モンゴル草原を行く2013(4)セレンゲの企業経営者たち

女性社長は担ぎ屋さん

午後はセレンゲで大規模農業をしている会社を訪ねる。小麦が主体のこの会社、社長は女性だった。彼女はソ連が崩壊した20年前、農業大を出てコルホーズに勤めていたが、物資の欠乏に目をつけて、ロシアとモンゴルの間の所謂担ぎ屋を数年やったらしい。これをモンゴルでは『豚を引っ張って歩く』と称するとか。

 

今回訪問した多くの経営者が、実は90年代豚を引っ張っていた。そこで蓄積した資金を元に事業を始めている。ここの社長も90年代後半、コルホーズが行き詰るとそこの株を買い、農地を買い、成長してきている。そして『民間初の女性社長』として取り上げられ、最近はJICAの支援で、農業設備を購入したりしていた。

 

オフィスから出て小麦畑に行った。道は途中からなくなり、ランドクルーザーでなければいけないような悪路となる。流れている小川を横切ったりする。ワイルドだ。そして一面の小麦畑。何だか楽しくなる。

 

帰りに大きな池の側で停まる。ここは夏の間、子供たちが泳ぐ遊び場となっていた。ここセレンゲは一般的に思うモンゴルとは違う。普通の畑があり、水がある。淡い色の花が咲いていたりする。実に良い所だと分かる。

8月15日(木) 

フェルト靴工場

翌日は朝からホテルの近くのフェルト靴屋さんへ。N教授は数年前に訪問したことがあるようで、旧交を温めていた。ご主人はUB、奥さんがセレンゲ出身。90年代にパン作りで成功したが、親戚に横領され、2000年に倒産。そこから苦労の末這い上がり、2005年にノルウエーと共同で、今の事業を開始。最初は言葉も通じなかったというが、原料がよく、デザインもいいことから注文が続き、今ではモンゴル内から買い付けに来るという。

 

最近テレビ番組に出演、その注目度が一気に上がった。だが、内実は自転車操業。デザインは他社に盗用され、銀行融資は受けられず、生産効率も高くない。モンゴルの中小企業の悩みがハッキリと出ていた。テレビをきっかけに様々な支援が入ることを望んでいる。海外への売り込みも狙っており、ドイツのNPOがHPを制作してくれたりしている。

 

このフェルト靴、何よりも暖かい。冬の寒いモンゴルでは室内履きにする人もいるようだ。特に子供靴は可愛らしい。孫がいたら、買い求めたい一品。A教授はすかさずブーツを購入。A氏は直ぐに誰とでも仲良くなるタイプ。皆を笑顔にする。

 

フェルトの帽子、は昔モンゴルでもよく被られていたらしい。旧共産圏のチェコあたりで作られていたそうだが、今では市場でそれを見つけることも一苦労。あったとしても相当高額のようであり、このフェルト靴も、もう少し値段が上がってもよさそうだ。その為には市場の開拓が第一。

 

なぜかほのぼのとした家内工業。雰囲気が良い。長男も後継ぎとして帰ってきたとのことだったが、勤めていた銀行が破たんしたとの話もあった。モンゴル経済は冬の時代を迎えるのだろうか。

 

バイオアグロ

午後はバイオアグロの会社へ。何と沖縄の教授が開発したバクテリア菌を使い、作物の生産量が飛躍的に伸びるらしい。昨日訪問した小麦農場も実はここの肥料を採用し、生産量を伸ばしていた。社長曰く、『生産量が伸びれば、肥料の売り上げも伸びると思ったが間違いだった。成功した農家は絶対にその秘密を他にばらさないから。また収穫量をごまかし、税逃れする企業も多い』、なるほど。

 

肥料だけで収益を確保することは難しいうえ、政府は予算で安い肥料を購入し、無償で農家に分けているのも痛い。肥料は海外から安い商品が入ってくるので価格では対抗できない。一方輸出は国家間の協定が必要だが、なかなか交渉してはくれない。

 

この会社のオフィスは国有企業時代のまま。せっかく良い商品を持っていながら、それが生かせない。政府も色々と利権があり、民間企業を支援しない。これもまたモンゴルの1つの問題である。

モンゴル緑茶

夕方A会頭のオフィスに向かう。ここでお茶農家と会うことになっていた。私はお茶と聞くと現場の農場まで是非行きたかったのだが、時間がそれを許さず、逆に農家の嫁さんがわざわざ車を飛ばして会いに来てくれた。片道3時間以上はかかるそうだ。恐縮。

 

ただ話を聞いてみると当たり前だが、茶の木があるわけではなく、茶葉が使われている訳でもない。高原で採れる花などを使い、茶として飲んでいる。カフェインがなく、飲みやすい。これは健康に良く、むくみや骨粗鬆症にも効果があるという。一種の薬にもなるようだ。

 

モンゴルでは従来茶葉はなく、ソ連時代は遠くグルジアから運ばれてきた。ただこのお茶には苦みがあり、砂糖とミルクをたっぷり入れていた。いずれにしても茶葉は不足していた(60年代以降中ソ対立により、中国から茶葉が入らなくなったことが影響)。

 

92年に生産を開始。最近の健康ブームにより、砂糖ミルクを入れずに飲める飲料として、『モンゴル緑茶』と称して、販売を拡大している。現在はリピーター中心だが、スーパーなども取り扱いを始め、またキオスクなどへの直接販売も始まっている。面談が終わると、『日のあるうちに山へ帰る』と嫁さんは車を飛ばして戻って行った。

 

スモークフィッシュで大宴会

Nさんが市場へ行った。そして河魚の燻製を買ってきた。これはとてもうまかった。段々普通の食事にも飽きてきたので、魚をあてに一杯やる。N教授などは望むところで、仕入れたビールやウオッカを取り出す。それにしても、セレンゲはとにかく豊かなところだ。モンゴルにもこんなところがあるのかと本当に驚く。

 

   

 

部屋のテレビもきちんと映った。ロシア語の放送だが、世界陸上を生中継している。日本ではTBSが織田裕二をキャスターに起用して放映しているはずだが、日本選手ばかりにスポットを当てて、引っ張りに引っ張るが、こちらはどんどん競技を中継してくれるから嬉しい。

 

勿論モスクワで行われているのだから、ロシア選手が注目されているが、日本選手も映ってくるし、中国選手も出て来る。このような放送がモンゴルで見られること自体、興味深い。当然モンゴルでロシア語が出来る人は多いし、特にここは国境である。当たり前なのかもしれないが。

8月16日(金)

競馬協会会長は運送屋さん

今日もセレンゲ。ここは本当に色々なものが見られる。これも商工会A会頭の尽力だ。午前中は何と競馬協会会長の所へ行く。モンゴルには草原の競馬がある、賭け事というより、遊牧民のスポーツだろうか。会長の体格もいかにもがっしりしている。

 

この会長、運送・貿易会社の社長さんでもある。ロシア‐モンゴルの国境運送に長年携わってきている。90年代より中国企業と合弁で事業を展開。近年はロシアと中国を結ぶ役割が大きくなってきている。馬乳酒を作ったり、馬肉を輸出したりと馬に関わる仕事もしている。

 

レンガ工場も経営しているが、『今年は去年の半分の売り上げ』と嘆く。経済状況が悪く、学校建設などの予算が削られている。中国の景気減速の影響は大きく出てきているようだ。UBの建設ラッシュもいずれ止まるのではないか、とふと思う。

 

元外交官の絶品スープ

昼前に郊外の農園に行く。チャルツラン?という実からオイルを採っているという。社長の家に行くと、何ともお洒落な造り。社長は何と元外交官で、モスクワのモンゴル大使館勤務経験もあるという。確かに品のある人だ。退官後、これからは農業だ、と思い、セレンゲに住み、様々な商品開発などを行っている。

 

お昼ご飯を用意してくれていた。何と社長自らが農園で採れた野菜などをたっぷり入れたボルシチを作ってくれていた。この濃厚な味、忘れられない。数時間煮込んだという。サラダなどもふんだんに出てきて、さすが農園と思う。そしてお昼からウオッカ一気飲みが始まる。ボルシチとウオッカで酔いしれる?

 

社長の息子たちはアメリカ・カナダなどに住んでいるようで、1年の半分は向こうで暮らすそうだ。『夏はモンゴルだよ』という言葉に生活の豊かさが感じられた。こんな『半引退生活』はすてきだな。



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