ぶらぶらバンコック滞在記2012(2)9月11~15日チェンライ

9月11日 チェンライ

今朝は昨日の豪雨が嘘のように良い天気だ。朝は近所の麺屋で豚肉入りきしめんを食う。どこで食べても美味いが、30バーツは安い。チェンライの物価はバンコックより安いと言える。

午前中は昨晩救助を依頼した日本人、Iさんよりお話を聞く。彼は日系企業のバンコック駐在員を辞め、3年前からこの地に移住。コーヒーと米を商っている。コーヒーはチェンライ郊外のアカ族の村で栽培。自ら週に一度は出掛けて行き、焙煎するという本格派。日本人を中心にタイ国内でネット販売。最近タイ人も急激にコーヒーを飲むようになったと言い、今後の潜在的な市場拡大が予想された。

Iさんは言う。日本の農業関係者はタイなどへ技術を持って進出し、ここで農業をやるべきだ。タイにもマーケットはあるし、東南アジアにもある。日本だけが全てではないと。

チェンライの生活はストレスも少なく快適。日本人は400名ほど滞在しているが、殆どがロングステイ。平均年齢は70歳近いらしい。そんな中で若手のIさんの生き方は私には大いに参考になる。大儲けするのではなく、自分のやりたいことを一歩ずつ実現していく、いいことだ。

お昼は近所で鴨ごはん。スープも付いて30バーツ。これもまた美味しく、そして安い。そのすぐ近くのお寺を見学。このお寺、堂に入ると風が吹き抜けて外の暑さを全て忘れさせてくれる。これは設計の知恵なのか、仏の御心か。

金ぴかの時計台を過ぎる。道路標識を見ると道路名がタイ語、英語、中国語の併記となっている。ここは華人の街か。確かにお茶を売っている店では中国語が通じたが、英語も話した。うーん、このこじんまりした街、なかなか面白い。チェンライの創始者、メンライ王の像が道沿いに建てられていた。1262年、メンライ王がこの地に遷都したとある。

ホテルの南、徒歩20分の所にセントラルプラザがあった。高い建物が少ない、デパートもなかったチェンライにようやくできたショッピングモール。タイという国はやはりバンコックの一極集中だ。店内はどこにでもある店舗が並び、平日夕方でも人はそこそこにはいる。ふじレストランという日本料理屋、数年ぶりに入って見る。お客は結構多い。また食べ放題の店が多く、中には回転寿司の回転台の上を色々な食べ物が回り、更には周囲にも沢山の食べ物が並んでいる店に人気があるようだった。タイ人の食生活も変化が見える。

9月12日 チェンライ3日目

今朝も快晴。朝、一昨日行った華人系の店へ行く。店頭で中国人観光客が数人、大騒ぎしながら、おかずを選んでいた。麺だけでは足りずに、野菜の煮物などを注文している。だが、どうみても華人の店のお婆さんは、顔色一つ変えずに英語で通していた。本当に中国語が分からないのだろうか、それとも話したくないのか。それにしてもこのお婆さん、非常に上品な立ち居振る舞いで、私が英語で話すと軽く頭を下げる仕草が見えたりして、雰囲気は良い。やはり話したくないのかもしれない。

11時ごろ空港へ向かう。チェンライの空港へ行くにはタクシーしかないと言われる。本当か?ホテルでタクシーを呼んでもらうと20分掛かるという。それなら道まで出て自分で拾おうかとすると、ホテル側が今来るから少し待て、という。しかし案の定、それから20分近くやって来ない。どうなっているのかと聞いている所へタクシーが滑り込む。人のよさそうな運転手だが、いきなり140バーツを請求する。この辺では空港へ行くのにメーターは使わない。ホテルのフロントで100バーツが相場と聞いていたので、その旨を告げるとあっさり引き下がる。取り敢えず言った者勝ち、ということか。困ったものだ。空港まで30分ぐらい掛かったので、100バーツは妥当な線。それにしても、チェンライはちょっと走ると郊外へ出てしまい、田園風景が広がる。まだまだ開発の余地がありそうなのだが、マンションブームもこれからのようだ。ロングステイの皆さんも戸建てに住んでいるケースが多いと聞く。

空港は昨年末にも来たことがあり、その際2階の食堂でネットが使えたので、行って見ると何と繋がらなくなっていた。これは一時的な故障なのか、いや皆が使えないと言っているから、サービスが後退したのか。このご時世に何故だろうか。代わりにネットの出来る所を聞くとようやくコーヒーショップがあることが分かる。

このお店、チェンライ付近の少数民族支援のNPOが経営しているらしい。店には少数民族の子供たちの写真などが飾られ、コーヒーが役立っていることを告げている。ここのコーヒーは美味しく、またパンなどの食べ物もイケる。ネットも繋がるし、なかなか良い。

バンコックへ戻り、夜は宿泊先の近所、テスコロータスの裏の中華料理屋へ単身乗り込む。日月楼飯店、オーナーは遼寧省出身、話してくれたウエートレスはチェンマイ出身の華人。水餃子は完全に中国の味。最近のバンコック、こんな店が増えている。因みに値段はそうは高くない。

9月13日 バンコックの病院へ行く

チェンマイ、チェンライの旅の途中から、何となく体がだるいと感じる。そして体が少し痒くなる。これは私にとって危険な兆候だ。疲れが溜まっているのかもしれないが、念の為、病院に行くことにした。会社を辞めてから初めて行く病院。クレジットカードに付与されている保険を活用しようと思い、日本人がよく行くという病院に電話した。バンコックでは、いくつかの有名病院に日本語サービスがあり、この病院も電話の会話は日本語だった。ただ「保険をキャッシュレスで使いたいなら、保険会社に電話してから来てくれ」と言われ、ちょっとビックリ。当然カードを提示さすれば良いと思っていたのだが。最近タイでは海外保険を悪用する人がいるので、その対策かもしれないが、ちょっと面倒ではある。

もう一つの病院、以前知り合いに連れられて行ったことがあるサミティベートにも電話を入れる。保険に関しては同じ答えだったが、症状を述べ、日本語の出来る医者をお願いしたところ、即座に対応できた。それからネットで保険会社のバンコックでの連絡先を調べ、電話を入れる。カード番号を告げると折り返し電話するという。掛かってきた電話は日本から。このサービスのコストはどうなっているのだろうか。兎に角無事にOKを貰い、病院へ。

タクシーを降りようとすると、ドアボーイがドアを開けてくれ、「ウエルカム」と言われ、ここはホテルか、と思う。建物内に入るときれいなフロアーで以前見たピアノの生演奏をやっている。又日本では考えられないほどゆとりのあるスペースにソファーがあり、表示には英語や日本語が入っている。看護師も日本語が出来る、いや各国語が出来る人を採用している。

日本人には専用窓口があり、すべて日本語で対応している。パスポートを出すと直ぐに写真を撮られ、診察カードが出来上がる。流れ作業であっと言う間に診察科へ進む。表示に「15分以上待っている人は申し出て」ともある。日本では考えられないサービスだ。実際15分しか待っていないオーストラリア人がクレームを付けると、受付が流暢な英語で説明をし、対応していた。

私は15分以内に呼ばれ、千葉大医学部を出た女性の先生に診てもらう。幸い大きな問題はなかったが、やはり病気の場合、母国語で説明を聞けるのは何より安心だ。また先生が日本語が出来ない場合は、通訳サービスを付けることも可能だという。また薬をもらうと日本語で「朝夕一日2回」などと書かれていて助かる。薬剤師もポイントの言葉はすべて日本語で説明してくれた。

そしてこの病院、入院患者及び付添い家族のために、各国料理のレストランが備えられている。日本料理は大戸屋が入っており、勿論病室へ運んでくれる出前サービスもある。イタリアンでもマックでも、スタバでも、何でもある。セブンイレブンから山崎パンまで、来客の便宜を最大限にはかっている。日本にこんな病院、あるのだろうか。医療ツーリズム、という言葉が日本でも言われているが、とても太刀打ちできない。

因みにこの病院の経営トップは医療関係者ではなく、元一流ホテルマンだと聞いた。そう聞けば、ここがホテルのように感じられた訳が分かる。

9月14日 MKダンスを見る

今日は大学の同窓生Oさんの誘いでアユタヤへ行く。アユタヤと言えば、昨年の洪水で甚大な被害があった場所だが、半年後にはほぼ復旧したと聞いており、行って見ることにした。バンコックを11時に出たため、途中で昼食時間となり、道路脇のBig Cというショッピングセンターへ入る。この店舗、タイではどこにでもある。そして中に入っているレストランも大体同じ。ある意味で安心して入れる場所である。

今日はMKをチョイス。タイスキと呼ばれる鍋は、日本ではコカレストランが有名であり、私も昔何度も行ったが、最近では高い、サービスが悪いと何かと評判を落としている。それに引き換え、7年前に初めて入ったMKというレストランは、庶民的で安くてサービスが良いことウリに、急速に店舗を拡大、今ではバンコックではどこにでもあると言うほど、知られる店となっている。

タイスキはタイの国民食となったと思う。平日の昼間だというのに、お客で満員だ。暑いタイで鍋を食べるなどは日本では考えにくいが、タイ人は鍋好きだ。Oさんによれば、「タイ人従業員はこちらの奢りだと言えば、エビやイカを食べるが、普通は肉を入れて食べている」という。実はタイでは海鮮が高い。通常は野菜と肉で食べる、面白い発見だ。因みにタイ人はイカは食べるがタコは食べない。だからMKのメニューにタコはない。

昼間から鍋をつつくのは悪くない。何だか幸せな気分になれる。そしてその幸せな気分を更に盛り上げるのが、MKダンスだ。突如店内に大音響が流れ出し、「MKスキスキ」との音楽に合わせ、何と従業員全員が客の座るテーブル間の通路で踊り出す。初めて見た私は呆気にとられていたが、一般の客は慣れたもので、平然と鍋をつつく。

このダンス、オーナーが考えたというが、何のためであろうか。従業員の健康のため、それともメジャーリーグのようなパフォーマンス、いずれにしても何だか、笑ってしまう。従業員には若い女性もいるし、おばちゃんもいる。決してやりたくはないだろうが、仕事と心得ているのだろうか、アメリカみたいに皆で楽しもうという雰囲気はなく、その遠慮がちな踊りが微妙に嬉しい。

鍋をたらふく食べた後、デザートにアイスまで食べてしまった。MKの魅力に嵌りそうだ。

9月15日(土) ヤワラーを歩く

今日はバンコックのチャイナタウン、ヤワラーを歩く。宿泊先の横のバスターミナルから4番というバスに乗るとヤワラーまで連れて行ってくると聞き、乗ってみる。何とこのバス、たまに走る無料バス。ラッキーだ。

土曜日ということもあり、道は空いていた。だがやはりシーロムを過ぎるあたりから混んできて、なかなか進まない。ヤワラーまで小1時間を要する。そして問題はこれから訪ねるノッパドン君のお店。彼は以前紹介されて、1年半前に一度バンコックの空港で会ったことがあり、今回も色々と聞こうと思っていた。だが彼らか貰った住所を見てもイマイチどこだが、分からない。まあ、いつものことだが、行ってから考えよう。

バスがヤワラーに入って、大勢が降りたので私も降りてみた。ノッパドンの店は骨董屋。何となくバス停から数歩歩いて見ると、何と何とそこに彼の店があった。ちょっと驚き。店に入ると彼も一瞬驚いた様子を見せる。彼の骨董屋はお父さんの代から。古めかしい雰囲気に誘われて観光客も入って来るが、本当のお客はヤワラーの人たちか。

ワット・トライミット(黄金仏寺院)へ行く。ここには高さ3m、重さ5.5トン、純度60%の金で造られ、時価推定120億円の価値があるとも言われる黄金の仏像があるが、私のお目当ては併設された博物館。ここに中華街としてのヤワラーの歴史が説明されている。既に200年以上の歴史を誇るヤワラーだが、現在でも70%は潮州系と言われ、米の貿易で財を築いた華人が発展させてきたことが分かる。ただお目当てのお茶に関する記述は殆どない。

仕方なく1軒の茶屋へ入る。ヤワラーの歴史、タイのお茶の歴史について聞いたが、全く関心が無い様子。南美書店へ行けと言われる。この街で一番大きい書店?が南美であり、ここへ行くもヤワラーの歴史は売り切れ、お茶の歴史などは見たこともないと言われる。更に別の茶屋へも入ったが、結果は同じ。何故歴史が語られないのか。

ヤワラーの街並みもドンドンきれいになっており、街の景観が一部失われていく。そして歴史も埋もれていくのだろうか。困り果ててノッパドンに所に戻ると「それなら客家総会はどうか」と言われて、又歩き出す。

実に立派な建物を有する客家総会。さすがお金持ちが多いのだろうと思う。ヤワラーでは既に普通話が通じにくくなっているが、こういう場所では問題ない。が、教えてくれそうな人もいない。3階にある寺院にお参りしろ、と言われ向かう。途中事務室があったので覗くが誰もいない。と、掃除のおばさんが手招き。行くとそこに男性がおり、「何の用か」と聞かれる。最初は不思議そうにしていた男性も話が分かると「ついて来い」と歩き出す。黙々と歩く彼の後ろを付いて行くと「三馬」と書かれた大きなお茶屋の前に。ただ時間は既に営業時間の午後5時を過ぎ、入れず。この男性最後に曰く、「いいか、必ずお茶を買ってから話を聞け。ここでは金を払わないやつにサービスはしない。分かったか」と言って立ち去る。次回お茶を買ってから聞いてみよう。どうなるんだろうか。






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