《昔の旅1987年ー激闘中国大陸編》シンガポールー資本主義世界への逃避

〈6回目の旅-1987年2月シンガポール、バンコック、香港〉
―資本主義世界への逃避

1.留学生ビザ

中国に留学した当初、私たちがどの様なビザで入国したかについては、あまり関心を持たなかった。兎に角早く留学期間を終えて、日本に戻りたかった。指折り数えて待つ状態だったのだ。ところが旧正月休みの前になると皆そわそわし出した。何とかしてこの社会主義中国から一時的にも脱出する道を探り出したのだ。今では笑ってしまう話だが、本当に真剣だった。私は寿司が食いたくて、香港に行く道を選んだ。香港には支店に1年先輩が居て、面倒を見て貰えると考えていた。(日本に帰ることは会社から原則許されていなかった。)

ある日とうとう先輩に電話した。そして愕然。『香港は今コレラが流行っているので、なま物は食べられない』という答え。途方に暮れていると『そんなに寿司が食いたければシンガポールにでも行け』とのお言葉。考えもしなかったシンガポール行きとなった。

ところでビザであるが、留学生のビザは一次ビザ。つまり一度出ると入れないので、今後留学出来なくなる。そこで公安に行き、リエントリーのビザを取ることになるが、当時は出入国が厳しく、噂では業務出張の命令書を持参しないと取得出来ないと言われていた。後で考えると可笑しな話(一般の学生はどうするのだ?)であるが、一部の企業派遣生は本当に出張命令を自ら作成して持ち込んだようだ。但し結局は説明書のようなものがあれば、1-2日で取得できたと思う。

2.準備

航空チケットを買いにシンガポール航空のオフィスへ行く。国外に出るのだから、中国民航に乗る必要が無い。シンガポールへ行くのだから、シンガポール航空、この程度の発想。チケットは上海―シンガポールー香港―上海というラウンドトリップ。当時中国にはディスカウントチケットなど全く無いので、何も考えずノーマルエコノミー。贅沢な話だ。これが後で色々と役立つから旅は面白い。

カウンターのお姐さんが、『ホテルは?』と聞く。中国の旅でホテルを予約する習慣が無くなっていたので、この質問は新鮮。予約出来るならとお願いすると予算を聞かれる。全く考えていなかったので、取り敢えずUS$100と答える。『そんな部屋は無い』、えっ、そんな安い部屋は無いのかと思いきや、『そんな高い部屋は無い』とのこと。やはり上海だ、中国人で高い部屋に泊まる人がいないのだ。そう思った。『US$80でシャングリラというのがありますが?』『それでいいや』とんでもない部屋なら現地で代えるつもりで予約した。恥かしい話だが、その時シャングリラホテルがどんなホテルかを知らなかった。

3.シンガポールへ

2月上旬。心ウキウキ。上海に来て最高に高揚した気分。監獄から釈放される囚人の心境(経験が無いので本当は分からないが)。前日予約したタクシーで空港へ。カウンターを探すのが楽しみ。シンガポール航空のカウンターでチケットを出すとお姐さんがニッコリとして『US$40プラスするとビジネスクラスに乗れますよ』とセールス。そんなものに乗る気は無いが、中国でセールスをされたのが初めてだったので、思わずOKしてしまう。ビジネスっていったいどんなクラス?

座席は恐ろしく広かった。機体は恐ろしく?綺麗だった。そうだよ、これが普通の飛行機さ。離陸する時気が付いた。我々以外に2人しか乗っていない、ビジネスクラスに。 スチワーデスのお姐さんがやってきた。前スリットの例の衣装。ああ感激。しかもこのクラスには4人のスチワーデスがおり、客も4人。しかも我々2人を北京語が話せる日本人(珍しいという意味)として、歓待してくれ、常に2-3人が座席の横でお話してくれる。正にハーレム状態。嬉しかったなあ。食事も美味しかった。

夕方6時間のフライトを経てシンガポールに到着。素晴らしい空港。成田より立派。驚き。入国審査もあっという間。何とシステマティックな国。出口でまごまごしているとさっきのスチワーデスが出てきて、タクシー乗り場に案内してくれる。全てに感激。タクシーに乗り込む。北京語で話しかけられる。何の問題も無い。唯一の気掛かりはホテル。上海で予約したホテルは??運転手がここだと告げる。30分ぐらい乗ったろうか?思わず外を見て『違う』といってしまう。運転手を待たせ(同行者のYさんも待たせ)、ホテル内へ。恐る恐る英語で予約の確認をすると何とある。この幸せは表現不可能。何しろ当時オーチャードロードのシャングリラはシンガポールNo.1。あまりに立派で我々が泊まるホテルとは思われない。

ところが『現在部屋は掃除中でしばらくお待ちください。』と言う。やはりここも中国系か、と思ってしまう。中国でも何回も直ぐに部屋に入れてくれなかったので。ちょっと残念な気分になる。ここまでが良過ぎたのだ。仕方が無い。カウンターのおじさんが『あちらのラウンジでドリンクでもどうぞ。』と勧める。無料らしい。そのラウンジは1Fにあった。ソファーがあり高級感抜群。チャイナドレスのお姐さんにビールを注文。また気分が盛り上がる。クーラーが利いており、ソファーにゆったり腰掛ければ、上海の生活も全て忘れる。お姐さんが膝を着いて、ビールをサーブする。この瞬間を私は一生忘れないだろう。やはり資本主義だ、意味も無く大感激。

部屋にチェックインして、また感激。中国では碌な部屋に泊まらなかったこともあるが、今まで泊まったことが無いような豪華な部屋。これまでの生活を超えた資本主義。夕飯はどこが良いか分からずホテルの日本食屋へ。立派そうなレストラン。兎に角寿司を頼んだが、お姐さんが運んでいるざる蕎麦やてんぷらやおひたし等、目に入ったものを全て追加注文してしまった。酒も飲んでしまった。もう全てが幸せで、先のことなど何も考えられなくなった。これまでの人生で味わったことの無い、快感。4人掛けのテーブルに料理が目一杯並ぶ。とても食べることは出来ないが、あるだけで幸せ。したたか酔った。会計もシンガポールドルのレートも分からず、サインする。翌日よくよく計算してみると2人で5-6万円食ったことになる。中国での数か月分の生活費を一晩で??

2日目。特にすることも無いので、観光。申し込んだツアーが英語ツアーで、マレーシアのジョホールバル行き。1日ツアーだ。バスに乗り込むと我々2人以外全て西洋人。ガイドに一番前に座らせられる。英語が分からず、迷子にでもなったら困るということか、我々を徹底マークする。後ろの席はスイス人だったが、第二次大戦では従軍しマレーシアに駐在したとの事。日本軍は強かった、などと笑っていたが、初めて戦争に触れた気分。

国境を越えるとマレーシア。僅か40分ほど。シンガポール水道を越えると道が急に悪くなる。これが国力と言うものか?色々と考えさせられる。ジョホールバルではランの花園などを見た気がするが、良く覚えていない。土産物屋に沢山いった気もする。我々はガイドの予想通り集合時間に遅れないことのみに神経を使ってしまった。

3日目。昨日に懲りてパンダツアーと言う日本語ツアーに参加。セントーサ島へ行く。我々以外は2組の新婚さん。ガイドの言うことなどまるで聞いていない。勢いガイドの注目は我々2人。日本人で上海に住んでいて、北京語が分かる。彼女が見る初めての日本人だったようで、何と途中から日本語ツアーなのに北京語でガイドする始末。何処でも我々3人が一緒。不思議なツアーとなった。シンガポール人は北京語が出来ることをこの3日で十分理解した。英語も北京語も訛りは強いが。尚セントーサの帰りはロープーウエーで戻る。かなり高くて怖かった。

午後は自分たちでチャイナタウンへ。外国のチャイナタウンは怖いというイメージがあったが、ここはお寺があったりするだけで特に中国を感じなかった。オーチャードロードの伊勢丹や、大丸で日本の本を買いまくる。上海生活で見つけたものは全てその場で買う習慣がついている。昼に食べたカツどんも旨かった。

夕方サンセットクルーズへ。未だ暑かったが、船が出ると風が心地よい。冬の上海から来ると南は良い。水は綺麗とは言えないが、気分は良い。

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クルーズが終わるとその足で会社のシンガポール事務所へ。もう直ぐ支店に昇格するという時で忙しそうであったが、Hさんが夜付き合ってくれる。実はこのHさんが私の留学を上に推薦したと言う噂があり、当時結構恨んでいた??こともあり、寿司をご馳走してくれたが、当然と言った気分があった。場所は確かシェラトンの雲海だった。勿論とても旨かった。

4日目。昨夜Hさんから『実は偉い人が明後日からシンガポールに来られる。何と君と同じホテルだ。悪いけど出て行って欲しい』と言われる。えっ、えっ、何で??そうシャングリラは当時シンガポール最高級のホテル。役員が来れば泊まるホテルに入社2年目が泊まっていては何かと都合が悪い。Sさんの提案は『バンコックにでも行って。シンガポール航空のストップオーバーを使えば無料で行ける筈だから』というもの。飛行機に乗るのにお金が掛からないということが理解できなかった。

シンガポール航空に行って見ると、簡単にバンコック行きのチケットを予約できた。魔法にかかったよう。更にバンコックのホテルも格安で予約できると言う。これは我々のチケットがノーマルエコノミーであった為、かなりの融通が利いたもの。現在普通の旅行する時は、当然ディスカウントを使うので、行き先変更などに制限が出る。昔の映画で西洋人などが急に行き先を変更してリゾート地に滞在したりしているのは、この優雅なチケットのお陰かなと思ってしまう。

ところでこの日は既にやることがなくなっており、昨日ツアーで訪れたセントーサ島でゴルフをすることになった。日本でも2度しかコースに出たことが無かったのに、昨年北京で風呂に入りたいばかりにコースに出、いままた暇だからと言う理由だけでコースに出る。日本では考えられない、いや日本の生活は何をするにも窮屈だなあ、としみじみ思ってしまう。

セントーサゴルフクラブは南国のゴルフ場の趣がふんだんにある立派なコース。特にアイランドグリーンになっているショートホールは大海原に向かって打つ景色の良いホール。また途中池にボールを入れてしまったら、池の中の鰐(いやは虫類)がむっくり起き上がってきて、驚いたりした。熱帯でゴルフをするのは非常に厳しい。確か暑さで殆ど脱水症状に陥った記憶がある。

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