神の島久高を再訪して(2)那覇 リタイア生活を始めた後輩

2.那覇

雨の那覇 新恵荘

そんなことを考えている内に3時間弱のフライトは終わり那覇へ着いた。これまた昨年同様、ゆいレールに揺られて市内へ向かう。美栄橋という駅で降りるとすごい雨。どう行けば宿に着くか良く分かっていなかったが、国際通りに向かって走る。結構濡れた。

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今日の宿は新恵荘。ここは台北のHさんが先日泊まり、気に入ったとかで、私の為にわざわざ予約してくれていた。通りから少し入った場所。正直入口が分からず、隣の家に入ってしまった。何とか玄関口に辿り着き、『予約しています』と言うと、オジサンが『今日予約なんかあったっけー?』と。えー?『楽天?』、いやネットじゃなくて?この辺は沖縄らしい間合いだ。

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ホワイトボードを見るとちゃんと今日の日付に私の名前があった。『あー、あるねー。最近はみんなネットだからさー』と言われる。部屋はどこでも使ってよ、開いているからさー。と言う訳で2階の角の部屋になった。今は雨期でオフシーズン。

 

この部屋は畳で6畳はある。だが結構湿っぽい。雨季なのだ。窓はあるが網戸は壊れている。でも問題はなさそうだ。個室で1泊、2000円。。既に外は暗くなってきている。それに雨だ。仕方がない。濡れた服を着替えて、早々に出掛ける。

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Hさんと再会

今晩はHさんと約束していた。彼は元勤め先の1年後輩。入社の時から知っている国際畑。私が辞めた時はロンドンに駐在しており、てっきりまだロンドンにいると思っていた昨年、元上司から『H君、会社辞めて沖縄にいるよ』と言われて驚いた。まあお互い辞めた身、どうしているか会ってみたいと思った。

 

場所はなぜかイタリアン。まあそれもいいか。国際通りを突き抜けて少し行くとお洒落な店があった。どうしてここを選んだのかと聞くと『実は現在読谷村に住んでおり、那覇に出て来ることは稀。嫁さんの勧めに従った』のだとか。そうか、読谷村か、那覇から車で1時間はかかる。彼は昨年ロンドンからいきなりここへ引っ越したらしい。意外と大胆な行動派なんだな。

 

彼は特に仕事はせずにリタイア生活を送っていた。お子さんが小さく、その面倒を見て楽しく暮らしているという。恐らくはこの移住には生活環境なども考慮されたのだろう。1つの理想的なリタイア生活だ。読谷村あたりは米軍の家族などが住んでいた1軒屋があり、地元住民も外から来た人々に慣れており、意外と住み心地が良いという。

 

ここのイタリアン、なかなか美味い。前菜のセットだけでお腹が一杯になる。最近は酒を飲むこともあまりなく炭水化物系を多くとっていたが、酒のつまみだけでサラッと夜を終わらせるのも良いのかもしれない。何だか昔話だの、昨今の旅の話だの、してしまった。ここで会えるとは思ってもいなかった再会。こういう出会いが嬉しい。愉快な夜を過ごした。

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夜10時過ぎ、雨は上がっていた。我が宿の近くまで歩いて行く。気持ちの良い夜だった。那覇は駐車場を探すのが大変だ、と言い残し、Hさんは読谷村へ帰っていた。次回は彼の住む地域に足を踏み入れよう。

 

5月14日(水)

合同タクシーで

翌朝は6時台に起き、コンビニに朝ごはんを買いに行く。普段は朝飯を食べないこともあるが、昨年のこともありちゃんと久高島へ渡れるか、一抹の不安があり、食事を取っておくことにした。ただ付近にコンビニがなく、国際通りまで出る。ここまで来るといくつものコンビニがあり、より取り見取り。

 

8時前には宿をチェックアウト、と言っても誰も起きていないようなので、メモを残して鍵を置いて去る。荷物を預かってもらう必要があったのだ。おばさんが一人、歯を磨いていたが、何と台湾人のお客さんだった。でも日本語は出来た。古き良き台湾を思わせる。一応このおばさんにも言伝を頼んだ。

 

そして荷物を引いて県庁前へ。これも昨年と全く同じパターン。Tさんが全ての車の手配をしてくれており、我々はそれに乗っかるだけだった。楽ちんだ。10数人が集まり、2台のタクシーで。運転手さんを見ると、昨年もお世話になった人だった。昨年メンバーのお気に入りの運転手さんとなっていた。

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8時20分、前回より少しゆっくり目にスタートしたがやはり9時過ぎには港に着いてしまった。昨年はここで10時のフェリーの欠航が分かり、セーファー御嶽へ。それはそれでよかったのだが2年連続は困る。今回は時期が少し早かったため、船のドック入りにはなっていなかった。

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1 thought on “神の島久高を再訪して(2)那覇 リタイア生活を始めた後輩

  1. 読谷は城址があり琉球王国時代の歴史のある地で、戦後は米軍の象の檻と言われる通信施設や、本島に4箇所あった核弾頭ミサイル基地の一つがあったりしました。残波岬という景勝地もあり周辺に今は大型公園や観光ホテルがあり、文化的集会が行われる施設もあります。那覇からは少し遠いが、不動産が安いから時間に拘らない人達が住居を構えている様です。

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