ある日の埔里日記2018その1(3)豊原へ行ったが

1月23日(火)
豊原へ行ったが

翌朝、昨晩別れたばかりのトミー一行とまた落ち合う。彼らは昨晩埔里に泊まり、私は彼の車で埔里まで運んでもらっていた。今日は魚池の改良場に向かう。トミーの用事にくっ付いていくことにしたのだ。いつ行っても眺めの良い小高い丘の上にある改良場は、私が好きなスポットである。

 

昨年10月末に鹿谷で再会した黄さんは場長になっているので、彼と懇談した。とにかく色々な引出しを持っている人なので、質問すべきことはいくらでもあり、いくら時間があっても足りない。ただ今回はトミーの用事優先なので、その間に挟む形での質問となり、多くは積み残しとなる。まあ取り敢えず高山茶のヒントを得て、満足。

 

午後から豊原へ出掛けた。台鐵台中駅まで出ると、駅の改修工事が更に進み、駅前はかなり変貌していた。そこから台鐵に乗ると15分ぐらいかかる。まあローカル線の旅だが、意外と乗客は多いのでノンビリも出来ない。豊原と言えばジョニーを訪ねるために毎回来ているのだが、今回は高山茶の歴史を知りたいので、是非お父さんにもお話しを聞きたいと言ってあった。

 

だが泉芳茶荘に到着するとお父さんもジャニーの姿もなく、お母さんと常連客が迎えてくれた。最初はちょっと怖い、と感じたお母さんだったが、今は打ち解けて気楽にお茶が飲めるようになる(私があまりにお茶に疎いので諦めたのだろう)。そこへジョニーが帰ってきて、『ごめん、お父さんは出掛けちゃった』というのだ。

 

ジョニーは常にいい人なので、忙しいのに一生懸命私の要求に応えようとしてくれ、本やら写真やら、沢山持ち出して説明を始めた。だがその当時、1970年代がどうだったのか、残念ながら生まれていなかった彼にはわからない部分も多い。そこへお母さんがビシッと説明を始める。その流ちょうな話しぶり。どのようにして梨山に切り込み、大禹嶺の茶園を開いたのか。

 

彼女がなぜ詳しいのかは、ご主人や義父の仕事を見ていたこともあるが、何とこの案件には自分の親戚も大きく関わっていたからだったのだ。彼女の実家は茶業の名家であり、だからこそ豊原の名家である泉芳に嫁に来たのだと分かった。初めて大禹嶺を切り開いたのは、豊原の杜家と鹿谷の陳家だったようだ。それが1970年代後半だが、まだ本格的な茶樹栽培でなかったらしい。

 

今日は豊原に泊まっていけ、とジョニーに言われていたので、廟東の夜市でうまいものが食えると密かに期待していた私だが、何とジョニーが『これから知り合いの尾牙に行くので一緒に行こう』というではないか。いわゆる忘年会、かなり規模が大きいらしい。ちょっと興味が沸き、夜市を諦める。

 

 

車で連れていかれたのは、台中郊外。豊原からは遠くない場所。横には野球場があった。そこに大型施設があり、中へ入っていくと、1000人をゆうに超える人々が集っており、正直びっくりした。某保険会社主催だという。この規模の尾牙に出たのは10数年ぶりではなかろうか。ジョニーの知り合いたちと同じテーブルに着いたが、勿論各地で挨拶が繰り返される。豪華な料理がどんどん出てくるが、皆話に夢中で私だけが黙々と食べていた。

 

ただお酒を飲んでいるのは主催者の社長などごく一部でほとんどの人はソフトドリンクを飲んでいる。30年前に出た尾牙では1時間で60杯、紹興酒を一気飲みしたことが忘れられない。あの頃は日本的な飲み会だった。それが今では、皆が車を理由に酒を回避している。正直よい傾向だとは思うが、これで盛り上がるのだろうか。

 

その内、ラッキードローが始まった。これは昔も大いに盛り上がり、特に昔は現金が飛び交っていたのが、印象的だった。だがいまはそれも案外と大人しい。ジョニーも賞品として茶を提供していたが、今やこれも商売の宣伝の一環になっている。面白いのは当選した人を探すのは携帯番号だということだ。最初に番号を書いておき、その番号に電話すれば、聞き漏らすこともない。それでも見付からない人がいるから、もう帰ってしまったのだろうか。

 

盛り上がらないのかと思っていたら、そうでもないのが台湾。歌手が歌を歌って盛り上げ、そして何と、マッチョ軍団が半裸で登場した。女性客の席を回り、色々と仕掛けていく。何だかセクハラ、とか言いそうだが、そこはノリの良い台湾。女性が自ら写真を撮るために男に近づくなど、大はしゃぎ、大盛り上がりには苦笑した。子供には子供向けの芸人が登場するし、何となく、家族でも楽しめる集いだ。因みに社長夫妻は、芸人たちからいじられまくり、歌え、踊れと責められるが、そこを何ともうまくやって見せるのはさすが経営者。頑張っている。

 

9時過ぎに会場を出て、茶荘に戻った。ちょうどお父さんも帰って来たので話しを聞くチャンスだと思ったが、何と既に酔っぱらっており、話はお預けとなる。高山茶の歴史は遠い。ジョニーの車で前回も泊まった宿へ案内される。ここは何となく居心地がよいから好きだ。日本人出張者が泊まるようになっているからだろうか。シャワーを浴びてすぐに寝入る。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です