ある日の埔里日記2017その2(7)民雄のベトナム人と

3月25日(土)
嘉義へ

 

正月に台中で会った蔡君から『阿里山へ行かないか?』と誘いがあった。阿里山には久しく行っていないので、是非行きたいと告げたが、なかなか日程が決まらなかった。結局前々日に、土曜日出発と決まる。彼は朝台北からやってくるというので私もそれに合わせて高鐵台中に向かい、そこから台鉄で嘉義を目指す。

 

ところが台中に着いた頃、彼から『電車に乗り遅れたので、到着が大幅に遅れる』と連絡があった。実は今日の待ち合わせ場所は嘉義駅ではなく、その手前の民雄駅になっている。何故その駅に行くのかはよくわからず、そこで2時間近くも待つのは難しいので、私は途中駅で下車することにした。

 

斗六駅、そこで民雄駅行の電車に乗り換えるのを機に、ちょっと寄り道した。斗六はあまり有名ではないが、実は歴史的に見ても結構栄えた街らしい。駅前から少し歩くと、古い街並みが見えてくる。ただ古いとは言っても、光復後の商店街といった感じだ。石造りの2階建てが道の両側にある。そしてかなりきれいに整備されている。

 

更に歩いて行くと、斗六行啓記念館という建物が見える。ここは昭和天皇が皇太子時代の1923年に台湾を訪れた際に建てられたものだ。こういう建物は台湾各地に建てられたが、実際には泊まることがなかった場所もいくつかある。ここ、斗六も皇太子が通過した場所となっている。今やがらんどうの建物を記念館として、わずかな展示品で飾っている。皇太子の台湾訪問とは一体何だったんだろうか。最近は台湾サイドでこの行幸を見直す動きがあるが、これは商業的な感じがしている。

 

街を歩き回ったが、それ以上のものは特になかった。腹が減ったので、その辺で麺を食べた。そしてまた台鉄に乗り、民雄に着いた。だが、蔡君はまだ来ていない。それから30分待ってようやく彼は現れた。台北から出る自強号で民雄に停まる列車は多くなく、大幅遅刻となったらしい。

 

どうしてこの駅で待ち合わせたかは、ここに来て分かった。蔡君がどこかへ電話を掛けると、女の子がやって来た。親し気に彼に話しかけ、我々は駅から降りていった。下には女性が待っていた。彼女はベトナム人で蔡君とは親しい間柄。彼女らはずっと我々を待っていたらしい。

 

駅前には鵝肉と書かれたレストランがあった。後で知ったのだが、民雄はガチョウの肉で有名だったのだ。既に2時頃だったが、中に入り、大量の料理が注文された。確かにガチョウは美味しかったが、先ほど麺を食べてしまい、それほど沢山は食べられずに残念だ。ベトナム姐の娘、10歳は実にきびきびと料理を取り、お茶を注ぐ。そしてはっきりした口調で話す。昔風に言えば、ませた子なのだが、日頃の行動、母親に指導がそこからよく読める。

 

食べ終わってもレストランを離れない。なぜかと思っていると、外に車がやって来た。運転している女性とベトナム姐は知り合いで、彼女の車で嘉義へ行くという。彼女は花道の先生だと言い、日本にもしばしば行っているらしい。阿里山へ行くのかと思っていたが、完全な勘違いだったらしい。嘉義と言っても私が知る駅前ではなく、かなり郊外に到着する。そこには故宮博物院の南院というのがあった。見てみたかったが、今回はパス。

 

蔡君からはメッセージで『蒜頭糖廠で阿里山茶文化の茶業博覧会がある』と聞いていたのだが、その阿里山という文字に引っ張られ、会場である蒜頭糖廠も阿里山にあると思い込んでいた。ところがここは元糖廠、山の中にはない。会場に着くと、広々とした敷地に倉庫が見える。その屋外と倉庫内で茶芸や茶の販売などが行われている。もう流れに任せるしかない。

 

倉庫内に入ると、多くのブースが出ており、思ったより多くの人が買い物をしている。阿里山茶が多いようだが、茶器なども売られており、週末のイベント感が強い。更に行くと、幻想的な空間があり、また日本の陶芸作家の作品なども展示されている。時間によっては各国の茶のパフォーマンスも行われているようだった。

 

外へ出ると、茶席が各所に設けられ、皆がお茶を飲んでいる。その横には線路があり、観光用のさとうきび列車が走っている。蒜頭糖廠は1906年、明治製糖の工場として作られ、日本時代の台湾三大製糖の1つ。光復後は台湾製糖となり、つい10年前まで稼働したという。その歴史的施設を観光用に改修したのが今の状況だ。

 

そよ風に吹かれながら、広々とした屋外でお茶を頂く。何とも幸せな気分になる。何よりも皆が思い思いにお茶を飲み、実に楽しそうなのだ。こんなお茶会が日本にもあるといいな、と思う。招待されたらしい日本人の一団が和服で記念写真に応じている。茶の博覧会には今や日本というテイストは欠かせない台湾だ。

 

帰りに嘉義の街に行く。ベトナム姐のお気に入りの店でご飯を食べるためだ。しかしさっき2時過ぎにたらふく食べたばかりなのに、また食べるのか。出てきた牛雑湯、それはそれは美味しかった。ここの牛肉はとても新鮮で評判が良いというので、わざわざ連れてきてくれたのだが、その甲斐はあった。ベトナム姐は12年前に台湾に嫁いできて今では台湾人以上に台湾を知り、商売もやっているらしい。

 

今晩は泊まって行け、と姐に言われたが、蔡君を残して帰ることにした。途中で姐は修理に出していた車を取り、民雄の駅まで送ってくれる。何とも豪快な人だった。自強号で台中へ行く。来る時は各停で来たので、随分と速い。今日も夜遅く埔里に戻った。

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