ある日の台北日記2019その1(1)台北から始まる2019年

《ある日の台北日記2019その1》  2019年1月7日-30日

正月明け、やはり今年も台湾から始めよう。と言っても、お茶の歴史の勉強、そろそろ方向を考えなければならない。今回は2019年をどうしていくのかも考えながら、過ごしていくことになる。新たな展開は果たして見出せるのか。

 

1月7日(月)
台北へ

今日は昼過ぎの便で台北に向かう。羽田発なので、ゆったりと出向く。世の中は今日が仕事始めらしい。空港は正月明けで、さほど混んでいない。イミグレを通ると、免税店のレイアウトが少し変わっている。そして常滑焼の急須や越前の漆器などが、特別に展示されていた。外国人がそれを興味深く眺めている。正月7日、ちょうど七草がゆを食べられるところがあったので、久しぶりに食べる。案外とよい。

 

いつものエバ航空に乗り込む。もう慣れてしまい、一番使いやすい航空会社になってはいるが、料金もどんどん上がってきており、毎回乗る訳にはいかない。特に羽田便に乗るのはこれが最後かもしれない、などと思う程だ。機内では名探偵コナンを見て、寝入る。

 

ふと気が付くと着陸態勢に入っており、その速さに驚く。松山空港は乗客が少ないので、イミグレも簡単で、すぐに外に出られる。いつもの桃園便より、だいぶん早く市内に着くので、葉さんは当然家にいないだろうと思い、Tさんと約束して、早めの夕飯を食べることにしていた。荷物を初めて空港のロッカーに入れ、少し早いので、空港周辺を散策する。

 

5時にTさんが予約してくれた小籠包屋で落ち合う。こんなところに店があるのか、という場所。聞けばTさんのお知り合いがオーナーだとか。空港からそれほど離れていなので、今後も使えるお店ではないかと思う。私は小籠包も好きなのだが、ここでは敢えて牛喃を頼んでみる。なぜか先日夢に見て?食べたいと思っていたのだが、ここで食べられるとは。

 

話に夢中になって時間は過ぎて行った。空港のロッカーから荷物を取り出そうとしたら、何と80元の支払いを求められている。3時間80元と書かれていたのだが、3時間を過ぎると、更に3時間分の料金を払わなければならないのか。たった30分のためには、高い代償だった。次回は気を付けよう。

 

葉さんに家に着く。今日は早くに家に帰っていたようで、ホームパーティーをしていた。気を使って時間を調整する必要はなかったかもしれない。いずれにしても、また資料がぎっしり詰め込まれた部屋に戻ってくることが出来た。もう腹も一杯だったので、すぐにぐっすりと寝込む。

 

1月9日(水)
大稲埕から中和へ

今朝は製茶公会に向かった。黄さんから、黄さん他のインタビューが載っている本を頂戴するためだった。この本には、6人の茶業人が掲載されており、その内容は台湾茶業の歴史を知る上で大いに参考になるものだった。既に出版元にも在庫がなく、黄さんにお願いした。実は11月にお会いするはずだったが、腰痛とのことで、1月に延期になっていた。

 

約束の時間に公会に行ったが、黄さんは現れなかった。30分過ぎて電話すると、『今行く』との返事。どうやら茶業者と熱の入った議論をしており、時間を忘れてしまったらしい。80歳を過ぎてもこの情熱、すごい。そしてまたこちらでも1時間近く熱弁を振るって、私の質問に答えてくれた。有り難い。

 

昼になったので、近くの鍋屋に連れて行ってもらった。カウンター席に一つずつ鍋が置けるコンロが設置され、鍋に野菜や豆腐などの具材を入れて煮て食べる仕組み。私の記憶に間違いがなければ、この一人鍋は30年以上前に台湾でお目見えしたものだ。あの頃単身赴任だった私には便利な鍋だったので、時々食べに行ったのを覚えている。それと比べれば、今日の鍋は調理器具も具材も相当進歩している。

 

午後は中和の図書館に出掛ける。以前は何度もここを訪ね、日本時代の新聞記事の検索をしていたが、最近はご無沙汰だった。図書館は823紀念公園の中にあり、初めてその敷地内を一周した。1958年に共産党と戦って勝利したことは、その後の台湾に大きな力を与えたのだろう。

 

図書館に行って見ると1階は改修中だったが、6階は特に変わりはなかった。今回は特に調べる目的はなかったので、カウンターの人に告げて、開架図書を見て回る。実はこのフロアーは、まずは目的を告げて、それに合わせて司書が本を探したり、PC使用を許可したりするシステムになっているが、さすがに顔馴染みになっているので、すんなり入れてくれた。

 

ここに置かれている日本時代関連の図書、こんなに沢山あるのかと驚いてしまう。いつもは手前しか見ていなかったが、奥が深い。本の範囲や内容も奥が深い。何だか沼に嵌ったような気分で数冊を手に取り、パラパラ見だす。日本語も中国語も合わせれば、興味深い資料がいくつもあり、いくら時間があって読み切れない。

 

その中で特に『日治時期 在満州の台湾人』という本に目が行った。先日訪ねた大連や天津に日本時代に渡った台湾人、その後はどうなっているのか知りたかったが、その資料は殆どなかった。この本は今から20年ほど前に、中央研究院が当時の人々から直接聞き取りを行った記録で極めて貴重。終戦後台湾に引き上げるまでの過程も一部語られていた。ただここで取り上げられている方の多くが医者であり、一般の、特に商人の記録は殆どないのは残念だった。

 

何故中和に来たのかというと、夜旧知のSさんとの食事場所がこの近くだったからだ。指定された場所を探すと、普通は来ないだろうと思われる、不思議な場所にある鉄板焼き屋。聞けばSさんの知り合いが近くに住んでおり、先日食べて美味しかったから、連れて来たという。シェフは海外で修行して戻って来て開業。住宅地で気楽だが、本格ステーキなどを出しており、お客は多かった。

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