ある日の埔里日記2017(2)中台禅寺と埔里大仏

1月12日
中台禅寺と大仏

工場に戻らず、一休みしようかと思っていると、埔里でゲストハウスを経営する日本人Wさんから電話がある。バイクで迎えに来てくれ、まずは彼の行きつけのカフェへ。何となくオシャレなところで、昼下がりでも満員の客を集めている。Wさんは多い時は12回、ほぼ毎日ここに来てコーヒーを飲んでいるらしい。行き付けのカフェがあるのはいいものだ。Wi-Fiも完備しているし、地元の人たちとの交流もできる。私も5月、11月と来ているので『戻って来たのか』と歓迎された。

 

 

それからバイクで郊外へ出た。埔里の郊外にはなぜか大きな寺が多い。その理由は未だによくわかっていないが、その内の1つ、中台禅寺を目指す。このお寺、Wさんが以前日本語教師を務めていた関係で彼は詳しい。郊外の畑が広がる道から、急な坂を上ると、そこにはお寺というより、何らかの施設を思わせるビルがあった。観光バスが停まる広い駐車場もある。今日人は少ないが、埔里の観光名所となっている。

 

1994年に惟覚和尚によって創建されたこのお寺。臨済宗系。全台湾に80以上の精舎と呼ばれる支部を持ち、信者も非常に多いようだ。埔里の街のど真ん中にも非常に目立つ高い建物を持っており、中台禅寺と言えば誰でも知っている。惟覚和尚は四川省の出身で、蒋介石の国民党と一緒に台湾に渡って来たいわゆる外省人。1963年に剃髪し、その後台北県に寺を創建するも、信者の増加で埔里に移ったとある。和尚は昨年亡くなったようだ。

 

この総院の規模はすこぶる大きくて、見る者は圧倒される。安置されている大仏も立派だ。千年前に大陸で作られた仏像なども安置されているらしい。どうやって台湾に運び込まれたのだろうか。中台禅寺という名前からして、中国と台湾の結びつきが窺われるが、どのようになっているのだろうか。和尚はどのようにして台湾の信者を集めて行ったのだろう。中国からの何らかの支援はあるのだろうか。疑問だらけである。

 

しかし建物自体は、中華式というより、中西融合といった雰囲気があり独特。万仏殿はビルの上にパゴダが乗っているような感じがユニークだ。敷地内には世界各地から集められた珍しい植物が植えられているという。益々この寺は謎めいている。更には最近近所に建てられた博物館へ行ってみると、まるで故宮でもイメージしたかのような四角い建物がデンと構える。もうこうなると、大陸を台湾に持ってきた印象が強く、寺という本来の意味合いは失われている。一体誰のために、そして何のためにこの寺はあるのだろうか。近くには巨大な学校まであり、多くの生徒が学んでいるらしい。

 

バイクにまたがり、夕暮れが迫る田舎道を行く。Wさんがもう一つ見どころがあるというので連れて行ってもらう。そこは正徳埔里大仏、実に立派な大仏が、山の斜面に鎮座していた。彰化に生まれた常律法師が、1986年に開いたとある。金色の大仏はどれくらいの大きさなのだろうか。先日行った彰化の大仏よりは小さいような気がするが、常律法師は故郷の大仏を思って、これを作ったのだろうか。

 

ここから埔里の街が一望できる。夕日がきれいに落ちていく。ここには大仏しかないが、寺はどこにあるのだろうか。むしろ大仏しかないこと、そして誰もいないことが、心を落ち着ける。しばらく、何もせずにただただ風景を眺め、聞くともなく、音に聞き入る。ここにはこの大仏の由来も、この宗派についても、殆ど何も書かれていない。

 

それにしてもなぜ埔里には、このような巨大な寺や大仏があるのだろうか。ここは聖地なのだろうか。それもその昔からあるのではなく、ここ数十年内に建てられているのは不思議でならない。勿論土地も余っており、環境も抜群に良いのは分るが、99年の地震もあり、決して安全とは言い切れない。台湾の宗教政策はどうなっているのか、これまで考えたこともない話題が頭を過る。今後調べられるのなら、調べてみたい。

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