ある日の台北日記2024その5(5)福寿山農場まで

その墓地跡へ行ってみると、以前にはなかった説明板が設置されてはいたが、その上の現場は草茫々。聞いた話ではある日本人がここに慰霊碑を建て、慰霊祭を予定していたがコロナで流れ、その後郷長も代わってしまい、イベントは進んでいない。地方行政の難しさを見る思いだ。

更に公道沿いを行くと、霧社事件の記念碑がある。抗日英雄とは一体誰のことなのだろうか、といつも思ってしまう。以前訪ねた茶荘の看板が見えた。折角なので訪ねてみると既に廃業しており、店は無くなっていた。数年前97歳のお爺さんから話を聞いたが、彼はどうしただろうか。高山茶の現状などを鑑みても、辞めていくという選択肢は十分にあり得るのだろう。

そこから20分ほど登っていく。途中には翠峰や紅香といった茶産地があるのだが、今日はカットして清境農場へ。ここは今や観光地なので農場には行かず、少し上の横道を入ると、博望新村がそこにある。ここは眷村だが、特に泰緬から移住してきた雲南系が多い場所。今や穏やかで閑散としており、眷村(孤軍)展示館も閉鎖されていた。

ちょうど昼過ぎで、しかも雨が降ってきたので、そこにあったレストランに入る。きれいな店だったが、名前は美斯樂と書かれていてドキッとする。美斯樂とはタイ北部にあるドイ・メーサロンという地名。今や有名観光地でもあり、茶畑もある場所。この名前が付いているということは孤軍と関連があるのは明白。

店内には孤軍に関する展示が沢山ある。もしやすると展示館の代わりをしているのかもしれない。店の人に聞くと、オーナーはやはり雲南系の2世だといい、彼女はここに嫁いできた台湾人だという。今や眷村も代替わりしており、雲南や泰緬を知る人はあまりいないようだ。料理は予想以上の美味しさで満足。もう少しここで聞き取りなどしたかったが、我々にはまだ先がある。

そこから30分、坂も急になる。霧も出てきて視界がかなり悪くなっていく。そしてついに3275mの武嶺までやってきた。晴れていればかなり遠くの山々が見えるはずだが、この日の視界はほぼゼロ。一応記念写真だけは撮ったが、霧雨もあり、早々に退散する。こんな日でも自転車で上っている人がいるのには驚く。そしてちょっと心配になる。

そこからおよそ1時間半。ついに茶畑も見えてきて、福寿山農場に着いた。台中を出てから実に6時間かかった。ところが驚いたことに、何とここは台中市だった。台湾の行政区画のことは良く分からないが、どうやら山系、そしてその水の流れによって区分されているらしく、我々は埔里から仁愛郷を通って、また台中に復帰していた。気温は15度しかない。

前回ここに泊まったのはもう6年も前だろうか。それほど変化はないように見えたが、何となく部屋なども変わっている。そして本館の展示も詳細になっている。まずは茶工場を見学に行く。農場本館から少し上ったところにあった。工場の周囲には青心烏龍や鉄観音品種が植わっている。見学していると突如大雨になり、工場に避難する。そこでお茶を飲んでいると午後5時になり、本日は終了となった。

本館に戻り、チェックインする。部屋は別館なので雨に降られながら荷物を運ぶ。快適な部屋なのでよかった。すぐに夕飯となり食堂へ向かう。6年前は丸テーブルで団体がご飯を食べていたが、今や定食を注文する形式に変わっていた。これは明らかにコロナの影響だろう。泰緬関連の食事はないが、泰式檸檬魚を食べる。夜は農場の歴史を学んだ。

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