ある日の埔里日記2017その6(9)台湾農林の挑戦

12月19日(火)
台湾農林の挑戦

翌朝は気持ちよく?目覚めた。1階におり、何とかシャッターを開けて、外へ出てみる。夜はちょっと怪しげに見えた宿だが、朝は爽やか。朝食もちゃんとついていて、お粥の上におかずも豊富でよい。ここの客はカップルもいたが、若者男子4人組とか、女子2人組とか。老夫婦までいて、その利用層の幅はかなり広い。利用者に支持され、儲かっているのではないだろうか。

 

今日は私の希望で屏東市内から車で20分ぐらい離れた台湾農林の茶畑を見学することになっていた。聞くところによれば、台湾でも有数に広い、平地の茶畑が今まさにここで開拓されているという。なぜこんな南部に広大な茶畑を作る必要があるのだろうか。是非見てみたいと思ったのだ。トミーの知り合いの陳さんに案内を乞う。陳さんは苗栗の出身で、昔から茶業関係者であり、今は台北に家があるという。1週間で屏東、苗栗、台北を行き来しているというから、台湾縦断、大変だ。

 

その敷地は見るからにあまりに広大だった。取り敢えず門のすぐ近くにある事務所に招き入れられる。早速お茶を飲み始める。お茶の仲間というのは何を置いてもお茶を飲むものだ。トミーも自分の学院で作った100種類もの茶葉が入っている立派な木箱を贈呈する。プロジェクトの簡単な説明を聞く。

 

台湾農林とは、日本統治が終わった後、日本関連の茶工場などを引き継いだ会社。その歴史はある意味で謎に包まれており、今回『台湾農林の歴史を知りたい』と無邪気に言ってみても、『そう簡単じゃないよ』と言われるだけだった。台湾茶の歴史を学ぶものとしては何とかこの会社に取り組みたい。今は民間の上場会社とはいえ、当然政府との連携が密なのだと思っていた。

 

だがこの土地買収(台湾鳳梨から)だけで、100億元も超えると言われる大型投資だが、政府からの支援はない、全くの民間企業として投資していると言われ、唖然とした。勿論地元政府は大歓迎だろうが、その影響力が大きすぎて、何も言えない状況なのかもしれない。雇用も生まれるだろうし、成功すれば税収も見込める。まあ台湾も日本もまずは民間にやらせて、うまく行きそうなら政府が出てくるという悪しき習慣は健在だ。

 

それにしても4期にわかれた工事の1期が既に始まり、茶樹が植えられていた。ビニールテントの下では数種類の品種の茶苗が大量に育てられている。その光景は壮観だ。早ければ来年より試験的な製茶が始まるという。そのための茶工場も今から建設される。このどこまでも続く平地での大量生産には機械化が欠かせない。既に日本からも乗用機などを購入しており、これが活躍しそうだ。また灌漑が重要であり、水の供給がチェックされていた。

 

もしここが稼働すれば、主に茶飲料用として台湾が現在輸入している茶葉を台湾産に切り替えられる効果がある。更には現在南投などに限られている、台湾内の飲料原料の分散化も図れる。それは台湾茶業の一大変革になるのではないだろうか。現在の台湾の茶葉生産量を20%も押し上げるこのプロジェクト、その行方に注目したい。

 

お昼ごはんもここで頂いた。当然ながらこれだけのプロジェクトだから、注目度も高く、様々な人々がかかわっており、ここに宿泊する人も多い。また出張などでここを訪れる人もおり、食堂も大きく、そこで出される食事も美味しい。ついつい食べ過ぎてしまう。食後またお茶を頂き、失礼する。

 

帰りも順調に高速道路を走った。台湾の道路は昔より空いているな、と最近特に感じる。これは経済の鈍化が原因か、また企業の海外進出が多くて、島内では以前ほど車が走らないのか。ちょっと気になるが答えは簡単には見いだせない。トミーは今晩埔里に泊まるというので、埔里まで車で送ってもらった。何とも有り難い。

 

かなり疲れたので部屋で休んでいたが、あれだけ食べても腹は減る。夜は珍しく、虱目魚を食べてみる。恐らく埔里で食べるのは初めてだろう。やはり脂っこいものはちょっとという感じだったのだろう。あっさりしたこの魚は食べやすい。台湾南部で養殖が盛んなこの魚をなぜ埔里に帰って食べたのかは不明だが、美味しければそれでよい。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です