ある日の埔里日記その3(3)日本茶品茶会と新たな取り組み

5月2日(火)
日本茶品茶会

福州から桃園空港に戻り、そのまま空港バスで台中に向かった。2時間ちょっとで台中駅前に着いたから意外と速い。腹が減ったので、駅近くで探したところ、香港式があり、そこで叉焼などを食す。香港式は意外と人気があり、店が増えているような気がするのだが、埔里の店は1つ潰れてしまい、残念に思っている。

 

台中から1時間で埔里に戻り、宿泊先の窓を開ける。5月初めでもそれほど暑いとは感じられない。例年より涼しいとの話もあるが、ここの気候は昔からよいということらしい。部屋の片づけや旅行荷物の整理をしていると、東邦紅茶の郭さんから連絡があり、迎えに来てくれた。

 

今晩は、埔里郊外のトミー別荘で、日本茶を飲む会を開催してもらった。私が日本各地を歩いた中で自分がいいなと思ったいくつかのお茶を送ってもらい、持参した。それを数人のお茶好き、茶農家の若者に飲んでもらい、感想を聞こうという趣向だった。日本茶は煎茶、ほうじ茶、紅茶を持っていく。トミー別荘は広々とした庭があり、建屋内にテースティング機材などがすべて揃っている素晴らしいお茶の空間だ。

 

皆実に興味津々でやってきた。まずは彼らがちょうど作った日月潭紅茶を試飲する。作り手同士だから真剣に批評し合っている。18号紅玉のメンソールが強いものがあり、好ましい。独特の21号や珍しい20号など、作り手は様々な挑戦をしている。それはまた生き残りをかけた厳しい戦いのようだ。

 

基本的には台湾人には蒸し煎茶は口に合わないようだ。どうしても『海苔の味がする』など、塩気を好まない彼らには馴染まない。むしろほうじ茶の方がうけは良い。中でも茨城から頂いた茎ほうじ茶の原料というのが、彼らにフィットしたのはちょっと驚き。やはり何でも試してみないと分からない。

 

続いて和紅茶。こちらは彼らの専門分野でもあり、一段と興味が沸く様だ。愛知から送られてきたお茶を見て、『どうやってこんなにきれいな紅茶ができるんだ。日本でももうこのレベルなのか。将来こんな茶が作りたい』との声が上がった。特に『手摘みできれいに作れるのは分るが、機械摘みでここまでできるとは』『この茶を作るのに一体どれだけの時間やコストがかかるんだ。これは商品というより芸術品だ』という感想は茶農家ならでは。

 

その他、茨城、静岡、熊本などの和紅茶はどれも比較的良い評価を得ていた。日本が本気で紅茶を作れば、台湾も危うい、という印象のようだった。最後に貴州から持ち帰った紅茶を飲んでみたが、飲んだ瞬間『芋の味だね』と福建品種とすぐに分かるようだった。日本には大葉種の紅茶はないが、台湾中国はアッサム種など大葉種で紅茶を作る強みがあるように思う。

 

あっという間に3時間ほどが過ぎ、夜は更けていく。若者たちは実に熱心に、茶葉、茶色、茶殻を見て討論を続け、自らの将来を考えていた。やはり台湾は高山茶など烏龍茶が主流であり、紅茶が生きる道はかなり険しいと感じる。日本時代に日本主導で始めた紅茶栽培、台湾で復活と見るのは早計かなと。

 

5月5日(金)
茶と観光と

先日の日本茶品茶会で知り合った若者、王さん夫妻。まだ20代なのに、色々と活動しており、また彼のお爺さんが茶葉伝習所の卒業生で、ご存命と聞いたので、彼らを訪ねてみた。昼過ぎにバスターミナルからバスに乗り、魚池のバス停で下車。そこに王さんが迎えに来てくれたが、彼の新しい工場は、何とこのバス停の後ろの小高い所にあり、実に便利な場所。車は2分で頂上に到着した。

 

頂上付近はキャンプ場として使えるようになっていた。最近特にアウトドアライフが盛んになっている台湾で、車で観光地にやってきて安い料金でキャンプする人が増えている。ここは日月潭にも近く、また一応街でもあるので、好都合だろう。更にはその下には茶畑があり、景色もよい上、その下には宿泊施設2棟の建設が進んでいる。『どうしてもキャンプではなく、屋内で寝たい人のために』ということらしいが、凄く大掛かりな投資だ。

 

そしてその横には真新しい3階建ての工場があり、既に一部最新鋭の機械が搬入され、茶作りは始まっていた。王さんは茶作りをしながら、私に説明をしてくれた。お爺さんの時代には紅茶を作っていたが、お父さんの時代には造林業などをしている。自分も奥さんも大学では観光学を学んでおり、今後は茶業と観光業の両立を目指していく。確かにこの地域、現在は紅茶ブームではあるが、将来を見据えた戦略を立てている。

 

外に出るとお父さんが植えられた木を見ていた。その中には樹齢100年近い茶樹もある。最近ここを整備する中で他から移植してきたという。まだ根がおぼつかない木もある。ここが本当に最近開発されたことがよくわかる。年内には宿もオープンし、本格的に稼働するらしい。

 

王さんに連れられて、オフィスというか自宅に行く。ここは茶業と造林業のオフィス機能があり、また茶葉の倉庫にもなっている。周囲は木々で囲まれており、フルーツがなっており、環境は良い。お茶を飲んでいるとお爺さんが入って来た。私を見ると『日本人と会うのは久しぶりだ』と日本語で言い、えらく喜んでくれた。

 

このお爺さんが光復後、林口の茶葉伝習所で茶作りなどを学んだ人だった。後で名簿を確認すると5期の卒業生だ。もうその頃は日本人の先生は帰国しており、台湾人から習ったというが、伝習所で勉強できたことを懐かしんでいた。更には『この付近は渡辺さんの茶園だった。自分のお父さんは渡辺さんと働き、子供だった私は渡辺さんの奥さんに可愛がられたよ』と。既にお爺さんは87歳、どんどん歴史は過ぎていく。

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