《深夜特急の旅-香港編2003》(4)佐敦・廟街

4.2003年7月 佐敦、廟街(P88-93)
今回は沢木氏が旅の中で香港に長居するきっかけを作った廟街を歩く。

ある日沢木氏は夕食後ネーザンロードを北へ10分ほど歩き、佐敦道を左に曲がった。私はMTRを佐敦駅で降り、交差点の手前から左に曲がってみた。確かに大きな百貨店やレストランは30年前と同じように軒を連ねている。ところが、『大きな百貨店やレストランの続く通りが途切れると油麻地の埠頭に出る。やはりフェリーのターミナルがあり、バスの発着所もある。』と記述されている風景は全く無い。
交差点より5分歩くとジョージ5世公園がある。小さい公園だ。昔通り、おじさん達が中国将棋に興じている。ここを過ぎると昔はフェリーターミナルがあったのだろうか?今は行っても行っても海に出ない。

そこは埋立地となっていた。佐敦道を歩いて行くと左にゴルフ練習場が見える。それを過ぎると大規模な開発が行われており、現在は高層住宅がある。また空港がチャプラッコックに移ってから作られたエアポートエクスプレスの九龍駅がこの下にある。

立体道路の上を歩いて行くと漸く海が見える。大小様々な船が停泊しているが、やはりフェリーは無い。左には90年代後半に出来た西部トンネルの出口が見え、前は一面クレーンが置かれている。人は進入禁止で海に触れることは出来ない。

期待していた30年前の市民の憩いの場も無く、新聞売りの少年も子守のばあさんも居ない。凧を揚げたらよく上がるだろう風が吹き抜けて行くが、そこには実に人工的な建物が威厳を備えて建っている。非常に寂しい。

道を戻り、沢木氏同様いくつもの道を彷徨う。広東道の翡翠市場。1949年の中国解放に伴い広州市の翡翠市場の商人が香港に逃げ込み、ここに店を開いたのが始まりとか。翡翠好きの中国人で賑わい、東南アジア最大の翡翠市場と言われたこともあったが、現在は以前ほどの賑わいは無いのでは?

新填地街の青空市場。所狭しと並ぶ野菜、魚、肉などの食品市場だ。売っているおばさんたちも心持愛想が良い。何となく買い物をしたくなるマーケットだ。

更に廟街。ここは男人街とも言われ、男物の衣服を売る屋台が多い。但し沢木氏が見た熱気は現在感じられない。SARSによる観光客の減少のせいか?それと経済低迷のせいか?どちらにしても30年前外国人観光客など全く見られない市民の為の市場であったと書かれていることからもその性格を変えているようだ。因みに市民の夜市を『平民夜総会』と呼んでいたのは、遥か昔か?

廟街は南街が数百メートル続いており、その北に天后古廟がある。これが中心だ。30年前は広場で様々の商売が展開されていたようだが、今はただの公園といった感じ。私も大道芸人の芸を見てみたかった。広場の北側の道に屋台が多く出ているが、その後ろには2−3軒歌謡ショーをやる店が見える。歌手のブロマイドが色褪せて張られているのが、悲しい。きっと大道芸を屋内に閉じ込めた結果だろう。所々に手相見、占い師が机を置いている。これは昔からの光景であろう。

私も80年代最初に香港に来た頃、何度かこのあたりを歩いたことがある。その時は沢木氏が感じたであろう熱気を私も確かに感じた。表現できない活気を。あれは70年代以前の浅草(?)だろうか。日本人でも年齢が上の方は今の廟街、女人街を歩くと懐かしくて楽しいと言う。香港人は楽しいのだろうか?

 

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