ある日の埔里日記その3(9)三峡、桃園の茶農家へ

5月19日(金)
交流協会へ

翌朝は9時前に荷物をフロントに預けてチェックアウトした。今日は交流協会の図書室で調べ物をしようと思っていた。今年1月に初めて現在の交流協会の建物に足を踏み入れた際、2階にかなりの本が置かれている図書室を見て、一度訪ねたいと思っていた。当然台湾関連の日本語の本が多数所蔵されているから、参考になるものもあるだろう。

 

林森と南京路の交差点からバスに乗ると10分ほどで交流協会に着いてしまった。もしMRTに乗っていれば、駅まで歩いて行き、電車を待つので、こうはいかない。台北ももう少しバスを有効活用できれば、時間が短縮できる。しかもバス代は高くない。少し勉強してみようか。

 

やはり図書室には沢山の本があり、参考になりそうなものをピックアップした。特に日本統治時代に日本語で書かれた本が目を惹く。ただ図書室にはコピー機がなく、この本を借りて行き、コピーしなければならない。それでも借りるのはパスポートがあれば簡単だったし、コピーは一番近いコンビニで出来るので、確かにそれほど不便ではない。

 

昼前には作業を終え、交流協会にいる知り合いのHさんを訪ねた。彼とは香港で知り合い、当時中国国内の同じような場所によく行っていたので、何となく気が合っていた。その後彼は台北転勤となり、2年前に一度会っていたが、今回ご縁があり、また会うことになった。近くの客家料理の店で昼飯をご馳走になってしまう。彼はもうすぐ台北を離れることになっていると聞いた。次に会うのはどこだろうか。

 

三峡へ
それからバスで宿に戻り、荷物を受けだして台北駅へ。これから鶯歌駅を目指すため、台鉄の鈍行に乗る。鶯歌と言えば陶器の街であり、お茶関係者はここに茶道具などを買いに来るようだが、興味のない私はご縁がない。鶯歌までは小1時間かかるが、約束の時間より早く着いてしまった。なぜか富山県高岡の陶芸家の展示会がここで開かれるとポスターが言っている。今度富山を再訪するのでちょっと気になる。

 

駅で待っていると谷芳の李夫妻が車で迎えに来てくれた。3月に一度訪ねているので、気軽に迎えをお願いした。ところが道中、突如腹痛に襲われる。理由は全く思い当たらないが、車に乗っていることが出来ない。こういう時、台湾には田舎でもセブンイレブンがある。そこでトイレを借りると収まったので助かった。こんなことは滅多にないので自分でも驚いた。

 

工場に着くと、すぐに生葉が運ばれてきた。若者がバイクで持ってきたが、彼はUターン組。お茶で食べていけるなら、田舎に戻りたい人はいるだろう。李さんは生葉を処理しながら私に色々と説明してくれた。戦前の写真なども探し出し、かなり昔から茶作りしていたことを証明してくれた。

 

それから場所を上のお店に移して、お茶を飲む。Gaba茶なども作っており、興味深い。何でも新しいことに挑戦する李さんらしい。お母さんはここで50年近く商売しているので、どのお茶が売れるかに詳しい。双子の息子、高校生も帰ってきて、一緒に茶を飲む。彼らは既に親の仕事を継ぐことを決めているから真剣だ。奥さんはパンなどを作るライセンスを取得、これからお茶に合う食品を見据えていく。実に面白いファミリーだ。

 

帰りは暗くなる中、駅まで送ってもらった。今晩は桃園駅近くのホテルに泊まる予定。桃園駅に着くと、何だかかなりの疲れを覚えた。そんな中、歩いてホテルに入る。結構いい料金、ここはビジネスマンが出張で泊まるところだと思っていたが、部屋はかなり広く、なぜかダブルベッドが2つ置かれていた。ファミリータイプの部屋だろうか。ちょっと雨も降っており、体調もすぐれないので早々に寝込む。

 

5月20日(土)
桃園

翌朝は体調を考慮して、宿代に入っている朝食を食べずにチェックアウトした。林口方面行きのバスは、駅の反対側から出ているという。まずは駅で荷物をコインロッカーに預ける。バス停に行ってみると長蛇の列がちょうど動いており、乗るべきバスが来ていることを知る。土曜日の朝、なんでこんなに混んでいるんだろうか。

 

バスで40分ぐらい行くと、既に見慣れたバス停があり、降りる。そこから緩やかな上り坂を歩く。到着してみると以前はなかったコンテナが置かれている。事務所を作ったという。林さんとはここで会うのが三回目。彼は今や若手茶農家のホープとして、神農賞を受賞するほど、注目された存在だ。何しろアイデアマンである。

 

林さんのお父さんは東方美人茶作りの名人と言われており、日本語もうまいので、話を聞く。それから林さんと台湾茶業の将来について、延々と話し続けた。これは日本茶業にも繋がる話だと思う。伝統的な茶業を守ること、しかし時流をきちんと読まないと滅んでしまうこと、何とも難しい。あっという間に3時間ほど過ぎ、弁当をご馳走になって退散した。日本語で話しているので理解度が高いことも事実だが、林さんと話していると、ちょっと違った視点で物が考えられるような気がする。

 

帰りがけに茶畑を見せてもらったが、今年の春は天候が悪く、新芽の出も悪く、茶作りが思うように進まないという。雨が降りそうだったので、そのままバス停に送ってもらう。元来た道を帰り、桃園駅で荷物を取り出す。30元と書いてあったが、これは3時間までで、追加料金を取られる。それでも日本のように一日いくら、というよりよほど合理的にできている。

 

桃園駅で台中までの自強号の切符を買うと『新竹で席を代わって』と言われ、2枚の切符を渡される。これはシステムの問題なのだろうか。日本でもこんなことあるのだろうか。乗り込んでみると老夫婦も同じ問題で困っていた。大きな荷物を持って車内を移動するのは大変だ。しかし訴える相手がいない。しかも立っている人も沢山いるから文句も言えない。かなり疲れた状態で埔里まで戻った。

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