雲南茶葉古道をかじる茶旅2025(12)昆明 茶市場に遊ぶ

ちょうど目に「酸茶」の文字が飛び込んできた。しかもトーアン族が作ったとあり、その店に飛び込んだ。奥さんが相手をしてくれたが、彼女はトーアン族であり、その故郷から茶が運ばれているという。竹筒茶も持っており、興味がかなり沸く。勿論色々なプーアル茶も販売しており、なかなか楽しい。

一度市場の外へ出て適当な店に入り、軽くランチを食べる。1人だと1つしかおかずが頼めないが、2人だと2つ頼めるからよい。味もまあまあだし、店の人も親切だ。雨が降り出したが、いつまでも追い出されないので、かなり長い時間話していた。そしてもう一度市場へ戻る。7年前に知り合っていたお茶屋を探したが、どうしても場所が思い出せず断念。

反対側にも市場があり、Hさんが紹介されていた店にちょっと寄ってみた。そこのオーナーは2代目の若い女性だったが、きびきび商売をしていてよい。お茶を色々と飲ませてくれ、私が茶歴史を学んでいるというと、それなら市場内に先生がいるよ、という。しかも書店を開いているというので俄然興味が沸き、連れて行ってもらった。

入り口近くの2階に確かに茶書専門書店があって驚いた。恐らく中国でもこれだけの茶関係の本を纏めて販売している書店はないのではないか。しかもその店主が周先生という茶の専門家らしく、Hさんなどは先生にぜひ会いたいという。だが彼はちょうどヨーロッパからの客人に対応しており、結局会うことは出来なかった。それでも奥さんに会うことが出来、本も数冊購入して大満足だった。次回はスーツケースを空にしてここで本を買おう。

既に周囲は暗くなっていたので、帰りがけに鶏スープと麺を食べた。本当は雲南名物きのこ鍋などを食べたかったが、かなり疲れてしまい、近所で簡単に済ませ、地下鉄で宿に帰った。Hさんはこれから色々と大変だろうが、お茶に近づける有意義な機会なので、是非色々と吸収して欲しい。

10月12日(日)チェンマイへ戻る

さあ、チェンマイへ戻る日。何だか朝ご飯も軽快に沢山食べてしまう。雲南が緊張する場所だとは全く思っていなかったが、それでもチェンマイに帰れるのを嬉しく感じてしまう。荷物の整理も終わり、時間があったので少し外へ出てみた。歩いて10分ほどのところに昆明市博物館があった。ここで昆明市の歴史をおさらいしようかと思っていたが、ここはちょっと趣向が違っていた。雲南の少数民族の特産品が説明されていたり(茶もあり)、抗日戦争に関する特別展(フライングタイガーなど)が開かれていたりと、思ったより盛りだくさん。

特にシンガポールで財を成した華人が延安を訪問した9日間の日々の展示は初めて見る新鮮な内容で驚く。共産党か国民党か、馬幇もそうだが、戦中戦後どちらに着くかで自らの人生が大きく変わっていくのが商人だろう。当然勝つ方に乗りたいところだが、真の愛国者は誰だったのだろう。

部屋に帰るとCCTVで台湾特集をやっていて驚く。霧峰林家の末裔などが実際に登場。日本の植民地教育などに詳しく触れており、初めて中国で「日本時代の台湾」がどのように扱われているのか、その一端を垣間見た。その番組が終わらない内に時間となり、宿を出た。

ここからは地下鉄に乗って僅か30分で空港まで行けるので何とも便利だ。空港のチェックインカウンターも空いており、実にスムーズに進む。だが係員が「あなたのパスポートは汚れているから変えた方が良い」などと言い出す。今まで一度も言われたことが無かったので、ちょっと戸惑う。また手荷物を2つ持っていたら、1つに纏めて、とも言われ、何だか珍しい光景だった。

国際線の搭乗口はまとまっており、その表示を眺めているとバンコクやハノイの他、カトマンズやヤンゴンなどアジア各地に飛んでいけるのを発見。確かに昆明はアジアのハブを目指したな、と分かる。昆明ではどこの地下鉄駅にもセブンイレブンがあったが、何と出国後の場所にもあった。充電しながら搭乗を待つ。フライトはやはり空席があり、ジュースを飲んでいるとすぐにチェンマイに戻った。

雲南茶葉古道をかじる茶旅2025(11)昆明再び

約2時間で昆明駅に着いた。10日ぶりの昆明。何となく脇の通路から地上に登ると、そこは10年前に通った道だとすぐにわかる。ここで寒さに震えながら7時間彷徨った(大げさ)ように記憶している。あの時とは随分周囲の様子は違っているが、この道だけがはっきり分かるのはなぜだろうか。

そこから先日も歩いた道を10分ほど行くと、今回予約した宿に到着した。隣はいつも泊まっているチェーンホテルだったが、ここは隣より100元ほど安いチェーンなので一度泊まってみようと思っていたのだ。ロビーはきれいでデザインもおしゃれ。スタッフも親切でよい。部屋もデザイン性が高く、居心地良さそうな空間だった。洗濯機・乾燥機も無料。これならこれからはこのチェーンに変えようかと思う。

ここから一番近い地下鉄駅へ行くと、その付近には何と2006年初めて昆明に来た時泊まった懐かしいホテルがあった。更に道の向かいにも10年ほど前に泊まった宿が見えた。私は昆明に何度か来ているが、何故か土地勘はほぼない。ただ最初のホテルは既に閉鎖されており、配車タクシーの基地になっていたのには時代を感じる。

地下鉄に乗り、老街を目指す。中国は北京、上海などの大都市ではすでに整列乗車が一般化しているが、まだ地方都市では出来ていない。降り口に大きく、下車が先、と書かれていても一向にかまわない人々、特に中年以上の男女がどかどか乗り込んできて不愉快だ。早く次の世代になって欲しい。

一度乗り換えて五一広場へ。地上に出るときれいな建物が見えた。美術館だった。その付近にはモスクがあるというので行ってみると、何と中国寺院の形式の清真寺があり、驚く。入ってよいかと聞くと、険しい表情の女性が頷く。かなりの緊張感があり、写真撮影も不可。現状はこんなものだろうか。

その付近をフラフラすると回族系の店があり、料理店もあった。更にもう一つの清真寺までフードストリートのところにあった。大理だけではなく、昆明にも回族は沢山いるようだ。そのまま老街まで突入していくと観光客がぐっと増える。中に1906年創業の雲南米線の店があったので、思わず入ってしまった。老舗だが料金はそれほど高くない。雰囲気も良く、味も悪くない。

部屋に帰って休む。実はここ数日CCTVの抗日ドラマを毎日見ている。以前の抗日ドラマは、単に日本軍が悪いという感じだったが、このドラマは広西を舞台に、巴金などの文化人が出てくる物で、ちょっと面白い。これ一作では何も分からないが、もしやすると抗日ドラマにも変化があるのだろうか。

10月11日(土)昆明で

初めて泊ったチェーンホテル。見掛けはすごくよかったのだが、どうも夜中は痒くて眠れなかった。偶々この部屋、このベッドの問題だとは思うのだが、眠れないのは困るので、ホテルを変えることにした。その前に朝飯を食べに外へ出た。昨日見付けていた杭州小籠包の店で昔食べて美味しかった西紅柿炒蛋飯を食べたかったが、無かった。仕方なく小籠包と粥を食べたが、今一つだった。

車を呼んで早々に引っ越した。今度の宿は大理でも泊まった米系ホテルだった。ちょっと高いのだが、今やここが安定の宿となってしまった。冷蔵庫内のドリンクが無料というのはここが初めてだったので嬉しい。エキストラベッドが置かれていたのはなぜだろうか。仕舞い忘れか。

ここも地下鉄駅まで近く、すぐに乗り込む。一度乗り換えて、昔何度か行った金星駅で降りた。ここで先日も会ったHさんと待ち合わせて、茶葉市場に向かった。私は何度かここへ来ていたが、当時付き合いのあったお茶屋さんも忘れてしまったので、適当にフラフラしていた。

雲南茶葉古道をかじる茶旅2025(10)大理の清真

勿論相当キレイになっているし、雰囲気も変わってはいるが、大理の古城はここなのだ。観光客も当然多い。かなり歩いて行くとようやく博物館があった。雲南提督府旧趾と書かれており、やはりこの辺が街の中心だったことが分かる。敷地もかなり広い。館内には当然ながら大理の歴史がかなり詳細に展示されており、色々と勉強になる。雲南回族杜文秀の蜂起についてはかなりのスペースを割いている。

そこから少し歩いて、非物質文化遺産博物館というところへ行った。ここはプライベートなのだろうか。無料だが、かなりこじんまりしていた。その中にも当然雲南茶のコーナーはあったが、大理なので下関茶の話が中心だった。ここを出て車を呼んだが、全然来ない。運転手からキャンセルされたが、どうやらこの場所で乗せるのは難しいらしい。仕方なく少し歩いて行くと、宿にかなり近い場所まで戻っていたが、坂を上るのが嫌で、車で帰った。

宿で休んでからチェックアウトして荷物を預け、崇聖寺三塔に行ってみた。この寺もかなり敷地が大きい。手前に3つの塔が建っており、その向こうに寺がある。寺まで登るのは意外と大変だが、そこから見る湖はきれいだった。展示館などもあり、かなり充実していた。寺は更に続いて行き、最後は疲れ果てて戻った。

宿に戻り、車を呼んで今日の宿へ向かった。昨日のことを考えると、大理駅から徒歩で行ける宿がいい、と思っていたら、何と米系ホテルの系列店が駅前にあったので、そちらに移動した。系列といっても趣は少し異なる感じだが、トイレが普通だったのでまずは良かった。また前は1階だったが、今回は上の階で眺めも良い。

昼ご飯を食べていなかったので、何か食べようと外へ出て探した。近所で探していると、交通事故があったようで道が塞がれてしまっていた。駅近くの道に入ると、何と清真と書かれた店が何軒もあった。これが麗江で最初に食べた回族料理なのだろう。確かに大理には回族が沢山いるだろうと思わせる。歩いて10分ぐらいの場所には、清真寺もあったが、それほど目立ってはいなかった。これも現在回族が置かれている状況だろうか。結局回族料理を食べることなく、宿へ戻る途中、雲南麺を食べてしまった。なぜだろうか。

10月10日(金)昆明へ

朝飯は昨日同様パンを中心に食べる。昨日より料金は安いのだが、今日の方が更に朝食が充実しているように思えた。大理に来た理由、それは麗江に行く車中でみた洱海だった。非常にきれいで大きいので帰りに寄ってみようと思っていた。宿から歩くこと20分、途中に庶民の市場があるなど、大理の違った一面が見えた気もする。

洱海は実に大きかった。しかも湖の色が鮮やかで、湖面と空の関係が美しい。所謂インスタ映えする。多くの観光客がおり、皆が写真を撮っている。標高2000mの湖とはこのようなものか。周囲に少しずつ建物が建っているのは気になるが、取り敢えず現時点では眺めているだけでよい。

30分ぐらい、そうしていたが、それ以上歩いて行く気力も時間もなく、宿の方へ戻って行く。途中ちょっと寄り道したが、ほぼ想定通りで宿に帰着。12時にチェックアウトして、駅へ向かう。思ったよりはるかに近くてすぐに着いてしまった。私が乗る列車は紅河行だった。紅河とは、ベトナムのラオカイ付近まで行くということだろうか。以前ハノイから滇越鉄道でラオカイまで行った時、この先はどうなっているのか知りたいと思っていた。次回はこっちへ行こう。

雲南茶葉古道をかじる茶旅2025(9)大理駅の不便

何となく元気が出たので散歩した。今日も曇りだが雨は降っていない。月光広場まで歩いていき、折角だからと亀山公園に登る。ここは公園とは言っても、小高い丘にある仏教寺院なのだ。文革中の被害のせいか、ここもやはり新しい。巨大マニ車などがあり、観光客が多い。眺めも意外とよいので、写真を撮って降りてくる。

昼前にチェックアウトして、車を呼び、駅へ向かう。駅まですぐに到着してしまい、することはない。仕方なく窓口へ行き、大理‐昆明の鉄道チケットを購入した。この方が手数料を取られなくて少し安い。そして通路側の座席指定も簡単だ。そんなことも気が付かないほど、ネット予約の便利さを享受していたことに気が付いた。

香格里拉から大理までは、来た道を戻り約4時間かかった。行きと同様、途中で何度か意味なく停車するので、予想外に時間がかかる。特に大理に近づいてからなかなか進まず、少しイライラする。今回は隣の若者が、スマホでゲームをするので、肘が時折ぶつかったりして、それにも少しイラつく。

大理駅に降り立ち、体を伸ばしながら、車を呼んでみたが、なかなか来ない。指定待ち合わせ場所まで歩いてきたが、何とそれから30分も待つハメになった。大理駅には10年前の小雪が舞う日に居たことがあるが、それからかなり改装されたようで、きれいだが面倒くさい。道路の渋滞もすごい。しかも私はなぜか駅前の宿ではなく、古城方面を予約してしまい、車に乗り込んでからも50分ほどかかってしまった。高速鉄道も疲れたが、これで疲れが倍加した。

宿は米系がマネジメントするホテルを予約。少しはゆっくりできるかと思ったが、何と部屋に入るなり、横にあった便座が上がってビックリ。まさか仕切りもなしで入り口横がトイレなんて生れて始めてだろう。先日昆明以来、トイレのセンサー化は気になっていたが、これはちょっとやり過ぎでは。友達と二人で泊まる人はどうするのだろうか。

宿にはコインランドリーが付いていたので、まずは洗濯した。大理でも標高2000mはあるのだが、3300mから降りてくると体が軽いのが分かる。そして急に腹が減り、宿から出て坂を下り、無難そうな食べ物を探したが、観光客向けのレストランばかり。下まで歩くと屋台の炒飯屋があり、好きなキノコを入れられるのでそれを注文。あっと言う間に完食してしまう。標高差とはこんなものだろうか。

部屋に戻り、洗濯を終えたが、眠たくはなかった。昨日までとは全然違う世界のようだ。暇なのでテレビを点けてみたら、何と香港映画で今年大ヒットした「スターライトウォリアーズ」をCCTVが放送していた。映画館ではあまりに激しいアクションの連続で下を向いていたが、テレビ画面だと普通に見られるのがオカシイ。

10月9日(木)大理で

朝はゆっくり起きて朝食を頂く。久しぶりにパンを食べてご機嫌。まだ体調は完全回復とは言えないが、パンもお粥もスイスイ腹に入り、しかも腹が減ったという感覚があるのは何とも嬉しい。朝飯の豊富さは、やはり米系マネジメントの方が地元資本よりかなりいいという印象だ。

今日は博物館へ行ってみようと思い、車を呼んだ。それほど遠くはない、何とも微妙な距離だったが、疲れが出ているので車にした。車は下の幹線道路に降りて少し行くとユーターンして、古い町並みにツッコミ、門の前で停まる。これ以上は入れないというので、歩いてみる。そして分かった。私が大理に初めて来た1987年、次に来た2013年共に、この門の写真を撮っている。私が見たかった昔の大理の街は、ここに存在していたのだ。

雲南茶葉古道をかじる茶旅2025(8)松賛林寺へ

何だか昔の別荘を改築したようなところで家族経営でやっていた。聞けば江蘇省あたりから10年ほど前に移住して始めたらしい。以前は観光客も少なかったが、昨年鉄路が通ったことで、急に人が増えたという。部屋は広くて暖かみがあり、何故か天窓もあった。昨晩ここに居れば月が見られたのだろうか。だが今日は天気があまりよくない。

相変わらず腹も減らないので、車を呼んで名所であるチベット寺院松賛林寺に向かう。女性運転手はチベット族で話し好き。街が変貌していく様子から徳欽へ行って必ず梅里雪山を拝め(冬の太陽が出る時が良い)、など、様々な話が出て楽しかった。それにしても標高5000mを越える山の冬は寒いだろうな。確かこの山、京大関係者が多く遭難したような記憶がある。

お寺はかなり大きく、まずは受付の建物に入ってチケットを買う。今やどこもチケットは高いが60歳以上は半額なのは有難い。既に国慶節休みはほぼ終わっていたが、それでも行列は出来ていた。そこからバスに乗って寺院の近くまで行く。向こうに寺が見えたが、なるほど38年前の微かな記憶では、ミニポタラ宮だった。

寺の門を潜るとかなりの階段がある。ポタラ宮の最後の100mほどではないが、とても一気に上がることは難しく、呼吸を整えながら這うように行く。小雨が降ってきたが傘をさすのも難しく、とにかく下を向いて歩いて行く。登りきるとさすがにいい景色ではあるが、ポタラ宮ほどの感動はなかった。

この辺には若者の漢族観光客がかなりいたが、その殆どがチベット族の衣装を着こんでコスプレで写真を撮っている。小さなマニ車を持っている者もいた。実際のマニ車を回しながら写真に納まる者もいる。大きな仏殿があり中に入ると、まるでラダックで見た配置の作りだった。僧侶が信者の話を聞いているのが良い。

折角来たのだからもっとここに居ればよいのだが、何だか急速に疲れてしまい、早々に階段を下りてバスに乗り込み、寺を離れた。さすがにヤクバターの匂いはしなかったのだが、何がいけなかったのだろうか。雨が降ってきたのも追い風となり、車を拾って宿に戻った。少し涼しくなってきていた。気温13度。

かなり疲れて宿へ戻ると、ストーブを囲んで経営者がお茶を飲んでいた。私も一杯貰い、たわいもない話をしていると何だかほっこりする。お父さん、お母さんは如何にも人のいい中国人で、何とも温まる。「漢族だからバター茶は飲まないよ」と言われる。部屋に戻ってスイッチを入れると床暖房があり、かなり暖かい。

昼ご飯も食べていなかったので、夜は食べようと寒空の街へ向かう。チベット系の包子が食べたいなと思ったが、なかなか店がない。ようやく見つけて入ってみたら、「包子は売り切れだよ。午前中に来なきゃ」などと言われてへこむ。もう麺は食べたくないし、どうしたものかと考えていると、チェーン店だが包子の写真があったのでそこに決めた。

中で聞くと「小籠包が一籠だけある」というので注文した。店内はかなりきれい。店員は物珍しそうに「何で一人で来たの。包子より麺類の方が食べやすいのに」などと聞いてくる。そして包子と一緒に無料でスープを出してくれたのは、とても有り難かった。牛肉入り包子も美味しかった。せっかくここまで上がってきたものの、高度の関係か体調が優れず食欲が出なかったが、一応これで生き返る。夜は早く寝る。

10月8日(水)大理へ

朝はかなり冷えていた。8度ぐらいだったらしい。8時頃下に降りると、朝食の準備が出来ていた。ストーブの周りで宿泊客が食べている。出てきたのが、きゅうりの漬物(これはほぼ日本の味)、ゆで卵、トウモロコシの蒸しパン?など、手作り感満載で非常に美味しい。これまでの食欲不振が嘘のようにバクバク食べてしまう。

雲南茶葉古道をかじる茶旅2025(7)チベット族の馬幇

パンを晩御飯代わりにしようかと考えたが、フードコートのようなところに行き着き、土鍋米線を注文してみた。10分近く煮込んだそれは思いの外美味しかった。25元だった。ここには顔は華人だが、中国語が話せない若者たちが来ており、スマホの翻訳や片言の中国語を駆使して注文している姿が面白かった。米線は特にスープがかなり沁みた。

気温は随分低くなり、12度程度になっていたが、部屋には床暖房があり、寒さは全く感じられない。何とか早く寝たいとベッドに入るもやはり眠りには落ちない。外で花火のような音がする。恐らく中秋節のイベントだろう。そうだ、この高度から見る月はどうなのだろう、と思ったが、残念ながら立ち上がる気力はなかった。

10月7日(火)香格里拉で

あまりよく眠れず、しかも朝も暗いうちから起きてしまった。取り敢えずお茶でも飲みながら、静かにしている。高山病の症状はないのだが、何だか疲れてしまっていた。8時過ぎに下におり、朝ご飯を食べた。取り敢えずお粥とちょっとしたおかずで済ませる。特に苦しいなどはないが、食べると息が上がり、心臓が少しバクバクする。

天気は悪くなかったので、まずは馬幇博物館に行ってみることにした。宿を出てから昨日歩いた道を辿り、その先はかなりの上り坂でまた息が上がる。ただ観光客、特に若者たちは楽しそうに歩いて写真を撮っている。もう私の出る幕は終わっているのかもしれない。更にくねくねした道をアプリを頼りに歩く。ちょっとした観光街ではあるが、雰囲気のある街並みもあり、悪くない。

辿り着いた場所はホテルだった。入口には「抗日戦争、反ファシスト」の横幕があり、ちょっと気になるが、そのまま突き進む。その奥には胸像が置かれており、「愛国華僑 馬鋳材」と書かれている。更に行くとかなり詳細な、そして膨大な馬氏に関する展示物があり、興味津々で眺めた。

馬氏は貧しい家庭に生まれ、6歳で馬幇に参加して、チベット、雲南、四川だけでなく、インドにも足を延ばして財を成した。彼は1920年頃から40年ほど根拠地をインドのカリンポンに置いて、「鋳記」という商号を使っていたという。戦後は愛国華僑として活動し、インド側から警戒されて逮捕され、中国側に戻り、1963年昆明で亡くなったとある。

このような人物が馬幇を担っていたこと、茶馬古道の終点はラサではなく、更に先にあることも分かり、何とも興味深い。また戦時中の茶馬古道は中国への支援物資を運ぶ唯一のルートにもなり、この支援にも馬氏などが絡んでいたという。尚子孫はこの街に住み、このホテルを経営しているらしいが、歴史についてはこの展示以上の情報はないという。

そこからまたのろのろと街歩きをした。軽いアップダウンを楽しむように道がくねっている。月光広場に出た。ここに博物館があったので、入ってみた。やはりここにも茶馬古道に関する展示があり、その重要性が分かる。先ほどの馬氏もその代表として語られている。広場には馬幇の像が置かれており、「茶馬古道重鎮」なる石碑もしっかり建っている。

この広場がこの地の集散地だったのだろう。だが実際の茶馬古道の重要拠点はここから5時間車で走った徳欽にあるらしい。今回は体力の関係もあり、そこまでは行かない。尚この広場の周囲にはその昔各地の同郷商館があったとも書かれていたが、その跡地を見付けるには至らなかった。

フラフラしながら宿へ帰った。気温は15度だが風はなく、体感温度はもっと高い。宿で車を呼び、先ほど予約した別の宿に移動した。昨晩泊まったところはスタッフも親切で特に問題はなかったが、何故か今日の料金が2倍していたので諦め、もうちょっと安くて良さそうな宿を探した。車はすぐに来て、10分ほどで次の宿に着いた。ここは少し繁華街からは離れている。

雲南茶葉古道をかじる茶旅2025(6)香格里拉へ

10月6日(月)‐中秋節 香格里拉へ

朝日が眩しい。今日も天気は良いが、何となく頭が重い。それでも取り敢えず宿で麺を啜り、外出する。ちょっと古城を歩き、今日もまた別の出口から車に乗る。昨日に比べて空いているのは、今日が中秋節だからだろうか。麗江市博物館へ向かう。入口にはトンパ文字が描かれているが、「社会主義核心価値観」と書かれていると、少し興ざめしてしまう。中の展示はトンパ文化に関するもので、少し勉強になる。ナシ族についてはもっと知るべきだろう。

そこから歩くと池があり、公園になっている。実はもう一つ博物館があったのだが、車ではなかなか行きにくく、寧ろ公園を通り抜ければ行けそうだった。だが門番は「そんな博物館はない」と一言。もしあったとしても軽い山越えだと気づき、1㎞ぐらい歩いて古城に戻り、更にずっと歩いて宿まで戻った。さすがこの古城の風景も見飽きてしまい、写真も撮らずに黙々と歩く。

昼まで休んでチェックアウト。どこかでご飯でもと思ったがその気力もなく、宿のカートで荷物を運んでもらい、出立。だが車がなかなか来なくて困る。それでも時間に余裕があったので待つ。乗ってしまえば、そんなに遠く無く、駅まで運ばれた。本当にいい天気で、雲が素晴らしい。

香格里拉行き列車は2時間に一本ぐらいあり、時間通りちゃんと来て、ちゃんと動いて行く。途中トンネルもあるが、いい天気の風景も見えてくる。臨時停車(列車の行き来の関係)したところが、きれいな渓谷の風景で、皆が写真を撮る。1時間40分ほどで、香格里拉駅に無事到着した。

本当に空気が澄んでおり、気持ちが良かった。恐れていた高山病の兆候は特になく、ゆっくり歩き始める。この駅は昨年できたのだろうか、中国の駅はどこも同じような作りなので、迷うことはない。今回は予約した宿が車を予約してくれていたが、その車を見付けるのにちょっと時間がかかる。それでも乗ってしまえば10分で市内に入り、すぐに宿まで送られた。この街自体はかなり小さい。

宿はなかなか洒落ていた。中庭のある敷地で、部屋は2階。何と部屋がメゾネットタイプで更に上にもベッドがあるのだが、突然標高3300mにやってきて、これはかなりきつく、結局使用することはなかった。部屋には酸素吸入器も置かれており、やはり高山病の危険はある。階段を上がるにもゆっくりだ。

ちょっと休んでから外へ出る。取り敢えず車で来た道と反対を行くと、すぐに独古宗古城という門が見えた。ここから観光街になっており、意外なほど人がいた。そして若者の多くがチベット族の格好をしている。広場に茶馬古道関連の石碑でもあるかと探したがない。観光案内所で聞いても分からないという。そもそも案内所なのに、この地域の歴史展示の前に物が置かれていてよく見えない。歴史を知らせようという意欲はまるでない。

そこから観光街を歩いて行く。ゆっくり歩いてもやはり息は切れる。路上でチベット族がスーヨー茶を売っていたので、試しに一杯飲んでみる。5元。私の記憶にある38年前のチベットのバター茶は強烈なヤクミルクの香りと味で飲めなかったが、今は牛のミルクなのか、観光客向けになっている。よく見るとそこここにドリンクスタンドがあり、皆が茶を飲んでいる。因みに私は塩ではなく、甘い茶を選んでいる。

頭が痛いなどの症状はないが、何とも食欲が無く、チベット料理など横目に老街を歩いてみても食べたい気分にならない。一本裏道を歩くと、そこにすごくおしゃれないカフェがあった。しかもパン屋を併設しており、美味しそうなパンが並んでいたので、思わずチョコクロワッサンに手を出した。1つ20元は高い気もするが、何となく納得する色であった。

雲南茶葉古道をかじる茶旅2025(5)偽茶馬古道に踊らされて

折角なので昨日車を降りた場所以外から乗ろうと古城を北に歩いてみたが、なかなか外周道路に辿り着かない。20分以上歩いてようやく車が呼べる場所まで来たが、まっすぐ伸びる道、華やかな水車などがあり、どうやらここが正門らしいと知る。今日は国慶節休みで日曜日、しかも快晴。当然ながら車を呼んでも渋滞、しかも乗り場所も混みあっている。

ようやく車に乗った。百度で「茶馬古道」と検索したら、茶馬古道博物館が出てきた。確か束河古鎮にあるはずだが、そこは閉鎖されていると出ていたのでおかしいとは思いながらも、新しくできたのだろうと勝手に想像する。しかし運転手も「そんなのあったっけ?」という感じで不安が募る。

5㎞ほど走って目的地に着いたが、看板すら出ていない。ただ大型バスが沢山停まっており、人気の新しい博物館かと胸躍らせて中に入る。ところが・・、茶馬古道の文字が少しだけあり、馬の模型が置いてあるだけ。更に奥に進むと、何と巨大な翡翠市場が出現した。そうか、茶馬古道は茶だけを運んだのではなく、ミャンマーあたりと翡翠の交易もしていたことにひっかけて、観光客用に最近作ったらしい。紛らわしいから博物館という名称は止めて欲しい。

そこから束河古鎮まで歩いてみた。風は爽やかなのだが、半袖一枚だとちょっとお腹が寒く感じる。2㎞ぐらい行くと古鎮の門が出てきて、観光客が結構いた。入口のところが広場となっており、昔馬幇を迎えた場所だという。その先に古鎮が広がっていたが、古城に負けない広大な観光地となっていて、観光客も想像以上に歩いている。気温が20度ぐらいでとても気持ちの良い気候だ。

目指すは茶馬古道博物館。2㎞ぐらい歩いただろうか、何とかその場所に辿り着くも、やはり改修中で入れず。ここが見られないのは何とも残念だが仕方がない。その周囲を歩いていると、少し高くなった場所まで店がぎっしりと並び、ちょっと若者向けなのカフェなどが見られる。ご飯を食べたい気分でもないので、また入口まで戻り、車を呼んで宿へ戻った。

かなり疲れが出ていたので、もう外出は止めようかと思ったが、何となく百度地図を開くと、茶馬古道の遺跡が出てきた。よく分からない郊外だが、行ってみようという気になり、また車を呼ぶ。だが古城周辺は大渋滞で、車はなかなか捕まらず、捕まってもキャンセルになる。何度目かでやって車が着て乗り込んだが、高鉄駅を越えて行き、町から外れた山の中に入っていく。

そして目的地到着。だがそこには全く表示もなく、運転手も何でこんなところへ来たんだ、という顔をしている。取り敢えずここで車を取り逃がしたら、10㎞歩いて帰らなければならないので、運転手にお願いして待っていてもらった。そして周囲を少し歩いてみたが、ここは登山道で、それ以外の表示はなかった。ただもしかしたら昔はこんなところを馬が通ったかもしれない、と写真を撮り、早々に退散した。

かなり疲れてしまい、夕飯も要らないか、と思ったが、昼も食べていないので、仕方なく米線を食べに行く。折角だから砂鍋米線を食べようと思ったら、隣の店に入ってしまい、普通の土鶏米線になってしまう。まあ腹に何か入れればよいので構わないのだが、集中力も切れかかっている。やはり2400mの高地では体調に変化がるらしい。夜CCTVで卓球を見ていたら、突然「テレビの見過ぎだ、目を守れ」との表示が出て、見られなくなってしまう。でも確かに目も疲れている。この夜もよく眠れない。

雲南茶葉古道をかじる茶旅2025(4)麗江 ナシ族の馬幇

やはりお茶屋が多いから、何となく気持ちが良いのだろうが、ただそこで売られている茶は観光客向けで、非常に廉価。プーアル茶餅、1枚10元など、一体どこから持って来たのか、といった茶が多いので中に入る気にはなれない。ただ店の説明などがあれば写真に撮っておく。きっと何かの役に立つ。

木府付近は観光客が集中していた。60₋70歳はチケット半額、20元で入る。中はかなり豪華な建物が3つぐらい並んでおり、とても普通の家ではない。何だか寺院に入ったような感覚だったが、庭園などもあり、もし観光客が押し寄せていなければゆったりは出来る。ただ私は木氏の歴史を知りたくて来たのだが、ついにその詳細は説明に出会うことが無かった。人が多過ぎて通り過ぎてしまったのだろうか。

木府を出ると来た方と反対側に歩く。観光客向け土産物屋が実に多く、今日は観光客もいるので非常に活気がある。地図アプリを使ってもなかなか行きたい方向に行けないほど、迷路のようになっていて面白い。ただ観光地化されているとはいえ、民族衣装を借りて写真を撮る人があまりにも多いのは、ちょっと、という感じだ。思い出してみれば昔から中国人は写真好きだったが。

宿のところまで帰ってくると、ちょうど古びた木造の建物のところに「馬幇博物館」の文字が見えた。ただ戸は閉まっており入れない。正面に回ってみるとそこは茶馬広場。そこに同心阜という茶荘があった。馬幇の像が建ち、説明板もある。中に入って博物館を見学したいというと、2階に案内され、展示を見ることが出来た。そこには馬幇が使用していた馬具や服などがあり、また運んだ茶葉や製法などについても説明があった。だが個人博物館のため写真撮影は不可だった。

店に戻り、老板娘に話を聞く。彼女はナシ族でご主人が最後の馬幇と言われている人物だという。ナシ族以外に漢族も回族も馬幇はいたらしい。彼らのルートはラサに行って終わりではなく、インドやネパールまで運ぶこともあったというが、それに関する資料はないともいう。馬幇は1980年代に公路が開通するまで存在していたらしい。この家では明代後期から17代続いたとある。本来は販売しないという、ご主人のことが書かれた本も譲ってもらい、今後勉強することにした。

そういえばさっき道を歩いている時も、茶商の称号を見かけたような気がする。仁和昌という商号で、今はその屋敷跡で茶や土産物などを売っている。大理から繋がれた茶馬の道は、ここでナシ族などに引き継がれ、チベットを目指したということだろうが、既に50年前には途絶えており、昨今の観光ブームで一部が形を変えて復活しているのかもしれない。

宿に帰って休息したが、やはり標高2400mの高地に体がすぐには順応せず、疲れが出た。部屋まで行くのに階段で2階に上がると息が切れる。頭が痛いとか、吐き気がある、などの症状はないのだが、食欲はほぼない。昼の回族料理の油がいけなかったのだろうか。取り敢えずシャワーだけ浴びて寝ようとしたが、横になるとちょっと息苦しく、なかなか寝付けない。

10月5日(日)麗江で

よく眠れない中、明るくなるまでベッドに居た。特に症状は出ていないので、取り敢えず宿の朝ごはんに行く。麺は自分で調味料を使って味付けするのが面倒だ。なぜかチキンカツのようなものがあり、食べてみると旨い。だが、食後出掛けてみると、やはりちょっと腹の調子が悪い。

雲南茶葉古道をかじる茶旅2025(3)麗江の茶馬ホテル

普通の駅は15分前にホームに降りるが、ここは25分前、しかも始発だからゆるゆる乗り込む。当然満席かと思っていたが、所々空いている。ただ私の席は窓側で、横の2人の女性はほぼ動かず、何と4時間そこに閉じ込められて窓の外を見て過ごす。列車は120₋150㎞の速度で淡々と走っており、時折古い家などが見える程度で、どこを見ても飽きてきた。停まる駅は何と2つしかない。目をつぶっているしか仕方ない。

ちょうど2時間ぐらいで大理の近くに来る(10年前は高速鉄道が無く、確か7時間ぐらいかかっていた)と、突然湖と高い山という風景が登場し、車内が急に沸き、皆が一斉にスマホを構え始める。大理付近で結局30分ほど停まっていたようだったが、その後はスムーズ。車内では売り子さんが見事な話術で特産品の販売を始め、何だか観光の雰囲気が出てきた。それが終了すると約4時間かかって、麗江に着いた。

気温は昆明より少し低いが、非常に気持ちが良いのは空気がきれいだからだろうか。ホームに吹く風が特によい。出口を出て車を呼ぶとどこでも同じように指定場所に誘導されるが、そこは駐車場になっており、予約した車を自分で探すことになるが見付からない。入口に立っている人が声を掛けてきて、自分の運転手だと分かる。

駅から古城までは30分以上かかった。途中渋滞もある。さすがに連休だからか。ようやく着いたと思ったら、運転手が「この中には車は入れないから、歩いていけ」と降ろされてしまう。しかも指さした方は駐車場で結局抜けられず、騙された思いで、トボトボと石畳の道を行く。スーツケースを引っ張るのは大変でかなり疲れる。標高も2400mに上がっているので息が切れる。

宿泊ホテルは広場の前で、馬幇の像などが置かれており、茶馬広場という名前だった。そして何とこのホテル自体が、その昔の土司(地元の管理者)、木氏の王府驛駅旧趾(茶葉の集散地)だった場所だと書かれており、何だか周囲が茶に囲まれており、気持ちが茶馬古道に寄っていく。

宿の敷地はかなり広く、茶葉の集積地としての規模が窺われる。四合院の庭が3つもある。部屋もかなり広くて快適だ。部屋に冷蔵庫が無いのは、必要性がそこまでないということだろう。エアコンもないようだが、寒くなればセントラルコントロールとなるのだろうか。まあ何だか期待が持てる。

時間は午後2時。腹が減ったのだが、何を食べるべきか。さっき車の窓から見えた清真の文字が気になってしまい、歩いて探しに行く。そこは車通りの端っこにあった。25年続く回族食堂と書かれている。メニューで気になったのが、牛干巴(雲南回族の伝統料理)。頼んでみるとこれは干し牛肉を作って再度揚げたもの。塩気と油が意外と強く、サクサク食べられるという感じではなかったが、別の部位の牛肉は美味しく、ご飯と一緒にかなり食べた。また無料で出てきたお茶(たぶん緑茶)がかなり美味しくて、これを飲むと干牛肉も入っていく感じがあった。

店は家族経営で、1998年に開いたという。麗江に回族は多いか聞くと「回族は大理だ」と言い、彼らも元は大理にいたようだ。ここには馬幇がいたのだから、その中継地として当然回族もいただろうとは思うが、その関係はこれから明らかになるだろうか。

この古城の中で最も有名なのは土司であった木氏の邸宅、木府。そこへ向かうと急に雨が降り始め、ドリンクだけ買って宿へ引き上げた。だが雨はすぐに止み、すぐにもう一度木府に向かった。古城内は道が曲がっていたりして、しかも石の道で歩きにくく、なかなか目的地に着かない。だが、その光景は観光化されていると言ってしまえばそれまでだが、それなりのいい雰囲気を持っており、思わず写真に収める。