ある日の台北日記2019その2(18)台北国際食品展へ

6月21日(金)
食品展へ

19日の夕方、厦門から戻る。もう明後日には今年前半の台北滞在を終了して、東京へ一旦引き上げる予定となっていた。さすがにこの3か月でため込んだ資料の整理、持ち帰るものの仕分けなど、予想以上に細かい作業が続き、丸1日を費やしても終わらない。何しろ、ここから3か月は台湾に戻らないため、書かなければならない原稿用の資料は確実に持ち帰り、または今日書いてしまわなければならない。

 

しかし資料1つ1つに目を通すと、色々と思い出が頭をよぎり、ついつい読みふけってしまったりして、なかなか進むものではない。それほどに思い入れがある物、ということだろうか。そしてまだ足りていないところも浮き彫りになってくるので、片付けているのか、調べているのか、分からない状態になってしまう。

 

そして何より疲れが溜まっていた。さすがに安渓での濃い滞在を通して、体が消耗していた。自分のペースでできる旅だとそこまで消耗しないが、団体行動に振り回されるとあとが厳しい。特に食事をとり過ぎることが、どれだけ体力を落とし、疲れを増幅させるかは、今後の参考にしなければならない。

 

行けなければならないところもあったのだが、全て取り止めて宿泊先で荷物整理と格闘していた。前日の夜にはきちんとゴミ出しも行った。最終日の朝、葉さん夫妻に挨拶して、今後のことなど話していると、今ちょうど101で国際食品展をやっているから、ちょっと一緒に覗いて見ない、と誘われた。101ならそれほど遠くもないし、お茶屋の出店もあるとのことだったので、その話に乗っかっていく。

 

実は台北食品展は南港で行われていたのだが、規模拡大なのか、今年は101と2会場併用で開催されていた。葉さんたちの会社のブースは南港に出しているのだが、参考にするため101会場も見てみようということで出かけた。午前10時から開始なのだが、9時半には到着。既に会場前には出展者が列をなして入場している。

 

準備中のブースを回り始めると後ろから『久しぶり』と言われる。誰かと思って振り向くと4月に行った高雄の茶農家だった。彼は3月には幕張Foodexにも来ていたし、かなり活発に動いている。日本からも京都や静岡など数軒のお茶屋さんが出店していた。抹茶に興味ある葉さんは1軒ずつ回って、品定めを始めた。簡単な通訳をしながら一緒に話を聞いていると為になることも多い。

 

日本企業のブースで台湾人が売込みをしているのは台北開催だから当たり前だろう。勿論日本から来た社員がサポートして、うまく中国語で説明している。だがある一社はインド系社員が来ていた。彼の売り込みは、切り込み方がうまく、如何にもインド商法という感じで面白かった。今や日本でも外国人が普通に働いており、彼らは彼らのやり方で海外市場と対峙しようとしている。こういうアプローチがないと、日本茶はなかなか発展していかないように思う。

 

その後南投県のブースに行くと、日月潭紅茶を紹介していたが、そこの女性2人が突然『あなたのことは見たことがある』と言い出して驚く。聞けば、トミーの講座に参加しており、その中で台湾紅茶の歴史の講義を受けた時、写真に私も写りこんでいたらしい。確かにトミーとは何度も歴史茶旅を繰り返していた。今彼はその成果を講義の中で生かしている。これはとても大事なことだと思う。

 

タピオカミルクティーも大きなブースを構えていた。今や台湾だけではなく、日本でも、アジアでも大人気のドリンクとなったタピオカミルクティー。当然注目が集まっており、内外の多くのバイヤーが試飲をし、商談していた。このブーム、いつまで続くのだろうか。タピオカ、そんなに美味しいのだろうか。

 

宿泊先に帰り、荷物をまとめる。松山空港まではすぐなのでタクシーに乗ろうと思ったが、貧乏癖か、MRTに行ってしまう。大きなケースが2つもあるのに、何をしているんだ、効率を考えるべき。しかも空港でチャックインしようとしたら、1個の荷物の重さは23㎏までです、と言われ、3㎏を段ボール箱に移す羽目になった。合計重量には相当の余裕があるのだが、なぜこんな規則にしているのだろうか。ビジネスクラスは32㎏までOKなのに。(東京に着いてから、ケース2個と中型段ボール1個を持って家に帰るのは大変だった)

 

今回はマイレージでANAを使ったのに、とちょっと思っていたが、実は数日前からエバー航空は従業員のストライキに入っており、私がいつも乗る便も欠航になっていた。何か月も前から予測できるわけなく、何ともラッキーだった。機内では『飛んで埼玉』という映画を見たが、特に笑えなかった。そして私の上半期の台湾は終了した。

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