ある日の埔里日記2017(1)沈香茶作りを見ながら思う

《ある日の埔里日記2017》  

 

拠点を台湾に移したいな、そんな希望を持っていた。何度か来る度に、どこか良い場所はないかと探していた。昨年5月、数年ぶりに埔里に来た。日月潭にも、梨山方面にも近い、気候も良い。11月にまた埔里を訪ねると、お茶屋さんが『うちの上、1部屋空いているよ』というではないか。まずは試しに1か月暮らしてみるか。

 

110日(火)
いざ埔里へ

今日は埔里に向けて旅立つ日だった。エバ航空はこの日の為に?格安料金を私の前に提示した。いや、台湾通の人から、1か月以上前に予約すると23000円で往復できるよ、と言われ、見てみると本当に、22,800円で成田⇔桃園の往復が買えた。エバには乗りたいと思っていたが、これまで高くて乗れなかった。やはりLCCの攻勢の影響は大きいのだろうか。

 

エバの機内は快適だった。エアチャイナとは大違いだが、料金的にはいい勝負。機内食も結構充実。映画『君の名は』を初めてみたが、あまりよくよさが理解できない。歳のせいだろうか、感性が鈍っている?成田を午後出て、桃園には午後5時に到着。前回も11月に桃園から、豊原まで行った経験があるので、今回埔里まで行くのも問題ないと思っていた。

 

まず空港で、携帯のシムカードを購入した。30日使い放題で1000元というのがある。タイの空港でも使い放題と言われながら、使っているとその内にスピードが遅くなる、という仕掛けがあったので聞いてみたが、台湾は絶対そんなことはないという。結局まるまる1か月使ってみたが、本当に使い放題で重宝した。毎回電話番号が変わるという欠点はあるが、今後もこれを買おう。

 

両替は台湾銀行を覗いたがレートが悪いので、持ち合わせの台湾元で台中までのバスチケットを買った。バスはすぐに出発するというので走って、乗り場へ急いだ。ここまで実にスムーズ。僅か40分でバスは空港を離れた。初めは順調だったが、台中に近づくと夕方の渋滞に巻き込まれる。そしてこのバスは台中市内を通過するため、速度が遅く、終点まで乗っていたのは私だけだった。大きな荷物を抱えており、身動きは取れない。

 

午後8時前にようやく干城駅(台中駅から歩いて10分)に着く。そこから埔里行のバスを探すと、3つのバス会社が運航しており、一番早いのは15分後だった。常に30分に一本はあるので便利だ。埔里までは国道6号線を使う。そして1時間後、埔里のバスターミナルに着く。そこから大きな荷物を引いて、人影もまばらな、夜の埔里を歩いて行く。これからお世話になる家主は、ちゃんと待っていてくれ、鍵を受け取り、部屋に入った。部屋は片づけられ、きれいになっていた。シーツや掛け布団、枕も貸してくれていた。有り難い。

 

それにしても1月の埔里の夜は結構寒い。今回は5年前の香港を思い出して?寝袋持参でやってきたが、やはり初日から、掛け布団の上に寝袋も掛けて寝る。この部屋にはクーラーがないのだが、夏も本当に涼しいのだろうか。何となくワクワクしながら、疲れた体を横たえると、すぐに眠りに就く。これからこの部屋ではお茶を飲まないという実験もする予定だ。今日は茶を飲んでいないので、よく眠れた。

 

112日(木)
沈香茶を作る

 

朝起きるとちょっと腹が減る。宿泊先の下にはうまい飯を出す店があるのだが、行ってみると隣にもう一軒、細々とおばさんがやっている店があったので、そちらで大腸麺線を頼んでみる。内臓系が大好きな私、特に麺線には目がない。かつおだしが効いている。この店、非常に簡単な作りで、家の前でやっている感じ。昼には終了してしまう。

 

昨日、劇的に再会した?許さんの茶工場へ行くことになった。許さんとは昨年11月の台北の博覧会で彼がブースを出していて、偶然出会った。ちょうど埔里滞在が決まりかけていた時で、彼が埔里のお茶屋さんと知って驚いた。早々店の住所を確認すると、何と宿泊先から200mぐらいしか離れていない。これも茶のご縁だ。

 

でも今は一月、茶作りは行われていない。『沈香茶を作るんだ』と彼は言う。それは一体何だろうか。よくわからないので、取り敢えず同行することにした。朝8時に彼の店から車に乗る。真っすぐ霧社に登る道を行く。上る手前ぐらいの道路沿いに、比較的大きな、きれいな工場、そこが彼の工場だった。

 

彼は茶作りを始めて15年ぐらいらしい。それまでは全く経験がなかった、そして親も茶作りとは無縁だった。最初の2-3年は茶作りの研修を受け、その後独立。収入に目途が立つと銀行から借金をして、この工場を建てたのだという。どうして茶作りを始めたのかと聞くといとも簡単に『他にいい仕事がなかったからだよ』という。

 

それはある意味で、田舎町の現実かもしれない。だから『もし茶業で食っていけなくなりそうになったらどうする?』というちょっと意地悪な質問にも、あっけらかんと『他の仕事を探すよ。現に今も探しているし』という。確かに収入として成り立たないなら、食べていけないので、仕方がない。彼の店には、何かの石で作った仏像などが置いてあったが、『あれも収入源になるかどうか試しているんだよ』と屈託がない。

 

工場を開けると、2階では沈香の葉が広げられていた。室内萎凋だ。それが終わると、1階にある機械で揺する。揺青だ。茶師も来て、本格的に茶作りの要領で作っていく。しか原料の沈香の葉はどこから来るのだろうか。彼によれば、台中郊外に植えている人がおり、そこから買うらしい。健康飲料として、結構いい値段で売っているという。将来は自分で沈香の木を植えてみるのもよいかというほどだ。

 

 

ネットで検索すると、確かに沈香茶は高値で取引されている。インドネシアやベトナム、タイなどからの輸入品を扱っているところはあったが、台湾産はなかった。コストが高いのか効能が薄いのか。実際に沈香茶を飲んでみると、何とも強烈な味がした。1日に1-2杯が限界で、それ以上飲むと気分が悪くなるらしい。何となく元気になりそうだが、果たしてどうなんだろうか。

 

車で1度、店に戻る。昼ご飯は店で食べるらしい。私も奥さんが買ってきた弁当をご馳走になる。この家では殆どが外食だという。忙しいので作っている暇がないとか。台湾ではそういう生き方もありかなと思う。帰りがけにもらった高山リンゴ、凄く甘い蜜の味がした。

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