ある日の埔里日記その3(10)鹿谷の歴史を勉強する

5月21日(日)
鹿谷へ

新竹、羅東、台北、三峡、桃園と回ってようやく埔里に帰り着いたが、翌日の朝はゆっくり起きたものの、また昼前からバスに乗り鹿谷へ向かった。鹿谷へはいくつか行く方法があったが、面倒なので高鐵台中経由台湾好行バスにした。まずは腹ごしらえで、いつもの店でサンドイッチをつまんだが、ちょっと足りないので蛋餅まで注文してしまった。少し気持ちが高ぶっていただろうか。

 

2時過ぎに鹿谷に着き、Uさんと合流。実は彼は明日の朝ここを引き払う予定で何かと忙しい。取り敢えずは彼の用事を済ませる。まずは昨年実に美味しいお茶をお土産にもらった張さんのところへ行く。また美味しい烏龍茶があればぜひ購入したと思ったが、なかなかそうはいかない。あれはよほどの当たりのお茶だったのだろう。もっと大切に飲めばよかった。

 

それから鹿谷の下の方へ向かった。ここに凍頂のお茶の元祖、林鳳池の生家があるという。その家は中心の道から少し入った所にあり、表示などもないので普通には分らない。Uさんに連れて行ってもらい、初めて行ける場所だった。その廟にお参りすると、確かによく見掛ける林鳳池の絵が額に入っておかれている。この家が古いことも分る。だが家に前にある茶畑の茶樹は林さんが持ち帰ったものではないという。末裔の人々も、1855年に先祖が福建から36株の苗木を持ち帰ったという話を懐疑的に見ているのではないか、と思えてしまった。

 

それから焙煎で有名な人のところへ行ったが、ちょうどお客が来ており、Uさんが渡すものを渡して退散した。ここでちょっとお茶を買いたいなと思ったがそうはいかない。もう一軒農会の会長をしている人のところへ行く。彼は福寿山で高山茶を作っているというので、次回機会があれば茶作りの時期に訪ねてみたいと思う。ここには30年前に鹿谷で作られた烏龍茶があったので、写真に撮る。彼が子供の頃(1950-60年代)はこの付近にそれほど沢山の茶畑はなく、70年代以降急激に増えたらしい。それも99年の地震でほぼ姿を消したようだ。

 

夕飯に粥を食べた後、鹿谷の茶の歴史に一番詳しいという林さんのところへ勉強に行く。ちょうど外国人も訪ねて来ており、注目度の高い人だ。林さんは農会の秘書という立場であるが、率直に色々と教えてくれた。お茶の歴史というのは文献、記載がない物が多いので、そう簡単に言えるものではないとしながら、手元にある資料を見せてくれ、丁寧に答えてくれた。またよく言われる伝説がそのまま歴史になることもあるという。凍頂烏龍茶の歴史と現在、取り敢えずしっかりとメモした。

 

今日はもう帰る手立てがないので、鹿谷に泊まることになる。前回はUさんの家に泊めてもらったが、彼は明日早朝ここを出るので、今晩は偉信のところに泊めてもらうことになった。彼はちょうど近所の知り合いと飲み会中とのことで、そこへ向かう。鹿谷の夜は早く、楽しいこともあまりないようで、知り合い同士で飲むことが多いらしい。

 

Uさんは10時頃先に帰ったが、飲み会は延々と続く。鹿谷は何となく裕福な街だと感じる。これも80年代のお茶バブルの恩恵だろうか。12時すぐにようやく偉信の家に辿り着く。勿論家族は寝ているので、そっと部屋に入り、シャワーを借りて、すぐに寝入ってしまった。さすがに疲れていたのかもしれない。

 

5月22日(月)
埔里へ戻る

翌朝8時頃目が覚めた。皆さん、何時に起きるのかよくわからず、部屋から出てみる。ちょうど子供が学校に行く準備をしていた。何だか夜中にやってきて、奥さんにも申し訳ない。まあ、顔は知っているので、突然知らない男が出てきたわけでもなく、笑顔で迎えられる。偉信のご両親も隣の家からやってきて、孫と戯れている。奥さんは朝ご飯を買ってきてくれ、有り難く頂く。

 

それからボーっとお茶を飲んでいたが、偉信は最近大陸に茶を売り込んでいるとの話を聞く。紹興だ、広東だ、武漢だという話が出てくる。台湾経済の現状なども考えると、中国は無視できないということだろうか。ただ以前大陸に支店などを出して台湾茶を売っていた人々は結構苦戦していると聞いているのがちょっと心配。

 

今日は日月潭経由のバスで帰ろうと思い、バス停に向かった。台湾好行の台中行が来た後に、そのバスは緩々とやって来た。竹山から日月潭へ向かう。地元の老人などが多く、そこそこ乗り降りがある。こんな道を通るんだとワクワクしながら見ている。新しい路線は何となく楽しい。

 

ただ水社に着いたのは1時間半後だった。しかも埔里行きバスは今出たばかり。次まで50分も待つことになる。これでは台中経由で帰っても時間的には変わらない。やはり田舎のバスは難しい。仕方なくここで昼ご飯を食べたが、観光地価格で安くはない。食後はゆっくり散歩をしてからバスを待つ。バスは何種類も出ており、台北行きなど、埔里に停まるのに、埔里で下車する人間は乗せないという。どうなっているんだ。何となく釈然とせずに埔里に辿り着く。

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