《深夜特急の旅-香港編2003》(6)スターフェリーとペニンシュラー

6.2003年7月 スターフェリーとペニンシュラー

(1)スターフェリー(P84,112-115)
今回はスターフェリー。沢木氏は前日知り合った張君を訪ねて中環に渡る時初めてこのフェリーに乗り、気に入ってその後も何度も使っていたようだ。

スターフェリーの歴史は100年を越える。1898年に中環ー尖沙咀間開通。香港では1888年に出来たピークトラムに次いで古い乗り物である。インド系商人によって開設される。現在は1等HK$2.2、2等HK$1.7、当初は1等HK$0.15、2等HK$0.13。今でも最も安い乗り物であるが、1966年には僅かHK$0.05の値上げを巡り、1人の青年がハンガーストを行うとあっと言う間に2,000人もの抗議行動に発展したほど、常に庶民の乗り物であると言える。

待合場所の奥に以前はトイレがあったが、今は廃止されている。フェリーに乗る時は跳ね板を渡る。座席は木製、背もたれは前後どちらにも変えられるようになっている。最近1等には船の前と後ろにクーラーが付いており完全な観光客用となっているが、下の2等は依然として庶民用である。現在スターフェリーに乗る時はオクトパスカードで簡単に乗れる。

フェリーは僅か7分。この間に景色を眺める。天気の良い日や夜は実にきれいな風景である。風も気持ちが良い。しかし雨の日、風の日は揺れる。まるで人生そのもの。夜のライトアップされた香港島側のビル群、夏の午後のそよ風が吹く尖沙咀の時計台、晴れた朝の遠くに霞む鯉魚門。沢木氏は一体何を見たのだろうか?

30年前と言えば、フェリーが交通の主力。今とは異なり、乗船者は非常に多かったに違いない。『スリに注意。』という注意書きが見える。スリも多かっただろう。昔見た『スージーウォンの世界』という50年代の香港が舞台の映画では、満員の乗客を乗せたフェリーの様子が実に印象的であった。

『フェリーの動きと共に変化して行く風景に、やさしい視線を投げかけている姿をよく見かける。本や新聞に目を落としている客はほとんどいず、大部分は対岸の建物や大小の船、風に舞うしぶきなどを眺めている。』沢木氏は言う。喧騒の中にある香港で『フェリー船上は香港唯一の聖なる場所』であると。

セーラー服の船員がいる。大体がおじさんだ。おじさんが草臥れた制服を着て、仕事をする。船が動いている間はボーっと水面を眺めている。実に哀愁がある。船が停まる時縄を投げる。実に上手く対岸の人間に渡る。職人芸?尚スターフェリーの運航が終わった深夜に沢木氏が乗ったワラワラと呼ばれていた渡し舟は現在は無い。

(2)YMCA(P66-69)
沢木氏は香港到着の翌日ゴールデンパレスホテルを出ようと考え、探した宿がここYMCA。今でも尖沙咀のペニンシュラーホテルの横にある。私は1987年に泊まる気も無くロビーに入った記憶があるが、既にかなり違った印象になっていた。

何しろ入ると直ぐ左手に書店があり、英語の本を沢山売っている。その奥には洒落たヘアーサロンまである。真っ直ぐ進むと左下に大きなコーヒーショップもある。右には小奇麗になったレセプション。昔はこんなのだったっけ?まるで普通のホテル。違うのはYMCA会員の為の設備があることとキリスト教関連の張り紙があることぐらい。

ロビーの一角にプレートがあり、それによればここは1924年に設立されたようだ。歴史的にはかなり古い。現在はリノベーションされ、バックパッカー用のホテルとは思えない。立地が良く、施設が良いとなれば当然プライスも上がる。聞けばシングルの部屋がHK$400と言う。30年前も同じようで、シングルがHK$50。当時の物価を考えれば決して安くは無い。しかし沢木氏が泊まらなかった理由は金ではない。ゴールデンパレスの曖昧さに惹かれたのだ。それが旅と言うものだ。

(3)ペニンシュラー(P65)
YMCAの隣にあるペニンシュラーは言わずと知れた香港を代表するホテル。

1928年の開業以来常に香港のトップホテルであり続ける。但しその道のりは平坦ではない。元々1925年開業予定であったが、上海の5・30暴動に刺激された中国人労働者による香港ゼネストにより大幅に遅れる。1941年には日本軍の香港占領で一時軍司令部が置かれ、その後『東亜ホテル』として3年半営業される。戦後も中国大陸からの逃避先として、また斜陽の植民地ホテルとして、常に異彩を放ってきた。

現在はグランドフロアーでアフタヌーンティーを楽しむ観光客が多く、一時は日本人が行列していてあまり行きたい場所ではなかったが、今回行って見るとSARSの影響か?日本人の姿は稀で、西洋人と香港人が楽しいそうにお茶を飲んでいた。因みにここのスコーンは非常に美味しい。1階のトイレも有名で観光客が訪れて写真を撮る。
尚ペニンシュラーほど玄関先のロールスロイスが似合うホテルはないとの意見には諸手を上げて同意したい。

沢木氏はここで信じられないことに、香港の地図をただで手に入れている。私も敢て挑戦してみた。フロントがグランドフロアーの奥にあることを初めて知る。従業員の女性は西洋人であった。何時もは恥かしさも感じない私が躊躇した。そして聞いた。『香港の地図はありますか?』彼女はさも当然と言う感じで地図を取り出し、くれた。笑顔も付いていた。30年経ってもペニンシュラーはペニンシュラーだ。因みに先日ミャンマーのヤンゴンに行った際、ペニンシュラーの先輩格であるストランドホテルに入り同じことをした。そこの従業員も当然のように笑顔で地図をくれた。次回はシンガポールのラッフルズに行こう。

尚沢木氏は知り合った日本人と香港人の混合グループとペニンシュラー地下のディスコに遊びにいっているが、今ディスコは見当たらない。ペニンシュラーにディスコがあったとすれば、それは高級な遊び場でなければならない。

 

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です