ある日の台北日記2024その6(3)懐かしい人たち

5月21日(火)懐かしい人たち

今朝は雨が降っていたので、洗濯を取りやめた。そして昼になって出掛ける。1年ぶりにHさんに会う。彼女は最近我が宿の近くに引っ越したとのことで、近所に出向く。半畝園、何度も前を通ったが、ちゃんとした食堂なので一人では入り難く敬遠していたので、ちょうどよい。

この店、かなり古いらしく、北京料理とも書かれている。Hさんに注文をお願いすると、緑豆粥に砂糖を入れている。焼餅や刀削麺のスープが美味い。中国北方系の雰囲気が漂う店内は雨でもほぼ満員、常連客も多そうだ。偶にはこんなご飯が有難い。我が宿の近くに刀削麺の店が何軒かあるのは、やはり外省系の人々がここに住んだからだろうか。

Hさんとはいろんな話をした。華新街へ行きたい、山口の重源ゆかりの地などの歴史系の話も出たが、その中心は台湾の華語問題(私が勝手に問題と言っている)。1年に1度ぐらいしか来ない人間に、言葉の変化への対応を要請される辛さを述べてみたが、まあずっと台湾に住んでいれば当たり前、と思われることも多いようだ。これから益々台湾から足が遠のきそうだ。

食後、ちょっとコーヒーでも、とカフェに入って続きを話す。彼女はかなり忙しい人なので、話し足りなかったが、時間が来てしまった。ちょうど立ち上がろうかとしたところ、突然日本語で名前を呼ばれた。何と昨年Hさんの紹介で訪ねた台湾俳句会の幹事の人だった。犬の散歩のついでにコーヒーを買って帰るべく、偶然立ち寄ったという。何という偶然だろうか。昨年は茶金の原作者をご紹介頂いたので感謝していたが、ここで再会できるとは。

夜は台北駅まで出掛けた。今晩は知り合いのTさんのお声掛けで、ロータリークラブで茶旅についてお話しさせて頂いた。5年前にも一度話したのでもういいかなと思ったが、Tさんより『5年も経てば、かなり進化したでしょう』と言われ、何となく引き受けてしまった。ただ一般の人に茶のリアルな歴史を話してもどうかと思い、日本と台湾の茶の繋がりを重点にしてみた。以前から見知っている人も何人かいて、何とか話を終え、ご馳走を頂いてホッとして帰った。雨は何となく止んでいた。

5月22日(水)

ラジオに出演する

昨晩はちょっと遅く帰ったので朝はゆっくりして、11時過ぎにいつもの弁当屋で弁当を食べる。ここは日替わりメニューが安いので、それを選ぶ。今日は焼サバだった。10元安い。何となくいい気分になって一度部屋に帰り、もう一度出かける。MRTで圓山駅まで行き、そこから大直行きのバスに乗り換える、簡単な行程だった。

大直行きのバスを待っていると、ちょうどやってきたので手を挙げて停めた。ところが下車する人は降ろしたが、運転手が手を出して私の乗車を制止する。そしてバスは去っていく。どういうことだ、と手を広げたら、周囲の人がどこへ行くんだ、と声を掛けてくれ、『圓山飯店』と告げると、それは反対側のバス停だと指さす。そこで反対側へ行くと、先ほどの場所にバスが来て私に教えてくれた人たちは全て乗り込み、何と私の前を通り過ぎて去っていく。これには呆然としてしまった。一体どうすれば乗れるんだ?

結局もう一度元の場所に戻り、やってきたバスに乗った。どうしてこうなったのかを考えたが理解できない。考え得るのは、私の行き先は圓山飯店の下の道だったが、教えてくれた人は坂を上るのが大変なので、圓山飯店へ直行するシャトルバスを指示したということ。更にはこのバス停はロータリーになっており、両方向へ行く分岐点。私が最初に停めたバスは反対行きだったのかもしれない。

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