ある日の台北日記2018その3(15)包種茶の謎

12月2日(日)
仁愛路散歩

土日は人と会うのも少なく、図書館に行く気も起きない。いつもブランチを食べる店も混んでおり、そこも敬遠すると食事の場所にも困る。今日は天気も良いので少し遠くまで散歩してみることにした。仁愛路、30年前に台北にいた時から高級住宅街、というイメージがあったが、大きな街路樹が植わる広い道は今も堂々としている。

 

きれいな道、そして立派なビル。いかにも高級住宅街らしく、高価な骨董や絵画を売るギャラリーなどがある。だが、ビルの1階には空き店舗が目立つのも事実だ。家賃高騰に商売が合わなくなっているのだろう。台湾経済の低迷?はこんなところにも表れているように思える。

 

途中に飯屋があったので入ってみる。仁愛路から少し外れており、庶民的な店だ。ここで内臓系のスープを飲む。こういうスープ、日本にはないのかな。美味しいのになあ。腹ペコだったのであっという間に平らげる。すると腹が膨らみ、またゆっくりと散歩することになる。

 

東門外市場という昔からありそうな市場へ迷い込む。何となく懐かしい雰囲気がある。屋根のある屋内から外へ出ても市場は続いていた。狭い道の両側に露店が並び、盛んにお客に声を掛けている。そこへ突然救急車がサイレンを鳴らして入って来た。道の真ん中に野菜や果物を並べていたおばさんたちは急いで片づけをして道を開け、救急車は何とか通り抜けていく。特になんだということはないが、さり気ないこういう光景には癒される。

 

12月3日(月)
包種茶の謎

先日トミーから『包種茶について、SNSで面白い議論があるよ』と連絡があった。それは1840年の新聞広告に、Pou Chong Teaという名前が出ているというのだ。Pou Chong Teaといえば、中国語名は当然包種茶のはずだが、この時期、一体どこに包種茶はあったのだろうか。

 

その新聞記事を送ってもらうと確かにNYに輸入され、売り出される茶の中にこの名前がある。中国福建で包種茶を発明したのは、1796年の王義程という歴史も見ているので、当時福建からアメリカに輸出されても不思議ではないが、やはり現実にこのような証拠があると、本当にあったのだな、と妙に納得する。

 

そしてこの新聞記事を持っていたのは、以前紅茶の調査で出向いたこともある、新竹関西の台湾紅茶という会社の子孫で、現在の紅茶館(博物館)を作った羅さんだと聞き、一度会って見たくなる。トミーが連絡してくれ、すぐに会うことができたのは幸いだった。羅さんも当然ながら茶の歴史に詳しく、特に自分の実家の茶業や紅茶の歴史を独自に研究しているという。いわば同好の士だ。

 

例の新聞記事については、実は記事を入手しただけで詳しいことは何も分からないと言い、それでSNS上で歴史好きが議論していたのだという。実は私もちょっと聞いてみたところ、東京の紅茶専門店のKさんから、『イングリッシュ ブレックファースト』という紅茶はブレンドだが、その中にはPou Chongが含まれている、と教えられていた。しかもこのブレンドが発売されたのは1843年だというから、大体符合する。これは面白くなってきたが、今日はここまで。次はいつ新しい発見があるだろうか。

 

因みに食事をした場所は、どんぶり屋という名前の和食店。海鮮丼が一押しということで食べてみたが、魚も新鮮で美味しかった。このレベルなら、十分に堪能できる。確かに最近どんぶりを売り物にする店が増えているようだが、一種の流行だろうか。また食べに来たい。

 

12月4日(火)
新店へ

明日は日本へ向かう。2018年台北最後の前日。荷造りなども終わり、少し時間が出来た。散歩も飽きたので、バスに出乗ってみようと思う。ちょうど新店行きのバスが来た。新店と言えば、先日1つの廟の名前が出てきていたので行って見る。バスは高架を走りMRT新店駅を越え、橋を渡る。そこで降りて太平宮を目指した。少し登った場所に思ったより大きな、立派な廟があった。参拝する人は誰もいない。3階まで登るとかなりの景色が見える。建物自体は建て替えられているのだろうが、最初の廟は200年ぐらい前に樟州から渡って来た人々が建立したらしい。

 

実はここは、現在調べている王添灯氏の故郷に近い。そして説明文を読んでいくと、この廟の管理を光復後長い間行っていたのが、添灯氏の兄、王水柳氏だと書かれている。王家にゆかりの廟なのだ。この規模からして、茶業で儲けた資金でここの管理をしていたのだろう。家もすぐ近くらしいが、どこにあるのか見つけることは出来ない。周囲を歩いていると、お墓に突き当たった。それもかなり大規模な墓地だった。何とここは空軍墓地。1950-60年代に亡くなった人、そしてその遺族が多く葬られていた。

 

夜は旧知のKさんと食事。いつもと違うところにしようというので、歩いていると、新しい小籠包屋さんが目に入る。きれいな作りだ。中はなぜか回転すし屋のようになっており、何と注文したものが、レールに乗って運ばれてくる。日本のどこかでも見たサービスだったが、それを模倣したのだろうか。相変わらず台湾も色々とやってくれる。翌日は何事もなく東京に戻った。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です