ある日のバンコック日記2020(15)ちょこっとヤワラー

そういえば、先日AISショップで買ったシムカード、1か月の期限が到来寸前だった。プロモーションということで1か月使い放題、僅か200バーツという格安だったが、今度買う時はどうなるのか心配だった。恐る恐るテスコのAISに出向いてみると、何とまた200バーツで1か月継続になった。空港で買うと1000バーツ出しても使い放題にはならないのに、いったいこれは何だろうか。

2月25日(火)ヤワラーへ

数日は、おとなしく宿で勉学にいそしむ。今回は勉強用の本は沢山持ってきており、プールで体を冷やしたのち、ゆっくりと本が読める環境もあるのは有難い。ただ時折中国人の若者などがけたたましく騒いでプールに入るのはいただけない。もう騒がしい中国人はいないと思っていたが、ずっとこちらに滞在している人がいるらしい。

昼ご飯後、久しぶりにヤワラーへ向かった。MRTは何となく空いており、ファランポーン駅も人が少なかった。今日はこれまでと少し違って、この駅の周辺、ヤワラーの中でも早めに発展した場所を訪ねてみる。マイトリッチ通り、余り歩いたことがない。直ぐに細長い古びたビルを発見。マンションと書かれている。100年は経っているだろうか。

その裏側、駅と運河を挟んだ向かい側にあるホテル、シークルンホテル(京華大旅社)が建っている。ここはレトロで立派な駅前ホテル。往時は有名人なども泊っていたらしいが、今や老朽化が激しく、取り敢えずOYOグループに吸収されてしまったらしい。中に入るともう少し色々と分かったのかもしれないが、何となく入る気に慣れず、通り過ぎてしまった。

マイトリッチ通りに戻ると、すぐに七聖媽廟がある。その横には斗母宮、これは一体なのだろう。更に歩くと、タイで最古のプロテスタント教会、マイトリッチ教会がある。華僑区礼拝堂と書かれているものの、やはりこれは潮州人のためにあるようで、礼拝は潮州語でも行われるらしい。商人の信者が多い教会なのかもしれない。中の建物はさほど古いとも思われないが、1935年と書かれている。

この付近には、古い建物を利用したカフェやゲストハウスが少しみられるが、ヤワラー通りと比べれば、本当に静かだ。ぐるっと回って、王さんの集友茶行でお茶を飲ませてもらった。ここでバンコック茶商公会の資料を得ようとしたのだが、既に公会は有名無実化しているようで、資料はない、と言われてしまった。

帰りに駅に寄ってみると、待合室では相変わらず大勢の人が列車を待っている。これで良いのだろうかと思うほど密集している。私も列車の旅がしたいと思い、バンコック近郊の路線を探すが、タイ語でよく分からない。駅から道路の向こうを見ると、ステーションホテルと書かれたて建物が見えた。あれは何だろうか。

夜NHKを見ていると、東北大学の押谷先生という人が出ていた。SARSの時にWHOで陣頭指揮を執っていた感染症の専門家だという。こういう実戦を経験した人の話は何とも説得力があってよい。ただ、ウイルス検査が進まないのは、日本には検査体制が出来ていないから、と言えない事情があるようで、何ともかわいそうな気がした。

とにかく日本は人の命より、パンデミックよりオリンピックなのだろう。同時に受け入れられる病院、ベッドに相当に限りがあることは、日本の医療体制はあまりにもぜい弱だ、ということを露呈しているのではないか。ただいまそれを言っても仕方がない、最善を尽くす、という姿勢が感じられた。

2月26日(水)K先生と

今日も午後はヤワラーの続きを歩こうとバスに乗っていた。するとK先生から『今から時間がある』と連絡があり、急にバスを降りた。なぜか今日は道路が混んでおり、ほとんど進んでいなかったが、降りた場所には屋台に毛の生えた食堂がいくつもあり、意外と美味しそうに見えたので、今度偵察することにして、MRTの駅に向かった。

相変らず会合場所はスクンビットのチョコ屋。場所が固定されているのが考えなくてとても良い。前回お会いしてからまだ数日も経っていない。まるで恋人のようだと冗談を言う。今日お会いしたのは、こちらから華人に関するある質問を投げたからだったのだが、その説明をメッセージでやるのは大変、ということで、口頭で説明をもらった訳だ。

更には前回話題に上がったミャンマー行きの情報も共有した。シャン州の中でも外国人は陸路で行けない場所もあることやソーボアの末裔情報など。ちょうどミャンマー茶の謎に関する原稿を書き上げたばかりで、そのなぞ解きをした気分ではあるが、果たして行けるのだろうか。今の時点でミャンマーには感染者はいないというが、中国人があれだけ入っていて、ゼロはないだろう。事態はどんどん悪い方向に走り始めている。

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