ある日の台北日記2018その3(14)懐かしの床屋&包種茶コンテスト

11月28日(水)
懐かしの床屋へ

昼まで原稿を集中して書いており、何も食べていなかった。午後1時を過ぎ、さすがに腹ペコとなって、外へ出た。魯肉飯が突然食べたくなることがある。今日がその日だったようだ。更には暖かい大根スープも欲しい。そして付け合わせに?三層肉を頂く。生姜と一緒に食べると絶品だ。こういうものが簡単に食べられることにとても満足している。

 

実は9月に東京で床屋に行って以来、髪の毛を切っていなかった。これまでは埔里で世話になっていた家が美容院だったので、暇な時に下に降りて行って切ってもらう習慣がついていたのだが、台北で髪の毛を切るのは恐らく30年ぶりではないだろうか。どこへ行って切ればよいか全く分からずに迷う。

 

勿論きれいな美容院は沢山あるが、私にはそんな必要はない。駅の近くには日本のQBハウスの看板も見られたが、料金は300元と、埔里の美容院より高い。日本の10分、1000円よりも感覚的にかなり高いので、入るのはためらわれた。因みに東京の家のすぐ近くにはランチサービス、690円という床屋があるので、どうしても高く感じてしまうのだった。

 

実は宿泊先のすぐ近くに屋台街のような場所があり、その裏通りには何軒も床屋がある。これがまた流行りの美容院とは完全に一線を画す、レトロな床屋ばかりで、こちらに入るのもなかなか勇気がいる。ただもう髪が伸び切ってしまったので、一度は体験、ということでそのうちの一軒に突撃してみた。

 

本当にそこにあったのは、私が子供の頃に行った床屋さん、椅子もそうだし、頭を洗う流しもそのままだった。愛想のいいおばさんが一目で『あんた、日本人だね』と言ったのにも驚いた。台南から出てきてこの道40年、昔は日本人駐在員が沢山来たのだという。その頃のことを懐かしそうに話してくれると、私も懐かしくなり、ついつい話が弾む。

 

勿論最近はお客も減ってはいるようだが、台湾のおじさんたちはこの辺へ来て、髪を切るらしい。古いビルの狭いスペースだから、家賃も安いのだという。頭を洗ってもらう時、鼻に水が入らないように、息が詰まらないように呼吸を整えていると、本当に小学生に戻った気分になる。髪を切り、シャンプーで頭を洗い、多少剃ってくれる、これで300元なら、QBハウスに行くよりはずっといい。そして何よりも楽しく会話するのは何とも良い。

 

11月29日(木)
坪林へ

先日台中で張瑞成氏と会った時、コンテストの話が出た。1976年の鹿谷コンテストはとても有名でその後の凍頂烏龍茶の発展に大いに貢献したと聞いているが、実はその1年前に新店で包種茶コンテストがあったことはあまり知られていない。張氏によれば、1975年に鹿谷、新店で同時開催を目論んでいたが、鹿谷は道路工事があり、1年遅れたのだとか。この新店のコンテストがどんなものだったのか、それを知るために、坪林に向かった。

 

午後2時頃行くと伝えていたが、何と新店から坪林に行くいつものバスはちょうどよい時間が無い。そういう時は大坪林から羅東行に乗ればよいと思い出し、MRT大坪林で降り、バス乗り場に向かった。ちょうど1時発のバスがあったのだが、その前後はなく、もし1時過ぎに来ていたら、大変なことになっていた。やはりバスは確実に時刻表を確認した方がよい。

 

バスは空いていた。道も空いていた。30分ちょっとで坪林に着いてしまった。このバス停は川沿いに着く。向こうには博物館が見えるが、改装は終わったのだろうか。随分と転じない夜が変わると聞いているが。歩いていつもの祥泰茶荘に向かう。大体いつも誰かお客がいてお茶を飲んでいる。ちょうど店では昼ご飯の時間だった。

 

コンテストの話を切り出すと、お父さんが『あの時は現場にいたよ』とサラっという。その時のコンテストは初めてだったから出品も多くはなかったらしい。そして『うちもちゃんと受賞しているよ』と言って、見せてもらったのは、農林庁から得た特等賞のプレートだった。優勝記念、とも書かれているから、この年のトップを取った。しかもその後4年連続優勝したらしい。ちょっと感動した。

 

実はこの祥泰茶荘の歴史は古く、一番古いコンテスト受賞プレートは1960年のものだった。この時も優勝記念だから、何ら変わらないのではと思ってしまうが、以前のコンテストは製茶技術コンテストではなかったろうか。1975年以降は、内需促進のため政府が仕掛けたコンテストだから、かなり趣は違ったはずだが。

 

因みに75年の主催者は農林庁だが、78年は坪林農会になっているのは何故だろうか。相変わらず謎は深まるばかりだが、その答えは見いだせず、凍頂烏龍茶が絶頂を迎える中、包種茶はさほどのヒットを飛ばすことが出来なかったようだ。当時は既に清香型が主流だったようだが、台湾人は濃厚な凍頂を好んだということだろうか。

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