ある日の埔里日記2017(5)魚池の茶農家へ

116日(月)
魚池の茶畑

 

実は前日紫南宮から戻ると、連絡があった。FB上で知り合っていた魚池のお茶農家さんと会おうということになったのだが、何と彼はすぐさま車を飛ばして、埔里まで来てくれた。距離的にはさほど離れていないとはいえ、初めて会う人間を即座に迎えに来てくれる、これは日本ではあり得ないだろう。こちらも慌てたが、お言葉に甘えてお邪魔した。

 

王さんの店は、魚池の街に入る所にあった。奥さんもにこやかに迎えてくれた。もう夜なので茶畑見学は次回に持ち越す。王さんはやはり数年前に帰郷して紅茶作りを始めたという。それまでは淡水の酒工場に勤めたり、水産関係の仕事もしていたらしい。日月潭紅茶がブームの兆しを見せると、迷わず戻ってきたという。

 

我が家には非常に古い茶樹がある、という。山茶、日本時代より前からあったというが、どうだろうか。その葉で作られた紅茶を味わう。日本人の茶商もここに直接買いに来るとか。そして茶作りを始める前から趣味で飲んでいたという陳年のプーアル茶もご馳走になる。こんなところでプーアルに遭遇するとは、面白い。

 

更には鹿谷式烏龍茶、これも30年ぐらい前の物だという。30年前と言えば、鹿谷、凍頂茶の全盛期。その頃作られた伝統的な烏龍茶なら価値がある。私は紅茶ではなく、この焙煎が効いた烏龍茶ばかり飲んでしまい、ちょっと失礼なことをしてしまった。夜遅くなり、車で送ってもらう。こんな茶旅も、埔里に定住しているからこそできる技だ。

 

翌日はまた別の茶農家さんを訪ねることになっていた。午後一でバスに乗り魚池に向かう。この日月潭行のバスは良く乗るので、大体のことはわかる。魚池の街を通り過ぎて、老茶廠のバス停で降りる。老茶廠は1950年代にでき、紅茶を作っていたが、現在は観光地となっている。

 

そこへ李さんが迎えに来てくれた。彼ともFB上での知り合いだ。茶廠の裏を5分位車で行くと、李さんの家がある。結構古い伝統的な建物だ。李家堡と書かれた板が掛かっており、この一帯は昔から李一族の拠点だったことを示している。今から200年ぐらい前に大陸から渡ってきて、100年以上前にここに定住した。周囲は殆どが親戚らしい。

 

聞けば、ここははなれであり、本宅にはお父さんのお客さんが来ているという。そこで紅茶を頂いていると、若者が入って来た。彰化の保険のセールスマンだったが、仕事ではなく、李さんのお茶のファンで、近くまで来たので寄ったという。お父さんと李さんは有機農法を早めに取り入れ、この地区のリーダー的な存在らしい。李さんは以前四川料理のシェフだったというから、華麗なる転身か。

 

茶畑を見せてもらいに行く。この近くには檳榔の木が沢山植わっているが、日本時代に植えられたアッサム種の茶樹も所々に残っている。こういう茶樹も使えるものは摘んでいるようだが、その先のなだらかな斜面にはキチンと管理された茶園が広がっていた。海抜700m2007年に台茶18号、紅玉を植えたとある。自然農法という文字も見える。

 

それから李さんのお兄さんの家へ行く。こちらも茶農家で、家の横の斜面に茶樹が植わっている。この茶樹は山茶で、四季それぞれに葉の色が変化するというから驚きだ。ただいまは冬でそれを見ることはできない。非常に貴重な茶葉を使って紅茶を作っているという。ここでも快く歓迎され、お茶を頂く。今度は四季それぞれにここに来て、葉っぱの変化を眺めてみたい。夕暮れ迫る中、李さんに送ってもらい、埔里に戻る。

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