《深夜特急の旅-香港編2003》(5)KCRと国境

5.2003年10月 KCRと国境(P75-78)

(1)KCR
KCR(九広鉄路)は1910年8月に開通。当初は1日2往復で駅の数は羅湖、上水、大埔、大埔墟、沙田、油麻地、九龍の7つ。九龍は現在の尖沙咀時計台(70年代に現在のホンハムへ)。沢木氏は時計台の前から上水に向かったと思われる。
当初は蒸気機関車で九龍—羅湖間は4時間、61年にディーゼル化、78年には電化され今日では45分。沢木氏は上水まで1時間以上掛かったといっているから、ディーゼルの時代。

開通時料金は1等HK$5.4、2等HK$2.7。その後3等も出来、沢木氏は3等HK$1.1に乗っている。現在は1等が1車両でHK$66、2等がHK$33でホンハムー羅湖を結ぶ。但し上水—羅湖間がHK$20する計算になり、要するに中国への通行料を取られている。香港人の中には落馬州経由の方が安いとバスで向かう人もいる。落馬州は現在24時間通行可能で便利度は増している。シンセン出張の多いある日本人は何時でも帰れるのでシンセンでの飲み会が増え、体に悪いと言っていた。

現在のホンハム駅はオールドトンネルを抜けた所にある。隣はホンハム体育館。コンサートがよく行われている。オクトパスカードがあればそのまま改札を通れる。1等車両に乗る場合はホームにある機械に再度通さないと罰金HK$500を取られるので要注意。列車は主に羅湖行きで驚くことに3-5分に一本出ている。それでも2等は結構満員。

九龍塘ではMTRに接続しており、多くの乗客が乗り込んでくる。沙田は以前新界の中心でショッピングモールなどが栄えたが、今は何処の駅でも立派なスーパーがある。それでもシンセンの方が断然安い為、新界の経済は相当に悪い。この鉄道も一種の買い物列車となっており、おじさん、おばさんが買い物に向かう。中には大きな荷物を引くカートを持っている者もいる。

大学という駅がある。今香港には7つの大学があるが、昔は香港大学と中文大学の2つ。九龍サイドで大学といえば中文大学に決まっており、駅の名前も大学で十分な訳である。駅前から緩やかな上り坂があり、その上に広大なキャンパスが広がる。更に上に上れば下界がきれいに見える。香港とは思えない風景がある。
英系の香港大学は英語教育の最高峰であり、中文大学は中国語の最高峰。中国に返還された現在、その地位は更に高くなっている。

粉嶺には名門香港ゴルフクラブがある。開業した頃はイギリス人が馬車で訪れていたという。この先にある落馬州の名の謂れは、馬車で国境を越えることは出来ず馬を下りた場所ということらしい。

(2)国境
上水に到着。昔はこの駅は特に何と言うことのない駅であったが、近年はシンセンの窓口として、人の乗り降りが激しい。香港人に聞いた所、実は上水で一度降りて再度乗り直して羅湖に行った方が直接行くより料金が安いのだそうである。それで一度改札を出てもう一度乗り込んでくる人が多いのだと言う。本当だろうか?

午後になるとシンセンで仕入れてきたものをダンボールに入れて駅前で売る商売をしているものも多い。シンセンと香港の価格差は相当のものがあり、雑貨や野菜が半値以下で売られている。

沢木氏はここから白タクに乗って、落馬州の展望台に向かった。往復HK$25。最初運ちゃんは英語で話しかけてきたというから当時は観光客が居たのだろう。今この駅前から展望台に向かう人は殆どいないと言う。というより展望台からシンセンを眺める人が居ないのだ。当たり前である。直ぐにシンセンに行けるのに態々展望台から眺めるのは余程の物好きということになる。

駅前のタクシーの運転手に英語で展望台に行きたいといってみたが、全く分からないと言った表情をする。以前であれば恐らくこちらの言いたいことは理解しただろうが。面倒なので行くのを止める。今ならタクシー代はHK$100以上するだろう。

昨年時間の無い人でどうしてもシンセンを一目見てみたいと言うお客さんがいたので、展望台に連れていったことがある。九龍から車で真っ直ぐ北に進み、国境近くで山道に入る。周りは閑散としていた。車を降りると数軒の土産物屋が展望台に行く途中にあるが、平日と言うこともあり、店番すら見つからない。

シンセン側は発展していた。それはシンセンの街中で見るより一層良く分かる。それにしても沢木さんが見た30年前のシンセンとはまるで違う風景である。『水田の間にポツリポツリと小さな集落があり、煙が棚引いている家もある。』これが30年前だ。驚きである。現在はビルが林立し、どちらがシンセンでどちらが香港か分からない。

『老婆が一人でじっと遠くを眺めていたりする姿』も見ている。この当時中国は文化大革命、大陸から逃げてきた人が残された家族を思っていたのだろうか?1967年にはこの国境で逃げてくる人民をシャットアウトしたと聞く。そこで生死が分かれた。

将来この国境はなくなるのだろう。香港がシンセンと一体になるのではなく、シンセンが香港を飲み込む日が来るのだろうか?

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