タイ人と行く高野山2015(5)奥の院

奥の院へ

タイ人は実にゆっくり歩いて行く。だから色々な景色に気が付く。途中で清浄心院という、実にきれいな樹木、小川、古い建物を供えたお寺があった。前回も見とれてしまった記憶があるが、今回はタイ人たちが足を止め、盛んにシャッターを切る。どうしてこんな鮮やかな庭の手入れができるのだろうか。これもお坊さんが修行でやっているのだろうか。日本で外国人が驚くのは、何気ない場所に行き届いた手入れが見られるところではなかろうか。

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奥の院の入り口、一の橋に到達した。ちょうど天が暗くなり、小雨が降りだした。高い杉木立、深い樹木と古い供養塔、何とも幽玄な雰囲気が我々一行に襲い掛かる。和尚は一生懸命に奥の院について説明しているが、タイ人はどれほど理解しただろう。日本人の我々でも奥の院の存在、何十万にも及ぶ供養塔の数、そして織田信長や豊臣秀吉、武田信玄など歴史上の数々の有名人の墓所、パナソニックの松下家など、当代功成り名を成した人々の墓が、一堂に会している様子は不思議としか言いようがない。『ここが日本仏教の総本山だから』と説明されても、理解は難しい。

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まず手水舎で手を洗い、口を漱ぐ。日本の作法を教えられ、タイ人も挑む。傘を差しながらもカメラは放さない。道は必ずしも平たんではなく、また雨で滑りやすい。かなりゆっくり歩くことになる。タイ人は一般的に速くあることは好きではない。ゆっくり歩き、自分の気に入った場所で止まっては、その場に浸る。この辺は日本人のように決められた時間を守って観光することはない。どこでもみな楽しそうに参観しているのは、羨ましいほどだ。

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上座仏教のタイでは、華人などを除き、一般人にはお墓はない。遺体は荼毘に付し、遺骨は川に流してしまう、とも聞いた。これは輪廻転生、魂は生まれ変わるもの、遺体は使い終わった物という考えから来ているのだろう。ここ奥の院にある無数の墓の中を歩き、しかもその墓が数百年の歴史を持つ、苔むした古い物であれば、ある意味それは驚きではなかろうか。この独特の雰囲気、どのように感じただろう。『素晴らしい!』という声は何度も聞いたが、その本当の感想を是非とも知りたいと思ったが、彼らも英語では説明できないのかもしれない。

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一番奥まで約2㎞、ついに弘法大師御廟の近くに着いた。橋の前で服装を正し、礼拝、脱帽して橋を渡る。ここから先は写真撮影も禁止だ。天皇家や宮家の供養塔が見える。燈籠堂に参内すると、張り詰めた緊張感がある。タイ人たちもここでは静かに祈りを捧げ、願いをタイ語で書いて奉納していた。更には灯籠堂裏手にある御廟前では、日本人と同じように蝋燭に灯をともして差し、花を買って捧げている。このあたりの習慣は、日タイほぼ同じであると言ってよい。団体でお参りに来た日本人の横で一緒に祈っている姿は実に好ましい。

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そのまま灯籠堂を回っていき、左から降りていくのだが、砂利が敷き詰められたきれいなお庭を見た彼女らは、そこを歩き始めた。『そこは立ち入り禁止だ』という和尚の声で、ワッーと戻ってくる。欧米人なども知らずに入ってしまう。何らかの表示がないと、外国人には分からないだろう。いや日本人の若い女性も全く気にせず歩いているのだから、外国人だけの問題ではない。

 

お茶が飲みたいというので、お茶のお給仕がある休憩所へ向かう。だが5時で閉館とかで、まだ5時前なのに、お茶は終了したという。では休憩だけでも、というと、『いつまで居るの?』という眼差しを向けられる。このような対応は大変残念であると言わざるを得ない。何も特別のことをして欲しいという訳ではないが、折角いいお参りができたのだから、温かい言葉の一つもあればよいのに、と思う。タイならこのようなケースはどうなのだろうか。まあどこでもそうだが、人によるのだろう。人にはそれぞれ事情というものがあるのだから。

 

雨が止んでいたので、帰りは奥の院の正門の方へ向かう。こちらには有名な白アリ供養塔やロケット型の供養塔などユニークなものがいくつもあり、楽しい。タイ人に説明すると目を白黒させて、驚いた様子だった。既に夕方、あたりは徐々に暗くなっていく。疲れたのでバスで戻ることにした。バスが来るのを待っていると、観光客のおじさんがタイ人に何か食べ物を差し出した。これに感激したタイ人は自分の持っていた飴をお返ししていた。言葉もほぼ通じない中、心の交流が図られている光景は何とも嬉しい。この辺がタイ人のいいところだ。

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緊急の宿

実は彼女たちは明王院に2泊する予定であったが、なぜか手違いがあり、1泊しか出来なくなっていた。直前に判明したこの事実、大慌てで和尚が宿の確保に奔走してくれた。この混雑の中、突然10名もの宿泊を受け入れてくれるところはなく、最終的に和尚の知り合いで、宿坊などはやっていないが、広い宿泊スペースのあるお寺に特別に泊めてもらうことになった。私も和尚の家からここに移ることになる。

 

荷物は明王院からSさんの車で既に運ばれていた。部屋は何室もあり、皆が集う大広間もあった。全国のお寺関係者など知り合いのみを泊めているとのことだったが、実は台湾人と中国人もここの和尚に師事するため、滞在していた。我々は偶然にも素晴らしい宿に泊まる光栄に浴した。これも全て和尚のお陰だ。有難い。

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