ある日の埔里日記2018その2(9)埔里郊外散歩

4月1日(日)
埔里郊外散歩

週末の遠出は避ける、これを埔里生活での原則としている。近くに日月潭や清境農場などの観光地を抱える埔里では、週末にバスに乗るのがちょっと大変になることがある。毎日暇なのだから、人が多い週末に無理して出掛ける必要はないのだ。必然的にゆったり過ごせばよいということになる。

 

昨日は近所の朝食屋に初めて入った。私にはすでに行きつけ、と呼べる場所は2-3あったので、これまで入らなかったのだ。何となく店内がきれいになっていたので、試してみることにしたら、これが大正解だった。女性三人でやっているお店、ここのクラブサンドは、きちんと丁寧に作られていて、味がいい。おまけに45元と、行きつけの店より安いのだから、驚いた。宿泊先から一番近い店、これからはご贔屓にしよう。

 

埔里図書館にも行ってみた。ここの4階には埔里文庫があり、埔里の歴史関連の展示があり、貴重な資料や写真も公開されている。担当の陳さんからの情報を求めて何度か訪ねているが、それ以外の階に行くことは殆どなかった。1階のオープンスペースではおじさんたちが新聞を広げている。フラッとみてみると、Hanakoなど日本語の雑誌も置かれている。日本コーナーもあり、日本旅行用のガイドブックなども充実していた。この辺はやはり台湾だな、と思ってしまう。

 

3階には日本統治時代関連の本、日本語で書かれた本も少し置かれている。そして日本と同様に、学生が一生懸命勉強していた。ここの席には仕切りがあり、電源も備わっているので、使い勝手がよさそうだった。平日ならば、それほど混んでいないだろうか、今度はここで集中して文章を書いてみたいと思う。

 

今日は天気も悪くはないが、それほど暑くもないので、少し遠出の散歩を計画する。埔里郊外を歩くことはこれまでなかったので、まずは愛蘭地区に行ってみる。埔里酒廠の前を通り過ぎ、崎下までやってくる。ここまではバスでいつも通っているところだが、ここから真っすぐ坂を上ってみる。

 

坂の上には教会が見えた。その横には立派な学校も見える。この辺は埔里の街とは雰囲気が少し異なる。そのまま歩いていくと、商店街のような場所があり、特に辺鄙なところではない。ちょっと予想外だ。更に進むと天后廟が出てくる。ここまで来ると家もまばらになり、農村風景が広がってくる。何だかちょっと暑い。

 

その先に広興紙寮と書かれた場所があった。ここは元々製紙工場だったようだが、きれいになっている建物に入ると、天井が高い。紙の原料などの展示があり、勿論完成作品を見ることもできる。横では制作に励んでいる人もいた。冷房が効いており、涼しくて休みがてら、ボーっと見ている。

 

その横に行くと、製紙体験ができるスペースがあり、中では実際に小学生?が何かを作っていた。ここに入るには入場料がいるようだが、料金を徴収する人も制作指導に出てしまっており、入るのはためらわれ、そのまま帰る。この付近の道が曲がりくねっており、どこを歩けばよいか迷う。遠くに台中に行く時に高速に乗るための道が見えた。

 

フラフラ迷いながら埔里の街の方向へ行くと、何となく1周回って、先ほど坂を上った学校の辺りに出てきた。そこには大きな病院があり、その敷地には小さいけれど感じの良い教会が建っている。キリスト教病院と呼ばれている場所だった。1950年代に建てられた病院は既に建て替えられて大きくなっているようだったが、1961年に建てられた教会はそのまま使われているのがよい。光復後、原住民の暮らす山には宣教師が入り、布教に努めたというが、ここはその拠点だったのだろうか。

 

流石に疲れたので、今日はここまでと宿泊先に帰る。その途中、普段は通らない道を通ってみると、何と鳥居が作られているではないか。どうやら和食レストランらしいが、鳥居をここに置くのはどうなのだろうか。雰囲気を盛り上げるなど、商売上の理由かもしれない。台湾の日本ブームにケチをつけるつもりはないが、形だけ真似ても意味はないと思ってしまう。

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