ある日の埔里日記2017その4(10)南港で包種茶を

9月30日(土)
台北へ

東京へ行く前に台北に寄ることにして、いつのバスに乗り今朝埔里を出た。昼前には台北に着いたが、先日部屋を借りた葉さん夫妻はマレーシアに出張中で、部屋の鍵を葉さんの同級生から受け取る必要があった。荷物を引き摺って彼女の勤め先を探す。今日は土曜日だが、双十節の連休の影響で基本的に出勤日だそうだ。

 

MRTで言われた駅に着く。地下から地上に出ると目の間にあったのは、あの両岸海峡交流基金会、中国と台湾の対話窓口である。何と鍵を求めてやってきたら、カギは海基会にあったという訳だ。全くの偶然ながら、ちょっと興味の湧く場所に来られた。彼女からめでたく鍵を受け取り、またMRTに乗って、葉さんの家を目指す。

 

部屋に荷物を置くと、腹が減ったので駅の方に引き返す。そこに新和風料理という店があったので、興味本位で入ってみた。受付は1階で、食べるのは地下。焼肉丼がお勧めだというので注文する。家族連れが結構来ていて、皆楽しそうに食べていた。焼肉丼には何となくトッポギが入っているようで、和風なのかはよく分からなかったが、味噌汁はついていた。

 

南港へ
先日魚池で偶然出会った謝さん。雑誌社勤務というのでちょっと興味持ち、台北で会いましょうと言って別れたのだが、すぐに再会することになった。私が南港の包種茶の歴史を調べたいというと、彼も行ったことがないのでぜひ、ということになり、二人でバスに乗って行くことにした。MRT昆陽駅からバスが出ているというのでそこへ行く。

 

今日は土曜日だが、平日扱いというので、バスの時刻表が混乱する。何しろそんなに便数がないのだから、乗れなかったら大変だ。午後2時だと分かり、バスを待つ。やって来たのはミニバス。運転手は怖そうな人で、私がカードをかざすと『1回だけだ』と怒られ、謝さんが『その茶園はどこで降りるか』と聞いても返事もなく、微妙な空気が流れる。

 

そんなスタートだったが、途中で南港展示場を通過し、かなりの人が乗り込み、街を通り抜ける頃には大体の人が降りてしまった。その間運転手は誰の合図もなしに停まっては人を下ろしていく。彼は全ての乗客がどこで降りるか知っているのだ。常連さんしか乗らないローカルバス。ついに山を登り始める。

 

訪ねる茶園を通過した。先に上まで行き歩いて降りてくる作戦をとった。南港示範製茶場は30年も前に作られた観光施設であり、今回も取り敢えずそこへ行けば、包種茶の歴史が分かるのではないかと期待していたが、既に閉鎖されていた。中に入ることも出来ずに、2人で呆然と外から眺めた。残念だ。

 

そこから遊歩道を下ってみた。山の木陰は思いのほか涼しくて気持ちがよい。謝さんは植物にも詳しく、木々の名前をすぐに言い当てた。その中でも多かったのが桂花(きんもくせい)。ここ南港は昔から桂花の産地だったのだ。そんなことを考えていると山の中に少しだけ茶畑が見える。更に行くと茶農家があったが、よくわからないので今回は通過した。

 

ちょうどよい散歩をしたと思った頃、目的地の欽明茶園に着いた。ここは謝さんがネットで調べ、この地区の茶葉販売班の班長さんだということで連絡を取ってくれていた。早速お茶を飲ませてもらうと、包種茶という名前ながら、坪林のそれとはちょっと違う。少し濃厚な感じがよい。さすが包種茶は南港発祥も頷ける。

 

余さんは父親が16歳で亡くなった跡を継ぎ、50年間ここで茶を作り続けていた。祖先は200年ぐらい前に福建から渡ってきて、早い時期から茶作りをしていたと聞いている。製茶法は一子相伝、息子にしか教えていないという。だが『ここでは飯が食えない』と言い、息子は台北に働きに出ているらしい。今は夫婦二人で古めかしい製茶機械を使って、細々と茶作りを続けている。この50年間の苦労がしのばれる。

 

謝さんは余さんのお茶が非常に気にいって大量に買い込んでいる。特に東方美人は新竹よりずっと美味しいと言っている。包種茶もコンテストで何度も入賞している。有機茶園の認証も受けており、非常にいい感じの茶だ。バスは少ないので、外で待ちながら、ちょっと茶畑を見ながら話を続ける。バスが登ってきて、それが折り返して降りてくるまで待つのだ。天気が良いので気持ちの良い待ち時間となる。

 

余さんと別れてバスに乗る。南港展示場でバスを降り、謝さんとも別れた。今日は何だかよくわからないがいい一日だった。夜は家の近くの屋台街に行く。いくつも店がある中で、広東粥を注文したが、これは完全に期待外れ。もっと濃厚な、粥を想像していたが、ただの白粥にちょっと味が付いている程度。これが今日唯一の失敗だった。

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