ある日の埔里日記2017(6)尾牙とベトナム人

尾牙会に参加して

 

魚池から戻ると、葉さんよりメッセージが入る。『もうすぐベトナム人が迎えに行くから』と。実は私が借りた部屋のお向かいにはベトナム人の夫婦が住んでいた。その二人が『さあ行こう』と言って、一緒に下に降りる。そして旦那がバイクを運転し、私は後ろに乗る。今日は一体何があるんだろうか。相変わらず何も知らされない。

 

バイクはすぐに近くのレストランに着いた。そこは初めて行くところで、相当広い。こんなところがあったのかと感心する。だが葉さん達は居ないので、どうしてよいか分からない。しばらくすると三々五々人が集まり出した。どうやら我々のグループだけで5テーブルを予約している。ようやく今晩は忘年会、台湾でいう尾牙だと分かる。

 

葉さんが奥さんとやってきたので、私も席に着くことにして、空いているところに座ろうとしたら、『そこはダメだよ』と言われてしまう。なぜかと見てみるとそこには『イスラム教徒』と書かれているではないか。今晩はイスラム教徒も参加するのかと驚く。すぐに彼らはやって来た。女性がスカーフを頭に巻いている。インドネシア人だった。

 

インドネシアのテーブルが1つ、そしてあと3つはベトナム人のためにあった。隣に座ったおじさんが『台湾人は殆どいないんだよ、皆外国人さ』と笑いながら言うので、一応私も外国人だと言い返すと笑いが起こった。結局、ベトナム人は葉さんの親族と取引先、10人にも満たない。

 

実は葉さんの奥さんもベトナム人だし、そのおじさんの奥さんもベトナム人。そこから生まれた子たちはハーフだ。実質的なマジョリティーはベトナム人なのだ。おじさんが言う。『今や台湾の茶業、いや農業そのものがベトナム人抜きでは考えられないのだ』と。確かにこの50人の宴会でも30人以上がベトナム人なのだから、この埔里には一体どれだけの人がいるのだろうか。一説に台湾全土には数十万人のベトナム人がいるというが、これの光景を見るとあながち間違いとも言いにくい。

 

私のお向かいさん、奥さんは元々台湾人と結婚するために台湾に来たらしい。その後離婚して現在の旦那と再婚。彼女のように合法的に居住権を得ている人もいるし、短期労働のビザで入ってきて、そのまま不法滞在している人もいるらしい。いずれにしても、この田舎では、不法だとしても目をつぶっているようだ。そうしなければ、自らの産業が成り立たないという現実がある。

 

初めは大人しく食事をしていたベトナム、インドネシア軍団だが、今晩は酒も入っており、途中からご機嫌で立ち上がり、乾杯などを始める。ちゃんと老板のところへ来て、日頃の感謝も述べるし、何だか誰が台湾人だかわからないぐらい、台湾に馴染んでいる。勿論台湾のおじさんたちも負けじと酒を飲むが、何しろ向こうは若い上に人数が多い。とても敵わない。

 

この尾牙、台湾の大企業ではラッキードローなどが非常に派手で、現金が飛び交うこともあるほど。年に一度のお祭りなのだ。この場ではラッキードローはなかったが、それでもたらふく食べて、酒も飲んで皆ご機嫌だった。遠く故郷を離れて何年にもなる人もいる。ベトナムではテトと言って旧正月も同じようにあるのだが、帰国も出来ずにいる人もいる。そんな彼らのちょうどよい憂さ晴らしになっている。

 

私は途中から葉さんのおじさんと話し始める。彼も最近茶作りを始めたらしい。以前は日本企業の下請けでトンネル工事などを請負、儲けていたという。おじさんは、『山の中の生活はいいぞ、今度遊びに来てみれば』と誘ってくれる。このおじさんの奥さんもベトナム人だという。『ベトナム人は茶摘みですごく稼いでいる。1日に1万元近く稼ぐ人も出ている』と驚くようなことを言う。月に1000米ドル単位の仕送りをしている人もおり、故郷には家も建っているらしい。今度はベトナム人労働者の実態をぜひ見てみようと思う。

 

三々五々お開きとなり、酒を飲まない私は真っ先にレストランを出て歩いて帰る。場所さえ分かっていれば歩いてもすぐの距離だった。ちょうどその時間、あの音楽が流れてきた。台湾ではゴミ捨ては、収集車の登場に合わせて、捨てる人々が道路脇に出て待機、到着と同時に一斉にごみを投げ入れるという、まるで町内の運動会のような展開になる。何とも面白い。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です