香港歴史散歩2004(3)旺角

【九龍ルート7】2004年2月14日

前回の旅から2ヶ月以上経過してしまった。年末年始は忙しいとか色々と理由を付けていたが、どう見ても山歩きはキツイ。そこで今回は平地を歩くことで再開する。

モンコックに行く。特に理由は無かったが、女人街の由来などを知りたいと思ったからである。何時でも人が多いモンコックであるが、本日は特に多い。バレンタインデーである。日本と異なり、香港では男性が女性に花をあげる。駅にも花束を抱えた男性が女性を待っている姿や、花を貰った女性が誇らしげに男性を従えて歩いている光景がそこかしこに見える。

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そう言えば90年代初めには我が社の女性社員も若かったので、バレンタイン当日には受付に花束が多数届けられていた。中には見栄で自ら発注したものを届けさせたケースもあったと聞く。本日は土曜日でそのような光景は無く、真のカップルが待ち合わせて花束を持っているのであろう。

ところでモンコックの由来であるが、200年ほど前は芒角という名前であったと言う。一面に芒草(ススキ)が生えていたからだ。その後1930年代からビルが建ち始め、賑やかな所と言う意味で現在の旺角と呼ばれるようになった。歴史的にはかなり古い街である。

(1) エリザベス女王2世遊楽場館(Queen ElizabethⅡ Youth Centre)
最初に訪れたのが、エリザベス女王2世遊楽場館である。モンコックMTR駅から奶路臣街を東へ雑踏を5分ほど行った染布房街との角にある。角にあると言うより、そのワンブロック全てが敷地であった。

洗衣街に到達すると広州行きの直通バスの発着場所がある。1日数便がここから出ている。その脇にサッカーグラウンドがある。スタンド付きでかなり大きい。隣はテニスコートやバスケットコートがあり、子供の遊ぶ遊技場もある。その隣に体育館がある。1953年に完成した当時はアジア最先端の体育館であったと言う。丸いアーチ型の屋根はお洒落であったであろう。現在は青少年活動の施設として使われているようで、入り口から中を覗くと各種催し物の案内があり、又地域活動の拠点としての役割も見られた。

名前は当時のケント公爵夫人の発案で作られた所からきているようで、開会式は香港総督主催で行われた。入り口横には今も記念のプレートがはめ込まれている。

(2) 旺角観音廟
体育館の直ぐ横、山東街に小さな廟がある。旺角観音廟はこじんまりしてるがかなり格式と趣のある建物である。現在の場所には1927年に移されたと書かれているがどのくらい古いものなのであろうか?

中に入るとかなり多くの人が居る。普通このような古い廟には老人が時々居る程度であるので不思議に思っていると明日から明後日に掛けて1年に一度の『観音開庫』があるという。開庫とは観音廟の蔵から宝物などを出して開帳することで信者は『借庫(金を借りる)』の為に訪れ1年の金運を願うと言う。

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建物の中は線香が至る所で焚かれ、祈りを捧げる人でごった返していた。大きくは無いが仏像が安置され、周りにも幾つもの像が安置されている。偶々目に付いた色の着いた像に興味を持ち眺める。写真を撮りたくなり、シャッターを切ると前に居たおじいさんが何か言ってきた。広東語は分からないという素振りをすると彼は直ぐに私を連れて外の方に行く。着いて行くと建物の表の注意書きを指す。そこにははっきりと撮影禁止の表示がされていた。思わず『ソーリー』と言うと、分かればいいんだよ、といった笑顔で私の背中を2-3度軽く叩いて行ってしまった。最近こういうおじいさんに出会うことは稀であったので、何だか貴重な経験をしたように思う。ルールをしっかり伝える、決して怒ることも無く、言葉が通じなくても動じない、この姿勢は実に大切だと思う。

(3) 聖公会諸聖堂
聖公会は九龍で最も歴史のある教会である。1891年に布教を開始、1922年に現在の場所に聖堂が建設される。日本統治下では軍の宿舎として使われた。現在は教会、学校がある。

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しかしこの辺りの街並みは古い。この建物がある場所は、白布街、豉油街、染布房街、黒布街の4つの道で囲まれているが、見れば3つに布がつく。どうやら繊維関係の街のようだ。更にもう1つは醤油である。醤油工場もあったようだ。確かに周辺には古いビルが並ぶ。モンコックの歴史が垣間見られる。

因みに染布房街の横にはKCRが走っており、モンコック駅は直ぐ近くにある。古い町並みと最新の列車のコントラストも面白い。

(4) 女人街
1975年に香港政府はそれまでバラバラだった香港の露天商を20の地区に集めることを決め、通菜街に初の『小販認可区』を設置。安価な家庭用品や女性服が多く売られ女性客が多かったことから『女人街』と呼ばれるようになる。

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現在は亜皆老街から登打士街まで露天が所狭しと並んでおり、家庭用品というよりTシャツや時計など観光客向けの商品が多くなっている。香港人のみならず、観光客も多く訪れ、特に西洋人に好まれるようで、一生懸命値切っている姿が微笑ましい。

但し最近は大陸中国人がどんどん増えており、北京語が彼方此方で聞こえる。彼らにとっては大陸の方が更に安いはず。何の目的があってここに来ているのだろうか?単なる観光名所となっている節がある。私は本日日本語の書かれた靴下(中国製だが、日本ブランド。日本で売るものの横流し。)を2つ買った。北京語で話しかけたところ、何も言わずに10元になった。西洋人には幾らで売るのだろうか?因みに廟街にある同様の市場を男人街という。こちらは夕方から店が出始め夜賑わいを見せる。特に品揃えに違いは無いと思う。男人街の謂れは、当初治安が悪く、男しかぶらつかなかったからだと言う。

モンコックは本当に香港らしい所である。女人街の一本西側の西洋菜南街は歩行者天国になっている。土曜日は本当に多くの人が歩いている。何を求めて歩いているだろうか?正に老若男女が歩いている街である。

最近モンコック駅の反対側に大型ショッピングセンターが建設されている。古き良きモンコックも時代の波に晒されている。老舗のレストランも生き残っている所は皆新しいきれいな店舗をショッピングセンターに出店し、値段が倍以上になっている店もある。どこか寂しい気がしてならないが、それが香港なのかもしれない。

 

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