ある日の台北日記2024その6(2)台北の清真寺

5月19日(日)日曜日も図書館へ

日曜日は外出しないと決めていたのだが、ランチをどこで食べるか悩んでいると、なぜかまた図書館方面に足が向かう。しかしさすがに2日同じクラブサンドもないかなと思っていると、その近くにカレー屋を発見した。オムライスカレーに惹かれてフラッと入ってしまう。だがお客は若者が多く、味もちょっと思っていた物とは違った。まあ、取り敢えず図書館で昨日の続きの検索を行い、一定の収穫を挙げたから、良しとしよう。

数時間検索を続けてしまい、また疲れる。今日は日曜日だから、近所の食堂も閉まっているところが多い。あまり探す気力が無く、炒飯でも食べようと思って入った新しい店。それほど混んでいるようにも見えないのに、料理が出て来るのがすごく遅い。しかも炒飯は何とか出てきたが、一緒に頼んだスープはとうとう出て来なかった。まあ起こっても始まらないので、炒飯代だけ払うと、スープまだだったわね、と言われて驚く。疲れたので早めに就寝するが眠れない。

5月20日(月)台北のモスクを訪ねて

先日金曜日に訪ねた清真寺。今日はちゃんと話を聞こうと月曜日を選んで訪ねてみる。まずは前回途中で食べた食堂へ向かう。お粥が食べたい気分で注文するとなかなか良かった。大安森林公園を通ると、なんとも緑が濃い。犬の散歩などをしている老人が多くいる。

Aさんと待ち合わせて、モスクの事務所に向かった。王事務局長は居なかったが、呼んでくれた。実は信者に不幸があり、朝から対応していたらしい。海外で人が亡くなった場合の対処は、普通の人には分からない。清真寺ではそのようなサポートもするのだという。最近は王さんのような回族は減り、インドネシア系、トルコ系などが多いから、その対応は大変だろう。

王さんはミャンマー、シャン州生まれで、タイのメーサローンで育った回族だという。あの麻薬王と呼ばれたクンサーなどに近い地域にいたらしい。彼の父親は雲南の生まれだが国民党系でもなく、軍人でもない。1980年代前半、学業のため台北に来て高校入学。当時はそんなミャンマー華人が多かったらしい。卒業後は香港や深圳、タイなどの清真寺に務めた 奥さんは香港人だとか。

80年代、泰緬の華人子弟の多くが台湾にやってきた。それは学業もあるが就業もある。何しろその頃、あの地域には仕事もないし、教育機会も少ない。台湾が受け入れてくれというので、皆が台湾に渡り、今もそのまま住んでいる人が多い。もう一つ重要なのは、台湾で学業を終えても、仕事が無く、当時バブル期に近づいていた日本に出稼ぎに行った人が多いというのだ。『だから今台湾にいる泰緬人で日本語が話されるのはそのためだ』という説明は目からうろこだった。百聞は一見に如かず。

昼前にお暇して、歩き出す。台湾大学方面へ向かう。雲泰料理の店へ行き、麺を食べる。この店のオーナーも泰緬関係者のようで、80年代に台湾に渡ってきたらしい。雲南で麺を食べたのはもう何年前になるだろうか。台北も探せば、このような店がかなりあることが分かってきた。

それから台北のもう一つのモスクがあるというので、訪ねてみた。こちらは道路から少し入ったところにあり、あまり目立たない。昼下がりで礼拝する人はいない。管理人のような人にちょっと話を聞いてきたが、『歴史の話しはそこに書いてあるよ』というだけで実態はよく分からない。まあムスリムが増えていれば、モスクも増えるであろう。

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