ある日の埔里日記2017その2(8)清境農場の茶畑

3月28日(月)
清境農場へ

時々タイのメーサローンを思い出すことがある。ここは国民党残党が雲南・四川から逃げ込んだ場所として知られているが、同時に近年は茶業が発展している。その発展には当然国民党繋がりで台湾が大きくかかわっているのは言うまでもない。国民党の残党たちの一部が1960年代に台湾へやって来た時、台湾では受け入れる土地がなく、山中に入ることになる。そこは原住民の土地であったようだが、蒋介石は彼らの功績を尊重して、この地を与え、そして農場とした。

 

昨年松崗の茶工場に行った時、清境農場の歴史を語る写真集を見た記憶がある。そこにこの残党の話が出てきたので、一度はちゃんと農場へ行って、その歴史を確かめてみたいと思っていた。だが今の普通の台湾人にとって清境農場と言えば、一大観光地なのであり、どうしても足が向かなかった。

 

ついに今日、その地に行ってみようと思ったのは、そこにも茶畑がある、と聞いていたからだ。まずは腹ごしらえにと、ハンバーガーを食べた。この付近から農場行きのバスに乗れるはずなのだが、いつ来るかわからないバスを待つ気にはなれず、バスターミナルまで歩いて行く。するとすぐにバスは来た。平日だが、乗客がそこそこいる。老人の観光客だ。

 

バスは霧社を通り過ぎ、農場付近にやって来た。さて、どこで降りるのがよいだろうか。全く調べていないので、よくわからず、取り敢えず観光センターが見えたので皆が降りないのに、降りてしまった。観光センターなら、農場の歴史に関する資料か本があるだろうと思って行ったのだが、あては完全に外れた。そこは土産物売り場だったからだ。農場を見学するにはもう少し上に上がる方がよいと言われたが、次のバスまで時間があった。

 

センターの向かいには清境農場と書かれた門が見えた。そこを潜ると木々に囲まれた雰囲気の良い場所がある。だがそこは農場の事務所であり、観光の場所でもなく、何があるわけでもなかった。いい風景を眺めながら、道なりに下に降りていく。そこにはスイスガーデンと書かれた場所があった。まるでスイスの高地を思わせる造りだ。併設されているセブンイレブンが何とも台湾的ではあるが。清境農場は私のイメージしている昔の農場ではなく、今や台湾のヨーロッパンを売りに集客しているのがよくわかる。

 

その向かいには国民賓館というホテルがあった。この道路沿いには沢山のホテルがある。宿泊客も多いのだろう。その賓館の脇を見ると、ちらっと茶畑が見えた。ここを入って行けば多くの茶があると直感し、歩いて行く。やはり茶畑はあった。1987年に開園した高山茶園とある。海抜1600m、金宣と烏龍が植えられているという。出来上がった茶は宿霧茶という名前で売られているらしいが、見たことはない。

 

ヤギが斜面にある茶畑の中で草を食べている。ちょうど歩きやすい道があったので、どんどん入っていき、更に下ってしまった。もうバスの時間などどうでもよくなっていた。いや、農場そのものへ行く気もなくなりつつある。それでも何とか大きな道へ出てバス停を探したが、バスは全然来なかった。

 

そこはきれいなホテルの横だったが、下りのバスは1台来たが、上りは来ない。こういうホテルには普通は車で来るのだろうか。何とそこで1時間近く立って待っていたが、来たのは埔里に戻る下りだった。もうどうでもよくなり、それに乗って帰ってしまった。結局清境農場を見ることもなく、何だったのか、全く分からないまま訪問が終わる。

 

埔里の街に入るとすぐにバスを降り、腹が減ったので、先日の餃子屋に入り、たらふく焼き餃子を食べた。どうも私は観光地が苦手のようだ。観光地で名物料理を食べる、などというのも得意ではない。その日の夜は、封印していた肉圓も食べて大満足!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です