ある日の台北日記2019その2(13)台北高等学校

5月21日(月)
国家図書館で

今回は滞在が長いようで、台北から中国へ行くなどの予定が控えており、ゆったり構えている暇はなく、平日になると動き出す。まず今日は中正紀念堂の前にある国家図書館へ向かう。ここには以前一度だけ、古い新聞の調べで来たことはあったが、本格的に蔵書などを見る機会はなかった。

 

U-bikeに乗ると、さわやかに行き着くことができる。すでに入館証も作られていたので、簡単に入館する。そして館内PCで本を探したいのだが、ここのPC、なぜか日本語打てない?仕方なく、カウンターの人に頼んで探してもらった。多少の材料は見つかったが、核心的な問題に触れる本は少ない。今回私が見たかった新聞もここにはなかった。

 

そんな中、学生の修士、博士論文も沢山収蔵されていることを知り、こちらを丹念に当たり始める。同時に書庫に眠る論文も出してもらうように申請を行った。ところが、まるで日本の図書館のように?申請後1時間半も待たないとその論文を手にすることは出来ないと言われ、1時間半後に行ってみると『なぜかその論文、見付からないんですよ?』という始末。さすがにこれはまずいのではないだろうか。恐らくは人手も削減され、予算も限られているのだろうけれど、国家図書館なんだからなあ、と思いながら、お暇した。

 

5月22日(火)
資料探しで台北高校

昨日に引き続いて、朝から資料探しの旅。今日はまず師範大学へ行ってみる。この大学、名前は30年前からよく聞いていたが、一度も来たことがなかった。昔の企業派遣留学生は午前中師範大学で授業を受け、午後はTLIで個人レッスンに通うというのが一つのコースだったと思うが、私は既に上海で留学を終えており、同じ年齢の人たちが楽しそうに勉強している(上海ではあまり授業に行かず、旅ばかりしていた)姿は羨ましくもあったので、あえて来るのを避けていたのかもしれない。

 

門を入るとすぐそこに図書館棟があった。身分証(パスポート)を預ければ簡単に中に入れた。親切にも『日本人ですか?ここの8階には台北高校関連の展示室がありますよ』と教えられ、覗きに行くこととなる。一体どれだけの日本人がここに見学に訪れるのだろうか。8階まで登ると、建物の中央は空洞で、なかなかきれいな景色が見え、そして勉強している学生の姿も見える。

 

台北高等学校(その後身が現在の師範大学)と言えば、日本時代の1922年に設立された、台湾における唯一の高校で、ここを卒業しないと内地の帝国大学には進めない、と言われた学校だったと記憶している。李登輝元総統などの出身校だ。展示室は広くはなく、誰も見学している人もいなかったが、内容はかなり詰まっていた。

 

現在活躍中のタレント、ジョン・カビラ、川平慈英の父である川平朝清氏も台北生まれでここの卒業生。朝清が使用したノートなども展示されており、とても興味深い。他にも日本にゆかりの深い邱永漢や王育徳などの写真が飾られている。どちらもお会いしたことがある名前であり、何とも多彩だ。

 

教授陣も3分の2は東京帝大卒(歴代校長は全て)という、優秀な若手が送り込まれてきていた様子が窺われる。万葉集の研究で名高い犬養孝もおり、また子供の頃読んだ『次郎物語』の作者、下村湖人はここで学生のストライキに遭遇したという。

 

勿論光復後の台湾を支えた、立派な起業家になった卒業生も多くいる。私が今回注目したのは辜振甫氏。私は30年前、彼のグループ企業にお世話になり、2年程台北で過ごしたのだが、その中で1度直接お会いしていることも関係しているかもしれないが、何といっても光復前後に茶業を行っていたという歴史に興味があった。

 

この展示室には彼の一生に関する本が置かれていたが、鍵がかかっていて中味を見ることは出来なかった。彼のような台湾を代表する大物(日本でいう経団連会長を何十年も務め、最後は両岸海峡基金会のトップとして中国と対峙した)に資料がないはずはない。ここの図書館で、この本を見ることは出来なかったが、代わりにこの大学の卒業生の書いた論文は参考になった。本当に様々な研究をしている人がいるものだ、と今更ながら感心する。

 

辜振甫氏についてもう少し知りたいと思い、台湾大学に向かった。彼は台北高校から台湾大学に進んだ。ネット検索したところ、学内に辜振甫記念図書館があるというから、そこに資料があるだろうと思い、出掛けてみたわけだ。ところがそのきれいな図書館、名前は付いているのだが、それは遺族からの寄付で建てられたもので、決して彼に関する資料があるわけではなかった。なるほど、そんなものかもしれないが、ではどこに資料はあるのだろうか。

 

5月23日(水)
王将を覗いて

餃子の王将が台北に出店したらしいと聞いた。統一時代百貨は自転車ですぐなのもあり、また天気も悪くなかったので、ちょっと散歩がてら、覗きに行ってみた。地下2階の飲食街の奥にその店はあった。かなり広い店舗だが、夕方5時代だからか、お客は殆どいなかった。メニューを見ると、本格中華のような料理が並んでおり、簡単な餃子定食などはなかったので、かなり残念だった。

 

店員に聞いてみると『ここは日本とは違うんです』という。餃子の王将は中国大連に進出したが、すぐに撤退。その同じ年に高雄に店を出したらしい。当然中国での失敗を念頭に、きちんとした調査を踏まえて出てきたのだろう。そして満を持しての台北進出だから、私がとやかく言う必要はない。ランチにはセットメニューもあるようだが、一介の日本のおじさんとしては、餃子や回鍋肉定食が欲しい。

 

王将を諦めて、横にあったとんかつ屋に吸い込まれた。ここは5時代なのに、もうお客がかなりいる。とんかつ定食を頼むと、サラダが沢山出てくる、漬物が数種類出てくる、そしてさらっと揚がった美味しいとんかつが出てきた。これで日本円1000円ちょっとなら、これは満足できる料金と言えるのではないだろうか。

 

台北の日本食店は激戦である。ニーズは多いが競争相手も多い。少し油断するとすぐにお客を奪われる。そんな中で王将はどんなお客を描いているのだろうか。日本の中華、という、ある意味の日本料理で勝負できるのだろうか。焼き餃子なら、大手チェーン店が半額ぐらいで提供している。まあ、対象が日本人のおじさんでないことは確かだな。

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