ある日の埔里日記2018その2(8)台中の誕生会

3月28日(水)
台中の誕生会へ

ようやく埔里に戻ってきたという感覚が強い。今やここ埔里が私のホームグランドだともいえるし、何とも落ち着く。好きなクラブサンドも食べられるし、静かでゆったりとしているところがよい。今日はお隣のおばさんに挨拶して、朝から米糕と肉羹を食べて、すぐにご機嫌になれる。

 

実は先日嬉しいことがあった。台湾では買い物をすると常に受け取る統一発票、その理由はこれが宝くじのようになっており、2か月に一度抽選発表があるのだが、前回ついに200元が当たっていたのだ。これまで一体どれだけのハズレをせっせとチェックしてきたことだろうかとその苦労?を思い出す。

 

しかし当たったのはよいがこれはどこで賞金に換えられるのだろうか?知り合いに聞くと『郵便局』というではないか。外国人も対象なのだろうか。恐る恐る近所の郵便局にこの発票を出してみると『裏にちゃんと記入しろ』と言われ、無造作にパスポートとともに返されてしまった。もう少し優しい対応はできないのだろうか。台湾の郵便局は15年前に株式会社化はしたが、民営化はしていないらしい。

 

そうだな、台湾の嫌なところはこんなところかもしれない。郵便局のサービスは旧泰然としており、『やってあげる』感が半端ない。お客が来れば仕事が増えると言った、昔日本でもあったサービスが今も堂々と健在だ。特に田舎は顕著であり、知り合い同士だとニコニコしているが、それ以外だと愛想はない。まあそれでも200元を手に入れてなんとも嬉しい。

 

今日はYさんのお誘いで、台中に出掛けることになっていた。待ち合わせ場所は郵便局の向こうだったが、既に他の3人のメンバーはそろっており、Yさんの車に乗り込む。音楽会だと聞いてはいたが、私にはどんな会なのかよくわからなかった。まあ折角のお誘いなので、取り敢えず同行した。

 

途中で建設会社勤務だったYさんが作ったというトンネルを潜った。このトンネルのお陰で埔里-台中間は劇的に近くなったのだ。有り難い。約1時間で台中市内に到着。何だかきれいな建物に入った。ここは結婚式場であるらしい。『故郷 春が来た 桜 音楽会』と書かれている。

 

中に入ると広い会場では、テーブルと席がどんどん増やされていた。その真ん中にピアノが置かれており、日本人女性が練習している。バイオリンを弾く男性も日本人。聞けば石川県からやってきて、以前もコンサートを開いている方々だという。合唱団?の女性たちがピアノに合わせて歌の練習。台湾で日本人の演奏を聞くというのも珍しい。

 

席に着くと、埔里や台中に住む台湾人が多く来ている。我々の周りには日本語ができる台湾人が何人か座っていた。さすが台湾、日本に住んだことがある人やYさんの日本語の生徒やらで、日本語が飛び交う。MCの女性は着物を着て、日本語と国語を自由に操っているからすごい。

 

会が始まるとすぐに紹介されたのが、家倉多恵子さん。彼女は話題の映画『湾生回家』に出演した台湾生まれの日本人女性で、今年88歳。今日はその米寿を祝う会だとようやく分かった。参加者からお祝いの言葉が飛び、誕生ケーキも登場した。映画を撮った黄監督もわざわざ台北から来ていた。なぜか彼は私のところに来て名刺交換した。今度ゆっくり話そうと約束して別れる。

 

食事が始まると料理がどんどん出てきて凄いことになっている。昼からこんなに食べられるだろうか。同時に各テーブルでは顔見知りを見つけての挨拶も盛んに行われ、日本語の歌が披露される。まさに結婚披露宴に出ているような感じになる。そうこうするうちにメインの演奏が始まったのだが、音楽を聴くという雰囲気にはなかなかならない。やはり今日は単なる演奏会ではなかったのだ。

 

実に久しぶりにこんな宴会?いや演奏会に参加した。ピアノもバイオリンも頑張って演奏のギア?を上げ、皆も音楽にノッて来た。『ふるさと』のような曲が流れると、何だか異国感があふれ出すのが不思議だ。そんなこんなで3時間近くに及んだ会が終わる。またYさんの車で埔里まで送ってもらう。今日は何だか稀有な体験をした気分だ。

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