ある日の台北日記2018その3(12)孤独のグルメ、そして木柵のレジェンドに会う

11月17日(土)
茶展2日目

2日目の茶展、今日は昼前にゆっくりと出掛ける。ブースは一通り見たので、今日はイベントを中心に見ることにした。会場に着くといきなり4階に上がっていく。今日は土曜日なので、昨日より来場者がぐっと多い。コーヒー展の会場は先に進むのが難しいほど、人で溢れていた。

 

その人込みを掻き分けて向かったのは、なぜか茶飲料のブース。そこではトミーが茶飲料のセミナーを開催しており、人だかりが出来ていた。茶に関する普及活動、コーヒー党にも紹介していく姿勢は素晴らしい。ただあまりに会場が大きく、常にざわついており、そして人の流動性も高いので、かなり話しにくかっただろうと想像する。聞いてくれる人がどこに関心があるのかを測るもの難しく、こういうオープンスペースで話すのは私には無理だな、と一瞬で判断する。

 

1階に降りると、中央のスペースで、Aさんによる、日本の手もみ茶実演会が開催されており、こちらは座るスペースがあり、落ち着いた中、実際に手もみが行われ、参加者はその味を確かめ、茶葉を手で触り、色々と質問していた。日本茶への関心もどんどん高まっており、毎年行っているこのような交流には意味がある。実演スペースの直ぐ近いには、静岡県などが日本茶の宣伝販売に務めており、一定の関心を集めていた。

 

そうこうするうちに、Uさんがやって来た。彼は鹿谷での仕事を終え、台北に来ていたので合流した。葉さんのブースで挨拶していると、茶業改良場の黄さんもやってきて、皆で話し込む。そのまま黄さんの後ろについて、もう一度ブースを回ってみる。さすがに黄さんは業界の有名人であり、あちこちのブースから声が掛かり、挨拶を繰り返し、あるブースでは座って茶を飲む。

 

驚いたことに元台湾プロ野球の選手が、黒茶を売っていた。こういう出会いも、言われなければ分からない。Uさんもプロの視点から、様々な茶を試しており、そのトレンドを掴み、業務に生かすことに余念がない。私には見えない多くの物が、この二人には見えているのだろう。その後は一人になり、原住民の高山茶などを見て回る。

 

翌日の3日目は茶展に行くのをお休みして、厦門に行く準備をしていた。夜は許さんによる手もみのAさんたちの歓迎会に誘われたので、出席した。来年2月、許さんを団長に台湾茶業者20名が静岡を訪問し、手もみ茶の勉強をする予定だということで、その関係者が参加、沢山の料理が出てきて大いに盛り上がる。私は静岡の皆さんと交流を深めた。

 

11月19日(月)
アテンド

昨晩静岡から来ているNさんが『明日の最終日、お休みもらえたから、台北観光したい』と言われ、私がお付き合いすることになった。皆さん自主的に台北まで来て、日本茶の宣伝に努めている方々だから、大稲埕あたりのお茶の歴史を紹介したいと考えた。

 

ホテルは比較的大稲埕に近かったので、歩いていくことに。朝方は雨が降ったが、ちょうど止んだのが幸いし、涼しいお散歩となる。皆さん、3日間和服を着て、茶展会場で立ち仕事をしていたので、さぞやお疲れかと思っていたが、お茶農家などで鍛えておられ、歩くのは問題ないという。

 

観光客の多い迪化街を歩くと、乾物屋などから声がかかる。いつものお茶屋をちょっと見て、淡水河の景色を眺める。貴陽街の歴史を少し話したら、もうお昼だった。『どこか地元風の食堂に入りたい』と言われたが、ここは観光地だからどうだろうか。フラフラ歩いていると、如何にも昔からあるという小さな店の前に出た。夫婦が忙しそうに働いている。

 

何とその店は日本のテレビ番組『孤独のグルメ』に登場したと書かれている。私はこの番組を見たことがなかったが、名前は知っていた。少ない席に何とか座れたので、好奇心でここに入ってみた。よく見るとお客の半数以上は日本人で、台湾人はテイクアウトして持ち帰る人が多い。

 

メニューを見ると、普通の魯肉飯から『五郎セット』なるものまである。隣で食べている豆腐が旨そうなので注文し、下水湯(砂ぎもスープ)も頼んでみる。同行者は興味津々というより『大丈夫かしら』という眼差しを向けている。来客が多く、なかなか料理は来なかったが、お腹が空いていたので、普通に美味しく頂く。私はテレビで宣伝するような店に入ることはあまりないが、偶にはこういうのも良いかと勝手に思う。

 

まだ少し時間があったので、腹ごなしに歩いて、林華泰へ行って見た。この店に入るのは10年ぶりだろうか。雰囲気は変わらないが、ちょっときれいになったようだ。日本語を少し話す若い店員が、奥の工場を案内してくれた。以前は店に入っても、ちょっと怖い雰囲気があったが、今や観光客の取り込みに懸命な様子、変化を感じた。

 

会場の片付けに行くNさんたちと別れて、私は木柵に向かった。先日陳先生から紹介された張協興のお父さんに会うためだった。行って見ると、97歳のお父さんはずっと待っていてくれた。早速お話しを聞いたが、台湾語を話すので、孫に通訳を頼んだ。若い頃張乃妙と商売した話や80年前の鉄観音茶がどのような形だったとか、非常に参考になる生の情報が続出した。

 

その後、夕飯をご馳走になり、何とお父さんと二人で食べた。木柵のレジェンドは97歳とは思えない食欲を見せ、私にも食べ物を進める気づかいを見せた。言葉は通じないが、暖かい物を感じる。すごく元気だが、歩くときは介助者が付く。彼女はインドネシア人だが、何と国語も台湾語もある程度以上分かるからすごい。日本もこのような介護者を入れるべきだと強く感じる。

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