モンゴル草原を行く2013(5)セレンゲ 自然の中に生きる人々

聖なる母の木

ほろ酔い気分で観光へ。といっても『聖なる母の木』を訪ねる。ほろ酔いではマズイ。モンゴルの精霊信仰の1つだろう。樹木に対する信仰は深い。そして驚くことに聖地の周囲は全てレンガ茶で囲われている。お茶と聖地、宗教と茶、非常に興味深い。

 

この囲われた場所は元々母なる木があった場所とされ、木の切り株に皆が頭を下げ、頭をつけて祈っている。中には体全体を大地につけて、祈る姿もあり、チベット仏教との深いかかわりも見られた。この辺りに来た観光客は聖地ということでやってくるのだろう。多くの人が祈りを捧げている。

 

日本語でこの儀式についてN教授と話していると、後ろから『この紙を木の枝に巻き付けて』と日本語で言われ、ちょっとビックリ。モンゴル人女性が日本語を話している。『日本で勉強したことがあるの』という彼女。モンゴルには日本に住んだことがある、日本語が出来る人が人口比で言うと非常に多いと言われたが、目の前に現れると納得してしまう。

 

そして現在のご神木へ。高い木が一本そそり立っていた。周囲には無数のカタ―(布)が巻かれているが、何となく象徴に過ぎないような雰囲気がある。やはり元の木が大切、ということだろうか。因みにこのカタ―、チベット仏教で用いられる。青海省西寧のお寺に行っても、インドのラダックに行った時も見られた。モンゴルでは高僧謁見の際、五色のカタ―を重ね合わせるという。道理で色とりどりのカタ―があるわけだ。チベット仏教とモンゴル、勿論歴史的に大きな繋がりがある。

 

8月17日(土)

モンゴルNo.1の小麦農場を見学

本日も郊外へ出る。草原の中に牛がいる。羊や山羊ではない。これは牛乳を搾るための牛だろうか、それとも食用?とにかくのんびりした雰囲気が出ていて、とても良い。思わず車を止めて記念撮影。

それからいかめしい門を潜り、工場へ向かう。すごく立派な小麦の貯蔵施設が見える。草原の中、ここだけが別世界のようだ。モンゴル全体の15%の小麦をここで扱っている。牛も5000頭輸入し、食肉用として加工している。ここは一大食料備蓄設備のようだ。道理で設備がデカい。

ここのオーナーは元々金鉱山の開発で財を成したいたようだが、農牧に目を付け、2003年にこの地で事業を始めた。小麦は国策で政府が買い上げる。しかし2年前より支払いは止まっているらしい。政府資金の枯渇か、それとも不正か?小麦以外ジャガイモなど他の農作物にシフトしつつあるとの印象がある。これからはモンゴルでも牛肉を食べ、牛乳を飲む飲食文化が出て来ると予想。またアメリカ製のコンバインなど農業機械の代理店となり、モンゴル全体の小麦生産を機械のリースでサポートしている。このような動きも重要だろう。

工場敷地内に宿舎もあり、モンゴル全土から従業員を集めているが、人手不足とか。農業における人材の確保も重要性が増してきている。尚ここでランチをご馳走になった。牛肉とサラダ、とても美味しかった。こんなに美味しい食事が出て来るのであれば、従業員は集められそうな気がするのだが。やはり若者は都会を目指すのだろうか。

自然の中で蜂蜜を取る

別の場所に移動した。道端に車が待っていた。何とランチを食べるために待っていてくれたのだった。予想外の展開。我々はお腹一体だったので、飲み物だけにした。そしてまた車で、草原の中へ入っていく。

気持ちの良い草原に花が咲いている。その向こうに箱が置かれている。何だろうと近づいてみると、マスクをした人たちが小さな跳び箱のような箱を開けている。そこから蜂蜜を取り出していたのだ。棚にこびり付いた蜜を小刀で削ぎ取っている。車の中には機械があり、蜜を入れて回すと、濃厚な蜂蜜が絞り出されてくる。

そしてまさに大自然の中、皆でその蜂蜜を飲んだ。舐めるだけかと思っていたが、コップが渡され、何とウオッカを混ぜて飲んだ。強い酒を混ぜると強さが分からなくなり、どんどん飲めてしまう。途中頭がくらくらしたが、それがまた心地よかった。強い日差しに目が回る。

この事業は6-8月、花が咲く場所に合わせて移動しながら行われる。花から花へ、何とも優雅。この辺りは花の種類が豊富で蜂は50種類の花に触れ、蜜を作り出す。何というエコだろうか。ただ蜂蜜は国内需要がないので、日本などへ輸出されている。大自然の中で、1年の内3か月だけ働く。これは理想的な仕事の仕方ではなかろうか。聞けばこちらも人手不足。いっそこのキャランバンに付いて働いてみようか、と思ってしまうほど。モンゴルでは唯一ここだけで蜂蜜で作られているという。

カラオケBBQ

ホテルに戻る。ちょっと疲れた。蜂蜜ウオッカが効いたのかもしれない。少し横になる。そしてまだ明るい内に、レストランに向かう。今日はセレンゲ夜の最終日、初日にゲルBBQを開いてくれた社長などを招き、あのBBQ名人の夫妻が経営するレストランで、カラオケパーティーを当方主催で行う。

 

既に食事の用意はできていたが、また羊ではなく、鶏肉などが中心。結局今回は羊を食べる機会が殆どなかった。それもまた皆さんの配慮の結果だろう。参加者が集まってきて、何となく会が始まる。そして何となく芸が披露される。社長の4歳のお嬢さんが幼稚園で覚えた踊りを披露、N教授とA教授がお返しに、子供向け踊りを披露。芸域の広さが際立つ。そういえばモンゴルでは幼稚園が不足しているそうだ。数だけでなくノウハウも欲しいという。日本の幼稚園を参考にしたいとの話。こういう交流もあるのか。

 

その後はカラオケ大会に。今や地球のどこに居てもカラオケが出来る。衛星カラオケ、日本語の歌がモンゴルとロシアの国境で歌えるなんて、凄い。BBQ屋の奥さんは日本語の歌が上手い。きっと日本で仕事している時に、カラオケに行って覚えたのだろう。その旦那はモンゴル語で歌い、そして強烈に踊る。娘さんは現在大阪日本語学校に通っており、一時帰国中。若い歌声が響く。そして運転手君も横須賀仕込みの歌を。何と吉幾三の『酒よ』だ。みんな、歌が上手い。

 

3時間ぐらい、歌っただろうか、最後はディスコのようになり、踊りまくっていた。楽しい夜だった。モンゴルでこんなに日本が意識できる機会はそうはないだろう。日本とモンゴルがとても、とても近く感じられた。

 

8月18日(日)

サウナシャワー

翌日は昨夜の疲れが出て、昼まで休息とした。シャワーを浴びようとしたが、お湯が出ない。何と水漏れが発生していた。スタッフが来て治そうとしたが、治らない。すると『地下にサウナがあり、そこでシャワーが使えるよ』というではないか。行ってみると確かにサウナがあり、シャワーもある。

 

これがロシア式のサウナか。まるでクラブの個室にサウナが付いている感じで、立派なソファーセットがあり、酒が飲める。ここでウオッカの一気飲みを繰り返しながら、政治や商売を語るのだろうか。ここにもモンゴルにおけるロシアの影響を見た。

 

そしてセレンゲを離れる時が来た。随分長くいた気がする。不思議なほどの愛着がある。日本との共通点も多かったということだろうか。A会頭がわざわざ見送りに来てくれた。本当に我々の為に色々とやってくれた。いい人だ。彼が支えるセレンゲの中小企業、これから経済が厳しくなる中、何とかやって行ってほしいと願う。

パンクしたのでゲル突撃訪問

モンゴル第二の都市ダルハンへ向け出発した。だがすぐに大きな競技場が目に入り、停まる。何とモンゴル相撲の競技場だという。それにしても大きい。競技場の前にはモンゴル相撲の王者の像が輝いている。さすがモンゴル。

そして車は順調に走っていたが、何と我々が乗ったランクルのタイヤがパンクした。いつ治るんだろうか、と心配してみていると、全く心配していないばかりか、むしろこれを喜んでいるN教授がいた。『向こうにゲルが見えるぞ。突撃しよう!』と歩き出す。皆半信半疑で付いて行く。1.5㎞ぐらいあったろうか、草原を突っ切りゲルに到着した。

ゲルでは我々を快く迎えてくれた。これは草原の掟らしい。来る者は歓迎すると。早々に中に招き入れられ、お茶が出される。このお茶が美味い。ヤクの新鮮なミルクで作っているらしい。驚くことには、このゲルの中にはテレビもあり、PCもある。実は裏に衛星アンテナがあり、何十局ものテレビ番組を見ることもできる。勿論携帯もあり、移動も最近は車でする。我々が思っているゲル生活より遥かに現代的だった。

『息子と娘はUBの大学へ行って先生になった』とも。ここにやってくる時は2人ともランドクルーザーだとか。長男が後継者として残っているが、『昔は草原で嫁が見付かったが、今は街に行かなければ見つからない。このゲルを継いで行けるかは分からないし、継げなくても仕方がない』と諦め顔で話す。このゲルの主人は遠くから我々が来るのを見ていたという。馬に乗って戻ってきた。さすが草原に生きる人だ。

パンクしたのは偶然ではないのだろう。こうして人と人は繋がり、そして別れる。これが草原の掟、だと思う。馬で戻りたかったが、パンクを直した車がそこまで迎えに来ていた。今は馬から車の時代になったのだろうか。



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