ある日の埔里日記2018その3(5)お茶合宿最終日

5月1日(火)
3日目 合宿最終日

さすがに朝は早く起きた。昨日は昼ご飯を食べずに、夜遅くに弁当を食べたことが影響していたかもしれない。6時台に起きて散歩してみたが、何と1軒だけあるセブンイレブンは午前7時からだった。珍しく朝食は開店を待ってセブンでおにぎりを買う。他に選択肢はあまりなかった。まあ外で食べる朝食は案外気持ちがよい。

 

ここから下に降りると、見事な林があり、観光客が山を眺めるスポットがあった。そこで太極拳?をしている一団がいた。地元の人だろうか。何だかとても気持ちよさそうで、一緒に体を動かしたい、そんな衝動に駆られるほど、疲れは溜まっていた。奮起湖の駅に行ってみたが、何と列車は運休中。横にある博物館も勿論早朝は開いていない。それでも鉄道オタクの台湾人が写真を撮りまくっている。

 

9時に昨日タクシーを降りた場所に迎えが来るはずだったが、やってこなかった。昨日までの2日とは運転手が違うという。遅れてやってきたおじさんは、謝りもせず、荷物を運ぶのも手伝わず、道もよく知らない、という困った人だった。いや、昨日までの運転手のサービスが良すぎただけかもしれないが、一旦それに慣れると、もう取り返しは付かない。この日一日、この運転手への不満は皆の中に充満する。

 

まずは昨日も訪ねた太和村の中で阿里山に一番近い、樟樹湖に向かう。住所は梅山郷だが、実質的には阿里山と言ってもよいかもしれない。樟樹湖というお茶のブランドはなく、普通はあまり聞かない名前だが、基本は卸しに徹しているようで、実は阿里山茶として台北などの茶商が買って行っているらしい。茶畑では茶摘みが行われ、道路脇では日光萎凋が始まっていた。

 

狭いエリア、道の両側に茶荘が数軒並んでいる。我々が車を降りるとすぐに声がかかり、茶を飲みに入る。実はM氏、この一帯でも有名人で、FB友達多数。彼らは前日のFB情報でM氏が今日あたり現れることを知っていた。こんな日本人、いるのだろうか。いや、いるんだな、現に。

 

この付近も1980年頃茶作りが始まったという。梅山龍眼、瑞里辺りから、登って来たのだろう。ここから阿里山へ高山茶の歴史が繋がっていく。ただ今はもう、どこから高山茶が始まったか、などということに興味のある人はいない。昨晩の製茶の疲れもあり、商売にしか頭は働かない。我々のような小口のお客は、日本人だから何とか相手をしてもらえるのだろう。いいお茶はすぐに茶商が大量に買い込んでしまう。2軒ほど訪ねて、この地を後にする。

 

ついに阿里山公路を走る。1時間ほどで目的地、石棹近くに着いたが、運転手は場所が分からず右往左往。むしろM氏の方が詳しく、詳細な指示をして何とか到着。ここも皆が初めて訪れる場所だった。ちょうど昼時のせいか、約束の時刻からかなり遅れたせいか、何となく会話がかみ合わず、退散。それからもう一軒、M氏の思い入れがある茶園の茶を商っているところを聞いて訪ねるも、先方は売る気もなく、茶も?で、やはり?空振り。

 

そして午後1時ごろ、阿里山公路唯一のガソリンスタンド前の茶荘に入る。オーナーの伍さんはまじめな人。ちょうど茶作りの最中で忙しいそうだったので、昼ごはんを食べてから出直すことにした。M氏からランチという言葉が聞けるとは夢にも思わず、嬉しいやらなにやら。先ほど来た道を戻り、鶏飯とタケノコスープを食べたが、やけに美味かった。

 

それから先ほどの茶荘に戻る。実は私は15年ぐらい前から数年間、この茶荘のすぐ横の茶農家と非常に親しく付き合っていた。最近はご無沙汰していたので、ちょっと抜けて店に行ってみたが、残念ながら夫婦ともに外出中で会うことは出来なかった。戻って伍さんに聞いてみると、親戚だという。何とも懐かしい。帰ってから、FBで繋がったのは有り難いことだった。

 

それから車は山道を下っていく。最後の一軒は2年前に訪ねた隙頂。その際、M氏から紹介されたのが蘇さんだった。蘇さんは非常に探究心の強い人で、コンテスト用の茶を作り、数々の賞を受賞している。我々が入っていくと蘇さんは何と私を覚えていてくれ、しかもFBも見ていてくれていて驚く。

 

何ともいい焙煎の香りがする。ここではなかなか普通では飲めないお茶がいくつも出てきたが、我々が手に入れられる物は限られていた。それほど貴重、または売ることができないものだった。蘇さんは焙煎作業を続けながらも、楽しそうに相手をしてくれていた。きっとこの日は茶作りの調子もよかったのだろう。

 

ついにお茶屋訪問が終了した。3日間で一体何軒のお茶屋を回り、どれだけのお茶を飲んだことだろう。1時間で車は嘉義の高速エリアに着いて休憩後、更に1時間ちょっとで台中まで何とかやって来た。そして駅近くで車を降りて皆と別れ、重い体を引きずりながら、バスに乗り、埔里に戻っていった。

 

今回の旅は言ってみれば、『全ての余計なものをそぎ落とした究極の茶旅』であり、そのスタイルを極めたM氏には感動すら覚えた。ただ旅のスタイルとしてありかな、とは思うものの、私の旅とはあまりにも異なっており、付いて行けなかった、というのが正直な感想だ。私も歳をとったものだ、と言うほかはない。

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