《ある日の台北日記2024その6》 2024年5月17日₋5月25日
台中から戻って台北周辺をうろうろ動き回った。そして南部へ。台南で奇跡の出会い、そしてそのまま屏東里港まで流れていく。どうなるんだろう、一体。
5月17日(金)三重の花茶
昨年出会った郭さんから、『三重で会いましょう』と言われた。ちょっと三重に興味があったので、言われた場所へ行ってみる。MRT三重国小駅で降りると、ちょっと古い街が見える。何となく誘われるように路地に入り込み、歩いてみる。特に見るべきものがあるわけではないが、そこかしこに昔の台湾が見え隠れする。
まずは腹ごしらえと、待ち合わせ場所は食堂の前。だが郭さんはなかなか現れない。既に結構歩いており、ずっと立っていると疲れてしまう。人気店のようでお客はひっきりなしにやってきて、テイクアウトしていく。ようやく彼は現れ、北港龍門名物の生炒鴨肉焿を注文してくれた。これは甘めのとろみスープに鴨肉がかなり入っていて確かに美味しい。だが郭さんは普段は昼を食べないといい、スープだけを飲んでいた。
近所のカフェに入り、仲間を待って小学校に向かう。まずは校長先生に挨拶する。実はこの学校、三重が昔花の産地だということで、校長が先頭に立ち、学校で花を育てる活動をしているという。地元の歴史を学ぶ、ということは子供たちにとって悪くはないし、何より大人たちがその歴史を既に忘れてしまった、元々知らないというのは悲しい。
同行してくれたのは、三重の秀英花復活活動をして10年以上になる張さん。1960年代頃までこの地域は秀英花や茉莉花などの畑で埋め尽くされ、それが包種茶と混ぜられたという。包種茶は今でこそ花など付けないが、戦前から戦後にかけて包種茶の多くは薫香茶だったのだ。だがその流行期が過ぎ、花畑はどんどん宅地開発され、今や全く見ることが出来なくなった。そこでこの小学校の屋上を使い、再生に取り組んでいる。
そして郭さんもこのプロジェクトに加わり、自らの包種茶とここの花を合わせて花茶を作ろうとしている。本日も自ら花を摘んで、紅茶と混ぜるのだという。だが学校の上の花畑には限界があり、また花自体も使えるものは多くはない。私も少し摘んでみたが、小さな花ですごく大変な作業であり、これを大量に摘んで茶を作るのは無謀のように思えた。子供たちもチラッと覗いている。
学校を離れ、さっきのカフェでまた話を続ける。このカフェも郭さんの茶を扱っているというので、何種類もの茶が出て来る。今日は暑いので、冷たいお茶が良い。花茶の歴史と三重、とても興味深いテーマであり、今まであまり調べている人がいないのではないかと思う。今後張さんなどに話を聞き、この辺を纏めて見たい気分になる。帰りも張さんと一緒MRTに乗り、途中まで話を聞いて行く。
5月18日(土)久しぶりの牛雑
何だか週末は図書館へ行く気分になっている。永安市場駅で降りて、ブランチを探してみると、ちょうどよい店があった。そこでクラブサンドを頬張ると何とも旨い。メニューもやけに豊富なので、毎週土曜日はここで食べてから図書館で作業しようかと思ってしまう。
図書館にも慣れたので、カードで席を予約して、それを30分ごとに延長する仕組みを理解して、検索を続けた。思いの外、知らない歴史が出てきて頭を痛める。いや、以前とは検索手法が異なる、キーワードが異なると、それによって出て来る記事も全く違うものになり、私の理解にもかなり狂いが生じてくる。
フラフラの頭で帰る途中に、大腸麺線が目に入り、思わず大盛りを食べる。ヘトヘトの中、帰りつき、部屋で休息するが、何故か5時にはまた腹が減る。最近の腹の減り方は異常だろう。何を食べようかと悩んだ結果、今年一度も食べていない牛雑の店へ行く。日曜の他、月曜日も休みになって行きにくかったが、今日は土曜日で開いていた。
そこで6年前から全く変わらず、牛雑湯と炒牛雑を注文する。するとこれまた6年変わらず、老板娘が『牛雑、全く一緒だけどいいの?』と聞いてくるのだ。それを振り切って食べる背徳感??しかし何とも旨い。なぜ1か月半もここへ来なかったのか、自分の間の悪さを恨む。