ある日の埔里日記2017その2(1)初めての台中空港

《ある日の埔里日記2017その2》

 

2月初めに一旦離れた埔里!すぐに戻るぞとばかり、3月中旬、香港より無理をして飛んでいく。そこまでする必要はあったのかと思うが、それが臨時拠点というものだろう。何より居心地がよい。今回は半月の滞在だ。

 

3月14日(火)
香港から台中空港へ

 

香港を飛び立った香港エクスプレスは、あっという間に台中に到着した。僅か1時間半ちょっとだったように思う。機内はきれいで、CAの対応もよく、フライトは申し分なかった。乗客は台湾に遊びに来る香港人が多く、台湾人も一部乗っていたが、外国人は見当たらなかった。まるで国内線だな。国際線で1万円ぐらいだから、これからも台中の香港エクスプレスは使えるような気がする。台中空港にはこれまで降りたこともなく、全くのノーマークだった。

 

空港が小さいので、すぐに入国手続きは終わり、荷物も出てきて有り難い。まずはスマホのシムカードを買う。これが買えなければ滞在に大いに支障がでる所だが、ちゃんと中華電信があり、問題なく15日間800元の物が買えた(30日で1000元だから割高だが仕方がない)。後は台中市内までどうやって行くかだが、これが意外と問題だ。バスが少ないのだ。30分に一本程度、それも飛行機の着陸に合わせて設定されているようだ。

 

乗り場は分り易かったが、30分待ってやっとバスが来た。しかしこのバス、空港バスではなく、普通の路線バスだから、荷物が大きいと一般乗客の迷惑になるのは目に見えている。なぜこんなに不便なんだろうか。まあ、あまりにお客が居なければバスも採算は取れないだろうが、せめて空港-駅の専用バスは欲しい。

 

空港は海の近くにあり、市内へ向かう道は下り坂でその高低差が分かるほど。案の定途中でお客がどんどん増え、車内は満員状態になる。乗客の方が旅行客の大きい荷物には慣れている感じだ。三越やそごうも通過して、何とも窮屈な環境で約1時間かけて、台中駅に着く。バス代は安いが何とかすべきだろう、この状況は。

 

それから埔里行きのバスを待つ。空港には午後2時には着いていたのに、結局埔里に着いたのは午後5時過ぎていた。これでは桃園空港から来てもあまり変わらない。しかも空港で購入したスマホシムが起動せず、大家の葉さんにもメッセージが入れられない。仕方なく電話して、連絡を取った。埔里に着くと目の前に中華電信のショップがあるので、そこへ飛び込む。

 

どうやら、きちんと設定を変更せずに単にシムを差し込んだだけだったらしい。やはり台中空港は日本のスマホに慣れていなかった。しかも埔里のこのショップで治してもらったのは良いが、のちに東京に行くと、今度は日本のシムが起動しなくなってしまった。もう一度日本の設定をやり直す羽目になる。非常に面倒なので何とかして欲しい。

 

取り敢えず、荷物を引き摺って宿へ向かう。葉さんの奥さんから鍵を受け取り、懐かしの部屋に入る。そしてすぐに外へ出て、池上弁当を頬張る。何しろLCCでは食事は出ない。朝8時に食べてからずっと何も食べていなかったので、この弁当がこのほか、美味く感じられた。おまけに付いてくるヤクルトもうまい!その日は何だかえらく疲れたので、すぐに寝込んでしまう。

 

3月17日(金)
黄先生のサロンへ

それから2日ほど、部屋を掃除したり洗濯したり。そして原稿を書くため、資料を整理していた。交流協会の雑誌に台湾茶の歴史を連載する話が決まり、その確認作業に追われていた。食事も朝昼兼用は下の食堂で食べるほど。まあ、ここのおこわご飯は美味いので、何度でも食べられるが。そして何より、『ああ、帰って来たね』とおばさんに言ってもらえるのは嬉しい。

 

今日はWさんから電話があり、画家の黄先生のサロンへ行かないかと誘われた。1月にも一度お邪魔しているので、気晴らしも兼ねて、Wさんのバイクの後ろに乗り、伺うことにした。Wさんのお客さん(毎年1か月埔里に滞在)がサロンへ行くので、そのついでだった。このサロンは毎週金曜日の午前、在埔里の日本人も集まってくる。

 

黄先生は相変わらず80歳とは思えないほどお元気。私が先般、埔里の東邦紅茶の工場を訪ねたことを話し、お土産に紅茶を渡すと『ああ、あそこの長女は私と小学校の同級生だよ、今はどうしているのかな?』というではないか。確か郭少三氏には娘が3人いたと読んだ記憶があり、うち2人はアメリカに嫁に行ったようだが、この長女がそうなのだろうか。やはり埔里では東邦紅茶はとても有名な地元企業であったことも合わせて教わる。

 

帰りは一人でとぼとぼ。ちょうど腹が減ってきたので、その辺の店に飛び込む。焼きそばがあるというので頼んでみたが、これは焼きそばだろうか。柔らかく茹でたそばに、そぼろをのっけて、更に目玉焼きも足されている。台湾には中国大陸から様々な物が持ち込まれているが、焼きそばは来なかったのだろうか。そう思っていると、急に日本のソース焼きそばが食べたくなる。あれはやはり日本料理だろう。

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