初めてのマニラをスイスイ歩く(2) 街を歩きまくる

4月4日(木)   マニラの定食

翌朝はスッキリ起きた。窓が無い部屋は、実は眠りには快適なのだ。このホテルは大きな道に面していないこともあり、静か。光も入らないうえ、昨晩のお酒もあり、眠りは殊の外、深い。勿論マニラの暑さによる体の疲労もあるだろう。ゆっくり起きて、ロビーでダラダラとネットして。

そして歩いてマカティの中心に向かう。快晴のマニラ、歩いていると暑い。道は非常にきれいで、迷うこともない。グリーンベルトという巨大ショッピングモールに着く。建物が5つに分かれていたが、1つ1つも相当に大きい。レストランからブランドショップまで、これでもか、というほど並んでいる。各建物への出入りは厳しくチェックされており、荷物検査がある。ここを通り抜けて向こうの端まで行くと4回ぐらいチェックを受ける。セキュリティはしっかりしている?

そして何とSM(シューマート)と呼ばれる別のショッピングモールまで行きついてしまう。何とここマニラではショッピングモール同士が連携して、商圏を繋いでいるのだ。確かに東南アジアの人々は私のように無暗に街中を歩き回ったりしない。そこをきちんと捉えている。モール内は凄い人だが外からは分からない。面白い。

マニラの特徴の一つはファーストフードが多いこと。マックやケンタは当然ながら、地元企業も健闘している。ジョリビーという地元の店に入って見た。午前11時前でも店にはかなりの客がいた。東南アジア型、いつでもどこでも食べるのだ。食べている物は定番のフライドチキン+ご飯+(コーラ)。日本では考えにくい組み合わせだが、インドネシアや沖縄でもこのパターンで食べるようだから、これはポリネシアン系と言えるかもしれない。

皆楽しそうにお話しながら食べている。一人の女性は携帯をいじっている。アジアのどこにでもある光景。店もきれいだし。しかしショッピングモールも盛況、レストランも盛況、一体どこからこのお金は出て来るのだろうか。

因みに夕方マックに入ってみた。所謂バリューセットもあったが、全てスモールサイズというお得セットもあった。60pぐらいでポテト、ハンバーガー、コーラが付いてきた。これはまた一つの工夫だろう。客層はかなり広がったはずだ。子供でも学生でも皆それを買って食べている。お金のある人もあまりない人も良く食べる国のようだ。

マニラを歩けない駐在員

昼過ぎに某日本企業を訪問した。フィリピン経済は好調だが、決して好調な産業がある訳でもなく、出稼ぎ者の送金によるところが大きいと聞く。そして貧しい家庭に送金が入れば消費にすぐ回るので経済はよい。ショッピングモールが多く出来ているのもその表れ。


   

また華人は福建人が殆ど。経済を牛耳っているが、大陸との関係は薄い。大陸からの投資はフィリピンにはあまり来ていないと聞き、意外な感あり。華人は国内だけで資金を回しているらしい。日本企業の視察は昨年の尖閣以降、増えてきているが、実際の投資は設備拡張などすでに投資している企業の活動が多い。やはりフィリピン投資はハードルが高いということだろうか。コラムには書いてみた⇒ http://www.yyisland.com/yy/terakoyachina/item/5685

何と言ってもマニラの駐在員生活で一番驚くのは、「公共交通機関乗車禁止」だろうか。バスも電車も、ジプニーは勿論、タクシーにすら乗ったことが無い人がいるのは異常。20年ほど前の誘拐事件はいまだに記憶にあるものの、もしそれ程に危険なのであれば、投資など増えるわけがないだろう。ちょっと違和感あり。フィリピンに駐在していても、庶民の暮らしなど全く分からないだろう。コンビニなど小売りの展開が始まっているが、一般フィリピン人の嗜好などはフィリピン人社員に任せるのかな。「チャイナタウンなど行きたくても行けないよ」という言葉がやけに複雑に聞こえた。

夜は香港駐在時代、2度ご一緒したWさんと会う。彼はわざわざホテルまで迎えに来てくれ、そして何とフィリピンの服をくれた。「これに着替えていこう」という。洋はあまり日本人らしい服装をしていくのは良くないという判断。着てみると着心地が良いので気に入ったが、一般のフィリピン人ならジーンズにTシャツだろう。返って意識し過ぎか。

車で海鮮レストラン街へ行く。ここはマニラ湾に近い。かなり賑わっており、観光客が市場風の場所で魚やエビ蟹を買い、レストランに持ち込んで料理してもらうスタイル。香港や福建にも良くあったな、と思い出す。

売り手のおばさん達は必至に声を掛けて来る。英語もあれば中国語もある。台湾、香港、中国大陸のお客も多い。広東語や福建語も飛び交う。面白い。ここの魚が安いのかは疑問だが、観光地としては良いかと思う。

ガルーパ、エビ、カニ、香港で食べる味だ。懐かしく、たらふく食べる。レストランも混んでいた。ようやく席を確保。団体さんが楽しそうに食べている。ここはフィリピンではない、感覚的には中国だ。フィリピン人の運転手さんはあまり味方がいない、といった雰囲気で黙々と食べている。夜遅くても子供も大勢いる。

Wさんいわく、「フィリピンには裕福な人もいるが、貧しい人も沢山いる。ニコニコして親切な人が、ある日はスリをするかもしれない。そんな簡単な社会ではない」「もっと自由に暮らしたいが、事件は日々起こっている」と。確かにそうかもしれない。日本人は単純に「マニラは危険な所」などと刷り込まれるが、実際には同一人物が日によって行動を変えることもあるかもしれない。それは勿論フィリピンだけの話ではない。

4月5日(金)   アジア最大を目指すモール

昨日駐在員の皆さんと話をしていて何度も出てきた場所、それは「モールオブアジア」だった。最初は何のことか分からなかったが、どうやらショッピングモールだと分かり、昨晩Wさんの車から実物を見た。その大きさに興味を持ったので、自力で行って見る。

相変わらず愛用車はジプニー。多分この辺に行くだろうと勝手に推測して乗り込むとある程度の所へ行けるようになってきた。これは便利だ。このモールは海岸沿いにあり、周囲の開発はこれからという感じで、遠くからでもよく見える。というかある程度の場所から見ないと全体像は掴めないほど大きい。マンション建設なども行われ、将来は一大コンプレックスを目指している。マニラは午前から日差しが強い。

午前中なのにお客がどんどんモールに吸い込まれていく。お金持ちは運転手付自家用車で、お金のない人はバスやジプニーでやって来る。客層が広い。そしてモール自体は馬鹿でかい。日本食レストランあり、香港系、台湾系あり。日本企業の広告出店も多い。店を探すのも容易ではなく、あまりの広さにお客は少なく感じられる。聞くところによればここのオーナーSMグループではこのモールをアジア最大にする計画だとか。

ユニクロも出店していたが、お客はあまりいなかった。吉野家は牛丼屋というより、弁当屋のイメージで売っていた。普通のショップはあくまでも見学の場所のようで、フードコートに皆が集まり、込み合っていた。100p前後の定食が飛ぶように売れ、席を確保するのが大変。そして冷たい飲み物は必ず飲む。

一番驚いたのは、モール内にアイススケート場があったこと。フィギャスケートの練習をする少女、アイスホッケーをするグループなど、この南国フィリピンでもスケートをする人たちがいて驚き。周囲には多くの人が好奇心いっぱいにその光景を見ている。何となく涼しい感じがするのだろうか。

マニラ湾散歩

モールを後にして、マニラ湾沿いを歩いて行く。暑いが青空に海が映える。ついつい歩いて近寄る。遠くに荷揚げするクレーンが見える。近くには開発中のビル群が見えてくる。これからどんどん開発が進みそうな雰囲気である。

暑い中、汗をかきながら、そして海風に吹かれながら歩く。ある一角に来ると足が止まる。そこは湾の横にバラック小屋が建つ場所。上半身裸の男たち、はだしの子供達、海で泳ぐ人々、が見える。特に危険はないが、このような場所が日本的には危険と感じられる場所、なのだろう。

更に進むと、船着き場があり、周囲では釣りをする人々がいた。決してきれいとは言えない海水だが、魚は釣れている様だ。湾に浮かぶ小舟と空の雲がよい。欧米人が子供達にカメラを向けている。皆、人懐っこい。でも何故か私は彼ら一人一人にカメラを向ける気にはならない。

ベイエリア、ロハス大通りを歩いて行く。馬車の御者がしきりに声を掛けて来る。観光客目当てなので無視するが意外としつこい。マラテ教会に辿り着く。実にいい形の建物だ。元々は1588年に創建された。現在の建物は18世紀の再建か。この付近も一人で歩いてはいけない、と言われていたが、昼間のせいか、危険な雰囲気はない。夜は飲み屋などが多いようだが。歩き疲れたのでセブンイレブンで休む。コンビニ内で飲み物飲めるし、食べ物食べられるのは良い。

カジノも街中にあった。ただこの辺の雰囲気は確かにあまりよくない。更にどんどん歩いて行くとリサール公園に出た。ここまで既に数キロは歩いている。フィリピン人のみならず、信じられないことだ。この公園の脇で、仕事を求める人と人材を探す人の出会いの場があるように見えた。失業率が高いフィリピン、どんな人材が探されるのだろうか。手に職を持った人が集まっているようだが。

 

イントラムロス

マニラで一番の観光スポット、イントラムロスに着いた。ここまでモールオブアジアから歩いて2時間以上。顔はほてり、色が黒くなったような気がする。イントラムロスは16世紀にスペインによって建てられたマニラでも最も古い街。「壁の内側」という意味らしい。第2次大戦中、侵攻した日本軍に対して米軍が空爆を行い、この街はほぼ壊滅した。現在の街並みは80年代、当時のマルコス政権、イメルダ夫人の指揮で復興したとか。

確かに観光地らしくきれい。昔風の建物が並んでいるが、皆どこか新しい。ここでもガイドのニーちゃんに付き纏われる。これは本当に困るが、相手も困っているのだろう。団体さんの横をすり抜けて逃れる。

サン・アグスティン教会、世界遺産に認定されている教会で、重みがある。米軍の爆撃の際も唯一残ったのがここだという。神のご加護が強いのだろうか。ここは入場料を払って中へ入ってみる。ドーム型の内部、非常にきれい。一般の信者は無料でここへ入れるのだろうか。脇には納骨するためのロッカーのように見える壁がある。長い歴史が感じられる。

マニラ大聖堂、という立派な教会もあったが、何となく新しかった。戦後の復興らしい。西に傾いた太陽が聖堂を照らすと、雰囲気は出てきた。だが私には体力が残っていなかった。コンビニで飲み物を買い、飲み干すとホテルへ戻るべく、イントラムロスを後にした。やはり後世作られた街には限界がある。私の体力にも限界がある。

何とかジプニーに乗り込み、リベルタードへ向かうが、何故か途中で間違いに気が付き降りる。そうなると自分が何処にいるのか分からない。疲れて頭も働かない。また別のジプニーに乗り、見慣れた光景を探し、更に歩いて、何とかホテルに辿り着く。夜までぐったりと休息する。マニラはこんなに歩くものではない。





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