ある日の埔里日記2017その2(4)武界のさくら

3月20日(月)
武界へ

 

今日はちょっとお休みしたいな、と思ったのだが、葉さんから『武界へ行きたいか?』と連絡があったので、『行きたい』と答えると、『じゃ、明日の朝』と言われ、7時には迎えが来てしまった。もう流れに乗るしかない。皆が暇なうちに連れて行ってもらえるところには連れて行ってもらうのがよい。葉さんの愛車は部品が壊れていたが、いつの間にか治っており、快適なドライブとなる。

 

途中で朝ご飯を5人分も買った。今日はどんな作業をするのだろうか。正直3月下旬になろうとしているが、まだ涼しい。車で1時間弱、海抜1400m、武界はそれほど有名な場所ではないが、実は高山茶の世界ではかなりいいお茶を作っている。近くにはキャンプ場などの看板が見える。最近はアウトドアのお客さんが多いらしい。きっと政府の補助が出ているに違いない。ティーツーリズムか。

 

葉さんが任されている茶園に到着した。工場の周辺に茶畑が広がっている。まずは工場内で朝ご飯を食べる。葉さんは車をバイクに乗り換え、すぐに茶園を走り回り、私は一人で大きな目玉焼きの入ったご飯を食べた。茶園は非常にきれいに整備されており、雄大な自然の風景にマッチしていた。葉さんは今年からこの茶園の管理を任され、有機肥料を増やし、現在大改造の真っ最中らしい。連日ここに通っている。

 

茶園では、雑草取りが行われていた。親戚の若者がしゃがみ込んで懸命に草をむしっていた。茶摘みの中心はベトナム人だが、彼らを草むしりで投入するわけには行かないらしい。葉さんのおじさんの一人が管理の手伝いをしていた。若者は彼の子供らしい。厳しく指導しているのはそのせいらしい。

 

私は草をむしるわけでもなく、作業を手伝う訳でもないので、すぐに暇になってしまった。葉さんが帰るのは午後3時頃と聞いており、それまで何をすればよいのだろうか。取り敢えず付近の散歩を始めた。まずは見える所から歩く。周辺にも茶畑が広がっており、数軒の茶工場が見える。作業している人が私の姿を見て、ちょっとビックリしている。

 

更に坂道を歩いていると、後ろから来た車が急に停まった。何だろうかとみていると、運転席から顔を出した若者から挨拶された。よく見ると、旧正月に訪ねた原住民茶作りメンバーの息子だった。茶園を視察中だというが、まさかここで会うとは!世の中は狭い、ということだろうか。それにしても私のことがよく分かったな。

 

慰霊碑のようなものが建っていたので近づいてみると、なんと日本語が書かれている。1970年代に日本人夫妻がここに住み、宗教活動?を行っていたらしい。1980年代に相次いで亡くなったが、その信者たちにより、碑が建てられたとある。工場に戻ると、昼の弁当が運ばれてきた。茶園に弁当を配送する商売があるのだろうか、それとも親戚あたりが運んできたのだろうか。とにかく絶景の茶園を眺めながら、弁当を頂くのは気持ちがよい。でも茶は全くでない。

 

ランチ後の散歩で下の方に歩いて行く。するとある所から、何となくさくらが咲いているのが見えた。更に進むと、何と茶畑の中に桜の木があり、花がきれいに咲いていた。こんな光景、初めてみた。誰がここにさくらを植えたのだろうか。誰一人いない場所で、咲き誇るさくらをゆっくり眺める贅沢。これは何かのご褒美だろうか。それにしても茶樹と桜、何とも不思議な組み合わせだった。皆に知らせたくてFBにすぐにアップしたら、かなり反響がある。

 

予定通り午後3時頃に山を下りることになった。気が付くと滞在時間は7時間にもなっていた。その間、葉さんは時々茶園を見回り、水をやる程度で特に作業はしていなかった。雑草はかなり取られた様だが、さすがに日中の作業は辛い。このような人海戦術では、将来は厳しいと言わざるを得ない。

 

午後4時過ぎには部屋に戻った。かなりの疲労感がある。それでも山を歩き回ったので、腹は減っていた。フラフラ外へ出ると、なぜか餃子が食べたくなる。こういう時は焼き餃子がよい。台湾でも餃子と言えば、水餃子か蒸し餃子が一般的だが、焼き餃子のチェーン店も存在する。どうも大きな店は2つあるようだが、私はその内の一つがお気に入りだ。

 

この店にはキムチ餃子などのキワモノもあるが、プレーンの餃子は至極美味しい。餃子は棒状で、北京など北を想起させる。台湾には国民党と共に渡って来た、多くの山東人、東北人がいるため、中国の北の食い物を食べることもできる。ワンタンスープも添えて、70元もあれば、腹一杯食べられるので、家族連れなどで常に賑わっている。

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