは便利だ。このモールは海岸沿いにあり、周囲の開発はこれからという感じで、遠くからでもよく見える。というかある程度の場所から見ないと全体像は掴めないほど大きい。マンション建設なども行われ、将来は一大コンプレックスを目指している。マニラは午前から日差しが強い。

午前中なのにお客がどんどんモールに吸い込まれていく。お金持ちは運転手付自家用車で、お金のない人はバスやジプニーでやって来る。客層が広い。そしてモール自体は馬鹿でかい。日本食レストランあり、香港系、台湾系あり。日本企業の広告出店も多い。店を探すのも容易ではなく、あまりの広さにお客は少なく感じられる。聞くところによればここのオーナーSMグループではこのモールをアジア最大にする計画だとか。

ユニクロも出店していたが、お客はあまりいなかった。吉野家は牛丼屋というより、弁当屋のイメージで売っていた。普通のショップはあくまでも見学の場所のようで、フードコートに皆が集まり、込み合っていた。100p前後の定食が飛ぶように売れ、席を確保するのが大変。そして冷たい飲み物は必ず飲む。

一番驚いたのは、モール内にアイススケート場があったこと。フィギャスケートの練習をする少女、アイスホッケーをするグループなど、この南国フィリピンでもスケートをする人たちがいて驚き。周囲には多くの人が好奇心いっぱいにその光景を見ている。何となく涼しい感じがするのだろうか。

マニラ湾散歩

モールを後にして、マニラ湾沿いを歩いて行く。暑いが青空に海が映える。ついつい歩いて近寄る。遠くに荷揚げするクレーンが見える。近くには開発中のビル群が見えてくる。これからどんどん開発が進みそうな雰囲気である。

暑い中、汗をかきながら、そして海風に吹かれながら歩く。ある一角に来ると足が止まる。そこは湾の横にバラック小屋が建つ場所。上半身裸の男たち、はだしの子供達、海で泳ぐ人々、が見える。特に危険はないが、このような場所が日本的には危険と感じられる場所、なのだろう。

更に進むと、船着き場があり、周囲では釣りをする人々がいた。決してきれいとは言えない海水だが、魚は釣れている様だ。湾に浮かぶ小舟と空の雲がよい。欧米人が子供達にカメラを向けている。皆、人懐っこい。でも何故か私は彼ら一人一人にカメラを向ける気にはならない。

ベイエリア、ロハス大通りを歩いて行く。馬車の御者がしきりに声を掛けて来る。観光客目当てなので無視するが意外としつこい。マラテ教会に辿り着く。実にいい形の建物だ。元々は1588年に創建された。現在の建物は18世紀の再建か。この付近も一人で歩いてはいけない、と言われていたが、昼間のせいか、危険な雰囲気はない。夜は飲み屋などが多いようだが。歩き疲れたのでセブンイレブンで休む。コンビニ内で飲み物飲めるし、食べ物食べられるのは良い。

カジノも街中にあった。ただこの辺の雰囲気は確かにあまりよくない。更にどんどん歩いて行くとリサール公園に出た。ここまで既に数キロは歩いている。フィリピン人のみならず、信じられないことだ。この公園の脇で、仕事を求める人と人材を探す人の出会いの場があるように見えた。失業率が高いフィリピン、どんな人材が探されるのだろうか。手に職を持った人が集まっているようだが。

 

イントラムロス

マニラで一番の観光スポット、イントラムロスに着いた。ここまでモールオブアジアから歩いて2時間以上。顔はほてり、色が黒くなったような気がする。イントラムロスは16世紀にスペインによって建てられたマニラでも最も古い街。「壁の内側」という意味らしい。第2次大戦中、侵攻した日本軍に対して米軍が空爆を行い、この街はほぼ壊滅した。現在の街並みは80年代、当時のマルコス政権、イメルダ夫人の指揮で復興したとか。

確かに観光地らしくきれい。昔風の建物が並んでいるが、皆どこか新しい。ここでもガイドのニーちゃんに付き纏われる。これは本当に困るが、相手も困っているのだろう。団体さんの横をすり抜けて逃れる。

サン・アグスティン教会、世界遺産に認定されている教会で、重みがある。米軍の爆撃の際も唯一残ったのがここだという。神のご加護が強いのだろうか。ここは入場料を払って中へ入ってみる。ドーム型の内部、非常にきれい。一般の信者は無料でここへ入れるのだろうか。脇には納骨するためのロッカーのように見える壁がある。長い歴史が感じられる。

マニラ大聖堂、という立派な教会もあったが、何となく新しかった。戦後の復興らしい。西に傾いた太陽が聖堂を照らすと、雰囲気は出てきた。だが私には体力が残っていなかった。コンビニで飲み物を買い、飲み干すとホテルへ戻るべく、イントラムロスを後にした。やはり後世作られた街には限界がある。私の体力にも限界がある。

何とかジプニーに乗り込み、リベルタードへ向かうが、何故か途中で間違いに気が付き降りる。そうなると自分が何処にいるのか分からない。疲れて頭も働かない。また別のジプニーに乗り、見慣れた光景を探し、更に歩いて、何とかホテルに辿り着く。夜までぐったりと休息する。マニラはこんなに歩くものではない。





初めてのマニラをスイスイ歩く(1) チャイナタウンには泊まるな

《初めてのマニラをスイスイ歩く》 2013年4月3日-7日

フィリピンに行ったのは、確か1992年末。家内が次男を妊娠中に、安定期だというので旅行に行くことにしたのだが、今考えてみると、その旅行先にフィリピンのセブを選んだところに我が家の特色が出ている。あの時は香港‐セブの直行便が就航したばかりでプロモーションがあり、妊婦という理由でビジネスクラスを使う豪華な旅となった。行きはフィリピンエアー、CAのお姐さん達は我が長男がかわいくて仕方がない、といった雰囲気で2時間のフライト中ずっと付きっ切りだった。お客が殆どいなかったという理由が大きいが、長男があんなにモテたのはあれが最後ではなかろうか。

だがその時のセブ滞在中の印象は正直あまりよくなかった。その為か、お茶畑が無いためか、フィリピンには以後20年ご無沙汰となった。そして今回ある企画で「マニラ」という文字が浮かんだところへ、突然18年ぶりの再会を果たした人がマニラ在住だったなど、様々なご縁が重なり、初のマニラ上陸を果たしたのである。

4月3日(水)  1.マニラまで   チャイナタウンには泊まるな

今回の企画は「アジアで中国語を使ってみる」というものだった。以前香港でご一緒した人が現在マニラ駐在となっていたので、連絡してみると「チャイナタウンには泊まるな。もしどうしても泊まらなければならないなら、ホテルから一歩も出るな」とのメールを貰って驚く。

私には仕事らしい仕事はないが、敢えて言えば「アジアを歩くのが仕事」であり、ホテルから出るな、と言われればいわゆる「飯の食い上げ」になってしまう。どうしたものか、そんなに危険なのか、マニラは。他の人々も「気を付けるに越したことはない」というので、取り敢えず助言に従い、ホテルは比較的安全と言われているマカティ地区、それもリトル東京と呼ばれるエリアに取る。

それにしてももし本当に危険ならば、日本人は行ってはいけないだろうし、日本企業がどんどん進出するなどはもっての外ではないだろうか。まあ、これまでアジアを歩き回り、一度も危険な目にあっていない私、少し気を引き締めて、マニラ初上陸と行こうか。

2.マニラ   空港で

今回はキャセイに乗って行く。LCCもあったが、空港が街から遠いクラークに着くというので、一応警戒してニノイアキノ空港へ向かう。最近はLCCのお蔭でキャセイも運賃が安くなった。香港の空港で搭乗しようとすると、横でほぼ同時刻にフィリピンエアーの搭乗も始まった。どちらもそうだが、アマさん等出稼ぎ者が多く見られた。機内も満員。香港‐フィリピン間の人の移動は想像以上に多い。

マニラの空港に着くと、午前中ということもあり、入国はスムーズ。バッゲージクレームの所にあるボード、日本語、ハングル、英語、そして中国語で書かれていたが、その字が簡体字ではなく繁体字。そしてイミグレに並んでいた人々も中国大陸人ではなく台湾人が多数いた。中華航空と同時に着いた、というだけのことではなさそうだ。空港で両替を行う。そして携帯のシムカードを買う。他のアジアと何ら変わらない。シムカードは10ドル程度で高くはなかった。

そして初の緊張。タクシーで市内へ向かう。ガイドブックにも沢山書かれていたし、助言にも先ずは空港のタクシーと言われていた。第一関門だ。流しのタクシーに乗らないのはアジアの鉄則だろう。空港で口から出ると向こう側にクーポンタクシーと書かれた乗り場があったが、タクシーは停まっていなかった。これが一番安心なのかと思いながらも、ほかの乗客はイエロータクシーの方に向かったので後をついて行く。

ごくごく普通にタクシーに乗り込む。ホテルの場所を運転手に告げると、「分からない」と英語で言い、紙をまじまじと見る。取り敢えず車を出したのでちょっと警戒。だが空港を出た所で車を停めて、自分の携帯を取り出し、ホテルに電話して場所を確認。その後も陽気に会話する。英語が通じるし、陽気だし、問題は感じられない。勿論平日の午前中、明るい陽射しを浴びていい気分だ。ただ渋滞がひどく、車はなかなか進まない。夜だとちょっと心配だったかもしれない。30分ほどでホテル着。350pで特に料金も問題なし。

いきなりジプニーに乗る

ホテルは小さなファミリーホテル。フロントは陽気なフィリピーノ。しかも日本人だと分かると片言の日本語を話しだす。マニラでは日本に行ったことのあるフィリピン人を探すのは難しくない。それ程親近感がある。部屋は2階で窓はない。ネットもロビーでしか繋がらない。それでも居心地は悪くない。

まだ昼前だ。先ずは何をおいてもチャイナタウンへ行こう。ただここが何処だか正確な位置すら分からない。地図が欲しかったが、ホテルにはなかった。仕方なく、フロントの陽気なお姐さんに聞いてみると「ジプニーでリベルタードまで行って、LRTで行けるよ」と事もなげに言う。まあいいか、これも私の旅、とホテルを出る。一本向こうの大きな通り前を眺めるとあのド派手なジープを改造したジプニーが何台も走っていた。だがどれに乗ったらよいのだろうか、英語は通じるが日本人と分かると物を取られるかもしれない、と一瞬頭をよぎり、茫然と立つ。するとジプニーが寄って来て客引き。車の横を見ると「リベルタード」と書かれているので終点まで乗ることにする。


   

ホテルのオジサンから「ジプニーでは8p以上は渡すなよ」と言われていたので、小銭で8p用意。だがどうやって払うんだ。見ていると乗って来た客が運転手に近い客に金を渡し、その客が運転手に渡している。運転手は運転しながら手だけを後ろに出し、受け取る。面白い。

20分ぐらい乗っているとリベルタードに着いた。が、駅は全く分からない。運転手に聞くと手で方向を指す。その方へ行くとちゃんと駅がある。ジプニーはとても便利な乗り物。乗り降り自由、料金固定。フィリピン人でも携帯を掏られたりするらしいが、私はスマホも持っていないし、リスクない。

LRTはモノレールのような電車。こちらは駅で切符を買うため、行先が分からないと乗れない。適当に買って乗ろうとするが、ホームは人で溢れている。女性専用車両もあった。電車もなかなか来なくて、ようやく来た電車には人が殺到。まるで東京のラッシュ時。しかも冷房が弱くて、皆汗だく。団扇を持って乗り込む客もいるが、人が多くて用をなさない。そして何よりも人が接近し過ぎて、まさにスリの危険がある。ジプニーの方がよほど安全であると言える。20分ぐらい我慢して、カリエドという駅で下車。

チャイナタウン

もう時間は午後1時。腹が減る。チャイナタウンへ行けば美味しい中華があるかもしれないが、我慢できずに駅の下の食堂を眺める。豚肉の煮込み、ひき肉炒めなど、ウマそうなおかずが並んでおり、2品選んで席に着く。フィリピンぽく、コーラも頼む。ご飯とスープも付いてきて100p。味も悪くない。イメージ的には中華料理だが、言葉は全て英語、顔だちも中華系でない人々がやっている。

チャイナタウンはそこから歩いて10分弱の場所にあった。途中で両替所を覗いたが、レートは空港とそう変わらないし、何より中国語は全く通じなかった。これは衝撃。両替のような仕事こそ、華人がやっていそうなのに。

入り口の門には辛うじて漢字が見えた。中へ入って行くと、如何にも中華街という雰囲気があり、宝石などを売る小さな店が所狭しと並んでいた。店頭では若い女性が盛んに客を呼んでいた。近づいて行って中国語で話し掛けるが、顔は中華系ながら英語で返事が来る。分かったことはここの華人は殆どが福建系で、年寄り世代は家で福建語を話し、若者はタガログか、英語、そしてたまに福建語を使い、普通話を使うことは稀らしい。

チャイナタウンの規模は思ったより大きい。どんどん奥に入って行くと、教会が見えた。立派だ。そして礼拝の時間を見ると福建語もあり、ちゃんと普通話の時間もあった。普通話を話す人もいるはずだが・・。少数派なのだろうか。

お茶を売る店も全く見付からない。飲茶屋を見付けて聞くが、普通話も通じなければお茶は無料の物しかないという。華人がこれだけいて、しかも福建系なのにどうしてちゃんとしたお茶を飲まないのだろうか。暑いから冷たいものが飲みたいのは分かるが・・。

不動産開発の広告がデカデカと漢字で出ていた。周辺では開発も始まっており、古い家が取り壊されていた。これからここは変貌を遂げるのだろうか。華人に関しては数人に話を聞いたが、バンコック以上に「自分が中華系」であるという意識が感じられない。完全にフィリピーノに同化しているという人も多い。この国の華人の歴史はきっと厳しいものだったのだろうと思う。

帰りはLRTに乗る気になれずに、ジプニーを適当に乗り継いでホテルの近くまで戻った。リベルタードの駅の近くでは近々行われる選挙の為か、政治家の支持者集会が行われていた。その熱気と人の多さ、これには驚いた。

リトル東京

夜はホテル近くのリトル東京へ行く。20年前に香港で私の上司であったTさんと再会した。Tさんは転職して今はマニラの国際機関に勤務している。以前より「マニラにも来たら」と言われていたが、茶畑もなく、チャンスが訪れないうち、いつしか10数年が過ぎていた。

リトル東京は10軒ほどの日本料理屋さんが集まっている地域。通りに面した店もあるが、おもちゃのような鳥居を潜ると、ある意味で北京の四合院のような作りになっており、中庭にテーブルとイスが出ていて、そこでビールを飲みながら食べている人々もいる。お客は日本人も多いが、店によってはフィリピン人が多いところもある。味の問題なのか、経営者の関係なのか、なかなか面白い。

我々は関取なる、お店に入る。ここの料理は実に美味しかった。ちゃんこ鍋などもあるようで、うどんはコシがあって、お勧め。店内は畳席とイス席があったが、早い時間から日本人で超満員。驚くほどの繁盛ぶり。まるで日本の居酒屋にいるようだった。

久しぶりのTさん、もうすぐこの地で定年を迎えるとか。まだまだお元気で、当分はマニラに居るようだ。今思えば、「扱いにくい部下」だった私を歓待してくれた。これもご縁と言えばそれまでだが、ご縁に加わる何かを感じる。後日香港でTさんと私と一緒に働いた香港人と再会した。カナダに渡って18年の彼、風貌は変わっていたが、Tさんのことはよく覚えていて、私が交流再開の橋渡しをした。マニラのTさん、放浪する私、カナダ移民のB、香港に残ったA。香港らしい展開だ。

この日は夜遅くまで久しぶりに痛飲した。千鳥足でリトル東京を後にしたが、この付近に危険な感じは無く、ホテルに帰り着き直ぐに眠りに着いた。





《昔の東南アジアリゾート紀行》‐1992年 セブ

4.1992年12月 セブ

(1) 妊娠
家内が妊娠した。妊娠、出産で旅行などは無理であろうと思っていたが、良く考えて見れば彼女は長男を妊娠した際にも、安定期に私が赴任していた台北に来ていた。相談すると医者も直行便で近い所ならば良いとの話であったので、検討の結果フィリピンのセブに行くことになった。セブはこの月よりキャセイ、フィリピンエアーの共同運航で直行便が開設されていた。

(2) セブへ
キャセイのパッケージツアーには、エコノミークラス使用の他、ビジネスクラス使用のパックがある。今回は贅沢だとは思いながら、妊娠中であることを考慮してビジネスにしてみた。

実際乗ってみるとその便はフィリピンエアーの機体であった。スチワーデスも全てフィリピン人。又ビジネスクラスには我々3人の他、2人ぐらいしか乗っていない。確かに2時間半ほどのフライトで観光地にビジネスクラスで行く人はそうは居ないのかも知れない。

スチワーデスは手持ち無沙汰。3人ぐらいが長男のところに集まり、何くれと無く世話してくれる。フィリピン人は特に子供好き。長男はちやほやされていつに無くご満悦であった。(彼は1歳代から既に制服フェチ=JALキチであった?)

(3) マクタン島のホテル
空港に着くとそこはマクタン島である。今回予約したリゾートホテルはこのマクタン内にあり、便利。車に乗ると僅か10分で到着。車中からは畑と痩せた牛、掘っ立て小屋が見える等、決して豊かとはいえない。

ホテルは予想を下回るシャビーなものであった。実は翌年この島にシャングリラホテルが出来たが、この時点ではマクタン島のホテルは皆かなり年季の入った老舗リゾートホテルばかりであった。設備は古く、部屋数が少ないせいかレストランも1つしかない。ビーチも狭い。

部屋はそこそこ広いが、何と電話が無い。ルームサービスも洗濯物の引取りを頼むのも、全て自分の足でフロントへ行かなければならない。又冷蔵庫には飲み物が入っていない。これも自分で買いに行かなければならない。私が思い描いていた便利なリゾートホテルとは全く異なるものであった。正直ガッカリした。

しかし今考えてみるとこのホテルは本当の伝統的な長期滞在型リゾートホテルであったのかもしれない。そこに泊まっていた多くの西洋人は半月以上滞在していた。リゾートとは、非日常が基本。特に便利に慣れた人間には、偶にこのような環境が良いのかもしれない。

(4) ビーチ
ホテルの前に猫の額ほどのビーチがある。季節が悪いのか天気も良くなく、何となく涼しい。また海は決してきれいではない。今一つビーチリゾートが盛り上がらない。それでも長男は砂遊びが好きなのだ。ひたすら砂をいじっている。

こんな狭いビーチにも物売りのおばさんがいる。彼女らは拾い集めた貝殻で細工を作り売っている。家内は熱心に物を見て買っていた。しかし値段を聞くと結構高い。思わずそんな高いものは返して来い、等と言ってしまい喧嘩になる。今思い返すと二重に後悔する。1つは物売りのおばさんも観光客が減り生活が大変だということを考え無かったこと、2つ目は家内が一生懸命選んだものをけなした事。

おばさんの子供達もボートトリップの手伝いをするなど働いている。一度ボートに乗せてもらったが、コタキナバルのような無人島も無く、ただボートに乗っているだけで、面白くなかった。海がきれいでないこともあり、何の為に乗っているのか分からない。うちの子供の面倒を見てくれる子もいる。何だか物悲しい気分になる。フィリピンは景気が良くなく、又誘拐・強盗のイメージにより観光客が減少している。彼らは今後どうして行くのだろうか?でも、フィリピーノは皆明るい。それが救いである。

(5) 両替
しかし3日も居ると飽きてしまうのは仕方が無い。セブ市内に出る。ホテルで車をチャーターして行くしかなく、伝統的リゾートは高くつく。その費用を少しでも埋めようと、両替を市内のレートの良いところでしたいと思い、運転手に話すと連れて行ってくれた。街中の普通の家の前に車が止まる。家内と長男を車に待たせて、中に入ると何と、後ろでガチャンという音がする。鉄格子の扉を閉められてしまった。ここはフィリピンだ。背中が冷やりとした。

机におばさんが座り、ぞんざいな態度で『幾ら換えるんだ?』とフィリピン訛りの強い英語で聞いてきた。益々心配になってきた。しかし今更怯んでもしょうがない。思い切ってレート交渉を始めた。最初は英語でやっていたが、最後には何と北京語で交渉し、最初より少し良いレートで換えることが出来た。勿論財布からお金を出す時は最後の心配をしたが、杞憂に終わる。

(6) 街中
お金が入ったので、早速昼食に行く。街のレストランは安くて美味かった。新鮮な海鮮料理を思う存分食べた。ホテルの1つしかない、そして値段の高いダイニングがとてもみすぼらしく思えた。リゾートホテルに泊まるのも良し悪しだなと思う。

教会へ行く。カトリックが多いフィリピンの教会は荘厳な感じがする。道端では煩いフィリピーノがここでは静かに祈りを捧げている。教会の建物自体もかなり古いもののようで、重みを増している。

教会内で祈っているフィリピーノは皆知的な顔をしている。日本や香港に比べれば経済的には恵まれていないのかもしれないが、宗教に救いがある。日本にも、いや日本人にも宗教が必要なのではないかと、ふと思ってしまった。

(7) リゾートの鉄則4
伝統的なリゾートとは、不便を楽しむものである。