《昔の東南アジアリゾート紀行》‐1991年コタキナバル

3.1991年12月 コタキナバル

(1) 香港赴任
1991年2月に台北から香港に転勤した。そして5月に家内と長男を呼び寄せ、漸く家族3人の生活が始まった。私には夢というべきものは無かったが、何となく小さい子供を連れて旅行したいという気持ちはあった。

ところが最初の夏休みは家内の母が孫と離れて寂しそうだということで、日本に帰ることにした。但しただ帰るのでは面白くないので、福岡、長崎の旅をした後、実家に行ったのだ。長男は丁度何を見ても直ぐに触りたくなる年頃。福岡のホテルは日本的(かなり狭いという意味)で、ベットの上から何でも手に触れることができる為、世話が大変であった。

長男とは1歳3ヶ月まで一緒に暮らしていなかったので、香港に来ても今一つ懐いていなかった。公園に連れて行くと『ママ、ママ』と直ぐに泣き出し、周りのアマさん達から誘拐犯と間違えられそうになったこともある。

(2) タンジュンアルビーチ・ホテル
その年のクリスマス前(旅行費用が上がる前)、マレーシアのコタキナバルに行くことにした。理由はキャセイの直行便で2時間で行けること、空港からホテルまでが近いことの2つであった。更にホテルはビーチリゾートで、浜辺がある。何となく楽しそうである。

赤ん坊は航空会社の規定で2歳まではノーマル料金の10%で飛行機に乗れる。皆旅行は2歳前に行こうとしていた。(私は当時JALのカウンターで『うちの子供は6kgしかないので預ける荷物と一緒にして料金無料でいいでしょう?』と言ったところ、『それなら荷物ですから、万が一のことがあっても責任持てません。』と切り返され、スゴスゴ引き下がったことがある)。

コタキナバルのタンジュンアルビーチ・ホテルは本当に近かった。香港から飛行機で2時間ちょっと、そして空港からホテルまでは車で10分ほどであった。2歳前の子供を連れた者にとっては非常に便利である。

このホテルはシャングリラ系列で当時この街唯一の極めて豪華なリゾートホテルであった。部屋もゆったりしており、居心地も良い。今回はキャセイのパッケージツアーであったが、シーズンオフということで、シービューの良い部屋であった。尚このパッケージは往復の航空券、ホテル代(朝食付き)、ホテルまでの送迎が付いており、その後も良く使った。

ホテルには大きなプール、庭、ビーチがあり、大いに楽しめる。翌日プールに入っていると子供が他の子供と遊び始める。良く見ると日本人の子であった。後で家内が聞いてみるとコタキナバルとは目と鼻の先にあるブルネイに駐在する一家であった。ブルネイの首都バンダルスリブガワンには何とヤオハンがある。ここのヤオハンは王室御用達と言われ、王族が買うものは一般人には売らないと聞いた。靴1つが必要でもその店の在庫全てを買って帰るとのこと。また人口僅か30万人のブルネイでは石油により収入が豊富にあり、皆豊かである。普通のOLが通信販売でグッチやエルメスのバックを買っている。世の中には不思議な国があるものだ。

(3) ビーチ
3日目はビーチへ。ホテル前のビーチで砂遊びなどをしているとホテルの従業員が『ボートで無人島に行けばよい。海ももっときれいだ。』などとアドバイスしてくれる。ボート乗り場はビーチの端にあり、直ぐに行ける。但し本当に無人島なので昼ごはんや飲み物を持参する必要がある。

我々3人はボートに乗った。ホテルのランチボックスを持って。何だか子供の時以来のピクニック気分で嬉しい。20分ほどエンジン付きボートの乗ると周りは何も見えない海。そこに無人島が見えてくる。島には木が生い茂っており、ロビンソンクルーソーを思い出す。子供の頃一番好きだった物語だ。何時かクルーソーのように誰もいない所で暮らしたいと思っていた。

到着するとボートのおじさんは午後迎えに来ると言う。本当に取り残された感じ。周りを見ると既に西洋人が3人、香港系が3人、日なたぼっこをしていた。我々も早速ビーチで砂遊び。飽きるとシートで寝転がる。楽園である。昼飯もサンドイッチとフライドチキン、ピクニックである。

午後寝転んでいると、ボートが見える。岸に乗り上げると2人の人間がライフセーバーの格好で歩いてきた。私は丁度雑誌を読んでいたが、彼らは真っ直ぐ私の前にやって来て突然、『現地の人ですか(当地人)?』と何と北京語で聞いてきた。一瞬怯んだものの直ぐに『違う(不是)』と答えると、先方はかなり驚いて、シンガポール人か?香港人?台湾人?大陸人?と続けざまに聞いてくる。全て違うと答えると、途方に暮れたように『何人だ?』と聞く。日本人だと答えるとひどくビックリして、『日本人が北京語を話すのを初めて見た。』と顔を見合わせている。

その後彼らとは30分ぐらい話した。行き成り北京語で話しかけた理由は地元の人間でも中華系の彼らは先祖の出身によって広東語、福建語など使用言語が違うこと、若者は皆華人学校で北京語を習っており、共通語として使われていることなど。マレーシアはなかなか面白いところだとその時思い、その後ずっとマレーシア贔屓である。

しかしこの無人島で、しかも観光客しかいないはずの島で、何ゆえ私に北京語で話しかけてきたのか?それはとうとう分からなかった。横で家内が不思議そうに首を振り、『よっぽど現地人に見えたのね?』と頷いているのが、何となく悔しい。

(4) 食事
ホテルでの食事は2-3日で飽きてしまうが、子供が小さいとなかなか外に食べに行けない。彼は好きな時間に寝るし、食べられない物も多い。ホテル内では、例の海南チキンライスを見つけ、愛用。それとスチームボート。2人で食べるには多過ぎるが、このスープは美味しい。魚、野菜などがふんだんに入り、消化にも良い。それから一番リゾートらしいのが、プールサイドでフライドポテトを食べながら、コーラを飲むこと。毎日これをしていると極楽気分になれる。

(5) リゾートの鉄則3
現地に馴染むことは大切である。しかしあまりに同化してしまうのは如何なものか?

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