モンゴル草原を行く2013(6)ダルハン 国営体質に苦しむ企業

4.ダルハン

ヘビーな食事

ダルハンはモンゴル第二の都市。だがUBと比べるとかなり小さいようだ。ホテルに着き、すぐに食事へ。昼と夜の中間食、何というのだろうか。3時過ぎたこんな時間でも食事している人がいた。面白い。その人たちがスパゲッティを食べていたので頼む。すると出てきたのはものすごい量。スープもサラダもすべて大きい。とても食べきれない。満腹になる。

 

レストランを出て水などの買い出しに行く。そこから歩いて帰ることにした。何しろ腹が重い。少しでも減らさねば、と思ったが無駄なようだ。歩いていると建設現場が見えてくる。第二の都市もやはり建設ラッシュ。『誰が投資しているんですかね』と地元の人に聞くと『朝青龍じゃないの?』と笑われた。

 

結局その夜は何も食べずに寝ることに。ところがなぜかホテルの外で深夜までウルサイ音楽を流して何かしている。若者が騒いでいるのかと思ったが、どうやらBBQか何かの野外営業らしい。そんなに遅くまでお客がいるとは思えず、もっと早く止めて欲しかった。何しろこちらは腹一杯で、それでなくても寝付けないのだから。

 

8月19日(月)

中国に圧迫されるモンゴル企業

翌朝はダルハン県庁を訪問、県知事と面談した。さすが第二都市の首長、忙しいそうだ。面談中に大統領から直接電話が入るなど、これからのモンゴルを背負う指導者の一人なのだろう。

 

それから突然製鉄所に向かう。こんなところに製鉄所があるのか。何と日本のODAで作られたらしい。さすがに大規模な工場、入るのにチェックが厳しい。1993年に生産を開始、2003年にODA支援が終了。それ以降は自力で生産している。現在従業員は1600人余り。モンゴルとしては大きい。

 

説明してくれた工場長は生産開始から今日まで、この工場の全てを知っていた。恐らくモンゴルでもっとも製鉄に詳しい人なのだろう。その苦労、苦悩が話の随所に表れていた。『もうすぐ定年です』という言葉が妙に重い。

 

工場見学もさせてもらった。熱い鉄が流れてくる。26年前、上海留学中に宝山製鉄所を見学した日を思い出す。日本の技術がアジアで使われている素晴らしい光景だった。これからは一層技術革新がなされていくだろう。原料となる資源はモンゴルにあるのだから。ただ中国から安い鋼材が入ってくる。この競争に打ち勝たないと、企業はやっていけない。

 

財閥系セメント工場にも行った。ここの責任者若く、英語を話した。シンガポール留学中にスカウトされ、シンガポール企業のモスクワ事務所で働いた。最近戻ってきてここにいると。中国より安いセメントがどんどん入ってきて、価格競争が起こり、厳しい状況だ。グループ企業ですら、安い方から買っている。

 

中国系企業はセメントを前渡し、代金は6か月後でよい、といったファイナンス付で市場をかく乱している。『中国から圧迫されるモンゴル』という図式が見えてきた。価格競争では大量生産の力に負け、付加価値の高い製品作りには技術が伴わない。中国経済が減速していくと、更に中国企業からの圧力が強まりそうだ。

 

韓国レストラン

当初言われていたほど、羊肉は出て来なかった。これもある意味、食生活の変化、多様化だろうか。それでもさすがに地元料理に飽きてきた。するとNさんがあっちに『ブルゴギファミリーがあります』という。何だそれ、と思っていると、何と韓国料理屋だった。よくぞこんなところに韓国料理がと思ったが、結構な人気店。お客は常にいたからすごい。

早速ビビンバを注文。キムチ、野菜などの小皿は頼まなくても出て来る。これは本当にありがたい。スープもあっさりしている。周りのテーブルでは皆カルビやロースを焼いている。羊から牛へ、確かに昨日行った牛肉加工業者は成功だろう。所得が上がり、食文化が変化する、モンゴルは今そのような時代を迎えている。

それにしても『困った時の中国料理』という話は旅の中でよく出て来るが、これからは韓国料理かもしれない。アジア全土、そしておそらくアフリカなどにも韓国人は果敢に進出しているに違いない。日本料理は、今後日本人以外が店を展開していくだろう。

8月20日(火)

国営工場のその後

翌日も企業訪問を続けた。元国営の皮工場。チェコの支援で毛皮のコートなどを作っていたが、1993年に民営化。しかし96年には操業ストップに。2000年に経営陣を刷新し、株式会社へ。ある意味、典型的な国営企業の変遷。その後上場している。日本人でも株を持っている人がいるという。

国営時代の概念を取り払い、デザインを一新し、営業にも力を入れた。国内販売のみならず、牛の半製品をスペインやイタリアに輸出しているとか。とても愛想のよい営業責任者の女性が一生懸命説明してくれた。

その後食肉加工工場へ。ラクダ以外の全ての家畜を扱っている。工場、オフィス共にとてもきれい。衛生には特に気を付けており、『遊牧民の伝統的な衛生概念を変えたい』という思いが感じられる。ここでは生の肉から、ソーセージ・ハムの加工、またボーズと呼ばれる肉まんの冷凍食品なども製造している。

ここの社長は90年代元々UBで有名な食品市場を立ち上げ成功した三兄弟の一人。兄が急死し、ダルハンの元国営工場を買収し、食品会社を経営するようになった。設備などを一新し、何とか軌道に乗ってきた。と言っても買収金額が少なく、既に企業価値は相当上がっているようで、投資は成功したという。

非常に有能な経営者と思われ、話もテキパキしている。中国に生肉を輸出したいが認可されない。何とか食習慣が近い内モンゴル市場へ食い込みたい、日本に馬肉を輸出したいなど、次々に新しい発想を持ち、実現させていくようだ。

国営体質のホテル

午後2時過ぎにホテルに戻る。これまで2日間はランチがなかった。色々とアポをアレンジしてくれ、食事をする暇がなかったのだ。中国では間違ってもこのようなことはなく、もし昼を食べさせなければ、文句が出るだろう。国民性の違いか。ホテルのレストランで羊スープの麺を食べる。意外とおいしい。

 

その後ホテルのマネージャーに話を聞いた。このホテルは旧国営の古い体質、彼女は大学院で経営を勉強して、ここに人事部長として、1か月前にやってきたばかりだった。彼女は昨日訪問したセメント会社でも働いた経験があったのは、世間が狭い証拠か。

 

このホテル、部屋が古いのは仕方がないが、インターネットの高速化を進めるなど、ハード面では改善策を講じていた。だがソフト面、特に従業員の確保、教育には苦労していた。レストランのウエートレスは殆どがバイトの学生。現代的なサービスをしようにも人材はいない。また従来からいる従業員の意識改革も進めなければならない。『サービス』という意識もなく、『責任感』もない。これら国営体質の打破が彼女に与えられた任務。人事制度改革と研修、彼女の2大目標だ。

 

日本を評価するパン屋さん

 

 

そして夕方、もう1軒訪問した。パン工場、1971年設立。ソ連の支援を受けてパンを製造。90年代は原料の小麦の調達にも苦労するなど厳しい状況が続いていたが、2000年頃民営化。05年には株式会社化し、経営陣を全て入れ替え、国営体質を一掃。4年後にはモンゴルトップ150企業に入るほど成長した。現在ダルハンを中心に、15台のトラックで毎日スーパーなどにパンや菓子を卸している。

 

ミーティングの間に出されたクッキーがとても美味しかった。オランダから技師を招いて、パンやクッキー製造に当たっている。これなら海外に出しても売れるのではないかと思う商品まである。生クリームをパンにつけて食べると、得も言われぬ美味しさ。全員が日本への輸出を進めたが、『日本は検査が厳しい』と。

 

何とモンゴル国内でも、現在ダルハン、セレンゲ、ユルデネットの3県のみで販売しているという。相当慎重な経営方針のようで、『現在UBへの進出を検討しているが、まだ自信がない』とか。支払いは現金、借金もない。優良会社だ。

 

社長は日本モンゴルセンターの研修を受け、日本への視察にも行ったという。日本の5Sなど管理手法も採用、会社の規律も日本から導入した。営業部長は『日本のお蔭で弊社はここまでになった』と非常に親切で、夕方日が落ちる頃まで延々と質問に答えてくれた。日本の良さを理解してくれるモンゴル企業、大切にしたい。

 

因みに大きな夕日が落ちる中、ホテル近くのスーパーへ行った。食品売り場にはさっきのパン屋さんのパン専用コーナーがあり、お客がどんどんパンを買っていた。

 

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