マカオ歴史散歩2004(8)教会巡り

【ルート3】2004年12月19日

今回は教会巡り。マカオといえば、荘厳な教会が沢山あることでも有名。一体どんな教会に出会えるのか、非常に楽しみにしてきた。クリスチャンでもない私が教会と言うのも何だが、教会内に入り椅子に腰掛け、静かに目を閉じるとマカオの喧騒は一度に吹き飛び、実に豊かな気分になれる。

(1) 聖オーガスティン教会

マカオ一の繁華街、新馬路でバスを降りる。民政総署の横の道を登る。今まで大勢の人がいたことが嘘のような静けさがそこにある。聖オーガスティン広場。大きなガジュマルの木がどっしりと構える。また石畳(カルサーダス)が見事。

その横にかなり古めかしい教会がある。聖オーガスティン教会、歴史のある教会である。実にこの場所に応しい雰囲気を持つ。中はさほど広くなく、特に目立つものも無い。ただ静寂があるのみ。この辺りにはセナド広場の喧騒は全く無く、僅か数分とは思えない違いを見せている。

 

尚1週間後のクリスマスイブの夜、この広場にやって来るときれいにライトアップされ、大勢の人でごった返していた。教会内もイサに訪れた人々で溢れ返っていた。但し多くの人がマカオに出稼ぎに来たフィリピン人であり、マカオ人の姿は少ない。

(2) ロバート・ホー・トン図書館

聖オーガスティン広場の反対側にはロバート・ホー・トン(中国名 何東)図書館がある。元々何東の別荘だった建物でクリーム色の壁に南欧風の建物が歴史を感じさせる。こんな図書館があれば入ってみたいな、きっと歴史的に素晴らしい本があるに違いないと思わせる雰囲気がある。

しかし残念ながら当日は全館改装中で、中に入ることは出来なかった。庭には無残に木材が積み上げられ、木々が窮屈そうに門の外を覗いている。作業員が歴史的な建物に無造作に手を掛け、修繕に励んでいた。

ロバート・ホー・トン(1862-1956年)はイギリス人の父と中国人の母を持つ中英混血児。香港の中央書院を卒業後、1894年にジャーディンマセソンの総買弁となり、巨万の富を築く。現在マカオのカジノ王と言われているスタンレー・ホーは何東の弟の孫に当たる。

スタンレーは裕福な家庭に育ったが、学生の時に一族が破産。苦心の末に巨万の富を築く物語は香港のサクセスストリーの代表。確かアンディラウ主演で映画化されている。尚当人はマカオから相当の利益を上げているが、昔問題を起こしたとのことでマカオには居住出来ないとの話もある。

(3) ドンペドロ5世劇場

図書館の前から聖オーガスティン教会の前を通ると、直ぐに荘厳な建物がある。ドンペトロ5世劇場である。言われれば如何にも劇場のようであるが、かなり狭い敷地内なのでそれとは分かりにくい。

1860年マカオに住むポルトガル人の『マカオクラブ』として建てられる。東洋一古い男性専用社交クラブであり、マカオのオペラハウスとしてセレモニーやコンサートも行われる。
現在クラブ会員専用で一般には公開されていない。奥にはレストランもあるが、こちらも会員専用であろうか?

ところで17-18世紀マカオには世界語があった。パットゥワと呼ばれ、ポルトガル領内、マカオからチモールあたりまで、交易が行われた場所で使われていた。マレー語、広東語、英語などが一文の中に混在する不思議な言語。この劇場でも男性が女装してパットゥワを使った喜劇を上演していたらしい。

(4) 聖ジョゼフ教会

ドンペドロ劇場から道が下る。官印街から風順堂上街に曲がる所に聖ジョゼフのセミナリオの入り口がある。しかし中に入ることは出来なかった。今日は日曜日、学校は休みのようである。このセミナリオは先程の図書館の横に裏門があるからかなりの敷地といえる。

1728年イエズス会の宣教師の教育を目的に建てられたという。セミナリオはカトリックの全寮制学校であるから、その後は学校として使われてきたのであろう。現在の建物はかなり新しく見えた。

その隣に1758年に建てられた聖ジョゼフ教会がある。実に荘厳なバロック式建築。入り口は低い所にあり、門を抜けると階段、その階段を登ると少しずつファザードが見えてくる。この光景は良い。

教会の中はかなりの広さがあり、天井はドーム型でイエズス会のマークがある。柔らかいクリーム色の堂内には午後の日差しが差し込み、何ともいえない和やかな雰囲気を醸し出す。

右手にはフランシスコザビエルの右腕の骨が飾られている。しっかりと石の入れ物に保管されており、中は見えにくいが、これがあのザビエルの骨かと思うと緊張する。ザビエルについては、日本にキリスト教を伝えら人物として歴史で習うのであるが、それは彼が偶然日本にやってきたという誤解を伴う。

彼は彼の強い意思で日本にやって来て、そしてその後の布教活動を切り開いている。最初は受け入れられず、大変な困難に遭うが、その執念というか、信念というか、敬服に値する。その後この骨に触発されてザビエルの死んだ島を旅した。 こちら

(5) 聖ローレンス教会

官印局街の裏門がしっかり閉まっている教会。入ることが出来ないので外から眺めると立派な建物が見える聖ローレンス教会。庭も広い。1558-60年に最初の教会が建てられたというから歴史は相当古い。当時は木造であったが、1618年には土壁に建て替えられた。現在の建物は1803年に再建されたもの。

 教会の敷地は裏門が高い位置にあり、正門は海に向かって低くなっている。横から見ると高い外壁の向こうにクリーム色の建物がきれいに見える。しかし正面のファザートを見ると何とも言えない味のある、歴史を感じさせる佇まいである。左上の時計、右上の小さな鐘。クリーム色の外壁が少し汚れているところが何ともよい。

正門横には大きなガジュマルの木がそそり立っており、よい木陰を作っている。この木は教会の高さに追いつく勢いがある。教会の変遷を全て見てきたという顔をしている。ここから下る道を見ると、海が見える。この木は教会の守り神であったのだろうか??

 この付近は昔のマカオの風景が残っている。19世紀のイギリス人画家、ジョージ・シナリーはこの辺りの風景を愛し描いている。住まいもこの付近にあったようだ。確かに落ち着いた雰囲気とタイパ島まで見通せる景色は魅力的である。

尚クリスマスイブの日、聖ローレンス今日のミサが始まる前に教会内に入ることが出来た。誰もいない夜の教会は実にシックで、全ての人間を包み込む柔らかさがあった。それでいて芯の強い、きりっとした静寂が胸を打つ。マカオのカジノなどの喧騒があるために、教会の持つ静寂が一段と引き立つ。そこが大きな魅力であり、是非とも残していって欲しい東西融合の象徴である。

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