ある日の埔里日記2017その5(2)古月軒と地理中心

10月20日(金)
古月軒

12月に開催予定の埔里北大演習林100周年イベント、毎週金曜日にミーティングがあり、今日も参加してみた。1か月弱前、このプロジェクトが何となく始動したのを見届けて埔里を離れていたのだが、今回行ってみると、相当に具体化されており、これなら開催OKだろうという気分になる。

 

しっかりした運営責任者がおり、出店希望者も集まってきている。そして何より18度Cのオーナーという強い後ろ盾もある。このイベントを最初に言い出したSさんら、埔里在住日本人もこの機会に『埔里日本人会』を立ち上げ、コーヒーの種飛ばし、という競技?を仕切ることになった。日本では山形でサクランボの種飛ばしなどが流行っているらしいが、台湾でこのようなイベントが行われるのは初めてではないかとのこと。興味津々だが、はてどうなるだろうか。

 

ミーティング後、皆でランチに出掛けた。スタバのある道を少し入った所にあるきれいな2階建て建物。新しくできた古月軒という名前だった。実はこの食堂、埔里では有名な麺屋だそうだが、本店とは別に若い息子が、新しい感覚の店を出したというのだ。入ってみるときれいで広々としたスペースがあり、2階でゆったりと食事ができる。

 

Sさんの奥さんは埔里人で有名な食堂の娘。知り合いも非常に多く、どこに行って声を掛けられるが、ここの設計を担当した人とも幼稚園からの同級生だと言い、魚丸をサービスしてくれるなど、対応がよい。またメニューやサービスに工夫を凝らしており、どんどん新しいことを取り入れたいという。

 

早速色々と意見を出している。ここの麺は確かにあっさりしていて美味しいが、ボリュームがあまりなかった。日本なら『替え玉』が欲しい、また大盛りを用意して欲しいと注文を出した。いずれにしてもこれまで埔里に知り合いが来ても、ゆっくり話ができるこぎれいな食堂がなかったので、ここは有り難い。車で来る人にも駐車スペースの問題もなく、良いようだ。

 

それにしてもこんなに有名な店、且つこんなに美味しい麺を出す本店に、いくら多少遠いとはいえ、これまで一度も行ったことがない、というのが、私の埔里での食のマンネリ化を象徴していると言えようか。これからはもう少し、食事の幅を広げていかねばなるまい。よし。

 

10月21日(土)
地理中心から

土日は、バスなどが混むので、基本的に遠出はしない。今日はちょっと曇りで暑くなかったので、昼食後、散歩してみる。埔里の名所、地理中心、ここは台湾のへそとも呼ばれ、ちょうど真ん中に当たるということで、この名がついているが、実体はもう少しズレた場所らしい。地理中心碑は日本統治時代の1906年に、日本人が台湾全体を測量するために3角点として建てたものだという。

 

下は公園になっており、観光バスが停まっている。そこから400段もの階段を上がって行かなければならないので、これまでは敬遠してきたのだが、今日はついに足を踏み入れた。虎頭山の400段、しかもかなり急な登りにすぐに音を上げたが、横を年配の女性がさらっと抜いて行ったので、こちらも意地になり、足を進める。これは結構辛い。ここをハイキングする台湾人は多い。

 

ようやく登りきるとそこには原住民のポールかと思うようなものが建っていた。これが碑なのか。特に表示もないのでよくわからないが、これしかない。その横から下を見ると、埔里の街が一望できた。この眺めは良い。疲れが吹き飛ぶ感じだ。その勢いでもう少し先に行ってみようと思ったが、山伝いに行くのはかなり遠いと感じられ、下向きに歩き出す。

 

駐車場のある場所からは、なぜか演歌が聞こえてくる。そこへ行くとカラオケが行われており、気持ちよさそうにおじさんが歌っていた。しかも1つではなく、2か所で歌われている。ここは機械を持ち込んだ屋外カラオケ場という位置づけらしい。まあここなら大声を張り上げても怒られはしないだろう。

 

帰りは階段を避けて、車が通る道路沿いを歩いて下る。これはかなり楽だった。曲がりくねった道を降りると、黄先生のアトリエの近くに出てきた。そこからマコモダケの畑の横を歩いて行き、無事の宿に戻った。それにしても体力がなくなっていることを痛感した。もう少し運動をしなければと思うが、歩くことぐらいしか思いつかない。

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