ある日の台北日記2019その1(6)台南の災難

1月18日(金)
台南の災難

台南の災難?はまだ続く。今日は国立歴史博物館へ行こうと思い、早々にホテルをチェックアウトして、駅前のバス停に向かう。博物館行きのバスは一本しかなく、それは南駅から出ると書かれていたが、南駅とは駅の南側なのだろうか。分からないのでホテルの前へ行くと北駅との表示がある。聞いてみると、何と南駅と北駅は道路一本挟んでいるだけでほぼ同じ場所にあった。なんでこんな表示にするんだ、と言っても誰も取り合ってくれないだろう。

 

こんなことならもう少しゆっくりホテルを出ればよかった後悔しても、仕方がない。バス停に座ってボーっとしていると、8時発と時刻表に書かれているそのバスが、何と10分も前にやってきた。駅前で時間調整するのだろうと、ノロノロしていると、バスはすぐにドアを閉めようとするので、慌てて乗り込む。まさか10分前に出発するなんて、あり得ない。しかも次のバスは1時間半後なのだから、もし私は8時を目指してきていたら、全く乗れていなかったことになる。どうなっているんだ、台南。

 

バスは混んでいたが座れた。市内を抜ける頃にはほぼお客はいなくなり、ゆったり。そして40分後には博物館に到着する。博物館のバス停もなぜか2つあり、どちらで降りたらよいかなどは誰も教えてくれない。皆が降りた方で降りる。だが博物館は9時から開館なので、外で待たねばならない。

 

9時になって入場しようとすると、市内の中学生だろうか、数百人が社会科見学?で博物館に押し入って来た。真面目に見学する生徒もいるが、多くはアソビ気分で、大声を出して、走り回る者までいる。折角台湾の歴史をトータルに展示していてくれて、興味深いところだが、ゆっくり考えながら見ることもできない。取り敢えずお茶関連、日本時代関連の一部をさらって見て、早々に退散する。

 

ただ退散すると言ってもバスはすぐには来ない。ちょっと庭を散歩してから、降りたところとは別のバス停に行きバスを待つが誰も待っている人などいない。本当に来るのだろうかと心配になった頃、ようやくやってきて私は拾われ、昼前には台南駅前に戻って来た。途中バスには学生が大勢乗ってきた。学校は半日なのだろうか。

 

駅前から少し歩く。腹が減ったので適当に食堂に入ったところ、そこは4人掛けのテーブル席が10以上あったが、お客は4テーブルしかいなかった。私は入り口の席をベテラン店員に指定され、そこに座りメニューを見ていた。そこへもう一人客が入ってきたので、店員は私との相席を指示する。更にもう一人来た時、店員は私に向かって『お客さんが座るから荷物をどけて』というではないか。さすが驚いて『他にも一杯席は空いているだろう』というと、お客の方がスタスタと別の席に座った。店員はとても嫌な顔をしていたが、こんな扱い、台湾で受けたことはない。食べた物の味も忘れてしまった。

 

そんなことがあり、心の動揺からか、目的地に着けず、道に迷う。そしてフラフラと、昔何度か歩いた懐かしい場所を転々とした。そして最後に公会堂に辿り着く。目的の場所はこの裏にあった。池があり、木々が茂る安らかなところ。そこに昨年王育徳紀念館が建てられたと聞いていたので訪ねてみた。

 

王育徳氏は台南出身で、国民党の弾圧を逃れて日本に亡命、東大で学び、大学で台湾語などを教えていた人だ。実は私も大学3年の時に、興味本位で王先生の授業を取ったが、北京語すらままならない中、台湾語の難しさを恐れて、3回しか授業に行かずに放棄してしまった苦い思い出がある。それ以来、私にとって台湾語は鬼門となっている。

 

今日改めてここに展示されている物を見ると、王先生は単なる教師ではなかった訳だが、当時の私にはその人物の重要性など分かるはずもない。私が卒業した年に先生は亡くなってしまい、その死亡記事を見て初めて、王先生の別の一面を知った。以来33年、ずっと気になる人だったが、台湾の民主化や軍属問題などに真摯に取り組んでいた姿を見て、もう少し先生の話が聞きたかった、と勝手に思うのである。展示品の中にはあの頃授業で使っていた教科書など、懐かしい品々も見え、ここに来てよかったと思った。

 

ちょっと余韻に浸るため、また歩く。ロータリーがあり、そこにニニ八事件で犠牲になった台南の弁護士、湯徳章氏の胸像があると聞いたので、見に行ってみた。ところが像はあるのだが、その周囲は乱雑で、ちょっとビックリ。王先生には申し訳ないが、今回の台南訪問は、なぜか悪いイメージばかりが先行してしまった。

 

駅前に戻り、ホテルに預けた荷物を取り出し、駅に向かった。本当はもう少し台南を見て回るつもりだったが、これだけ災難?が重なれば、早く離れた方がよいと本能が訴えていた。台北行きの自強号の切符も買えたので、敢えて高鐵には乗らず、ゆっくりと眠りながら4時間かけて台北に戻った。

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