《バンコックお茶散歩2008》(1)

2008年1月12-14日

広州での24時間を過ごし、バンコックへ。しかしこの展開は当初予想もしていなかった。とにかく暖かい所へ、という切なる願い。しかし1月の広州には悪夢のように寒い日が数日あることを思い出す。帰りの北京行きを探しているとBeijingの直ぐ上にBangkokの文字が。これは行かねば、かくしてバンコック行きと相成る。何と短絡的、しかし魅力的。

2.バンコック (1)バーンタオ民宿

広州からのフライトは原因不明で1時間出発が遅れる。フライト時間は3時間弱。予定時刻からも丁度1時間遅れで到着。今回は友人バーンタオが迎えに来てくれているので、焦ってイミグレへ。何と空いており、10分後には外へ出た。

しかし居ない??電話するとこちらが出口を間違えていた。慌てるものではない。おまけに両替の準備も出来ておらず、バックの底をひっくり返す始末。とても旅慣れている人間のすることではない。

タクシー乗り場が前回と異なり、到着階に移動している。これは便利。バーンタオによれば新空港ではタクシー運転手のストなどもあり、色々大変らしい。確かに空港が動けば利権も動くものだろう。

今回のバンコック行きの最大の目的はバーンタオの新居見学。スクンビットに一戸建てを借りると言う大胆不敵な彼の家に泊めてもらうことにした。スクンビットからソイに入った瞬間、所謂既視感がある。何だろうか??

今月の2日に国王のお姉さま、ガラヤニ王女が亡くなったが、そのお住まいもこのソイにあり、花が飾られている。非常に静かな通りである。

その奥の方にバーンタオハウスはあった。車が1台駐車できるスペース、3階建ての瀟洒な佇まい。中は引っ越して直ぐと言うことでダンボールなど見られるが、なかなかシンプルでよい。1階はリビング、ダイニング、厨房、事務室、2階と3階は各3室ずつ。その上に屋上があり、洗濯物が干せる。 私は2階のバストイレ付に入れてもらう。かなり広い部屋にベットがドーンとある。愛猫のシントーンが虎視眈々と侵入を画策。階段もちょっとお洒落。

寛ぐ暇も無く、夕食へ。お知り合いの駐在員Fさんを待たせているのである。仁八という蕎麦屋でそばを食う。北京ではこれだけ旨いそばは食べられない。やはりバンコックは日本食のレベルが高い。

バーンタオハウスに戻り、何とリビングでお茶を飲みだす。広州の茶芸楽園でもらった茶器を使い、仕入れた本山茶を飲んだ。バーンタオは初めて中国茶を入れている姿を見たのか??興味津々。一口飲むと『香りが良い』などと上機嫌。今後のハウスでのもてなしに加えるべきと提言。

悠々と茶を飲んでいるとバーンタオの携帯が鳴る。誰かと思いきや、最近東京でヨーガスタジオを開設したH女史ではないか??どうやらお母様とバンコック旅行に来ていたらしい。私が電話に出ると驚いた様子で『ご縁がありますね』となる。そうとしか言いようがない。彼女は今晩の夜行でバンコックを離れるとのことで再会はならなかったが、ニアミスとでも呼ぼう。

1月13日(日) (2)再会2

昨夜はバーンタオと話し込んで遅くなったが、良く眠れた。やはり心地よい疲れが必要だろう。7時半に起きると早速散歩に。何しろ外から鳥の鳴き声がうるさいほど聞こえる。まるでヤンゴンの朝を思い起こさせる。外に出ると既に太陽が昇り、そこそこ暑い。北京のあのうす曇りの暗い朝とは大違いだ。やはり南は良い。ソイ47は大邸宅が多い行き止まりの道。緑も豊かで気持ちが良い。30分ほど歩き回り、戻る。

今日はまた久々の再会がある。それもまた恐ろしいほどの偶然から始まった。年末あるホテルからカレンダーが届いた。そのホテルは北京には無く不思議に思っていると、このカレンダーをくれたのは、事務所の斜め向かいの会社にいたLさんだという。彼はこの会社を辞め、新しく北京に出来るそのホテルに転職していたのだ。しかしトイレで偶に会い、笑みを交わすだけだった彼がなぜ??セールス??そこに本人から電話が。『実は私7年前は○○ホテルに勤めておりまして・・・』、あー、思い出した!!そうだ、彼、Lさんは7年前私が北京で開いた大学の同窓会のクリスマスパーティーをホテル側で仕切った人だった。道理で見たことがある。

彼の方も『トイレで会った時は思い出せなかったが、ホテル業界に復帰したら思い出した』と言う。そんなものかもしれない。しかしご縁がある。このホテル、香港・バンコックの有名ホテルで私は香港で売っていたパウンドケーキの大ファン。北京でも取り入れて欲しい。ところで彼と出会った7年前、なぜそんな高級ホテルでパーティーを開いたのか??それは21年前に上海に留学した際、同時期に留学していた女性がセールスをしていたから。えー、あのOさんはどうしたんだ??彼女は当時パーティーのアレンジはしてくれたが、その後産休となり、後を託されたのがLさん。この7年Oさんとは連絡していない。

Lさんに聞いてみると『タイのチェンマイにいると思います』との答えが??え、何で彼女がチェンマイ。Lさんからアドレスを聞き、早々メールすると『バンコックに来るなら会いましょう。尚私は1月13日に北京に引っ越しますが。』とある。はあー、何じゃこれは。

驚いたことにOさんはバンコックでチェンマイの不動産を販売する会社にいたが、バンコックの生活に不安を感じ(確かにタイにはクーデターがあったり、政治経済が混乱していた)、オリンピックで景気の良い北京への復帰を図っていた。そして元のホテル関連業務で職を得て、何と私がバンコックにいる13日に北京へ引越しするところだったのだ。何という偶然、しかもそんな忙しい時にも『午前中会いましょう、飛行機は午後ですから』と言ってくれる。うーん、これはすごい。

BTSの駅で7年ぶりの再会を果たしたが、お互いあまり変わっていない。特に彼女にとって私は『昔の留学時代と何にも変わりませんね。不思議なぐらいです。』と言うことになる。まあ、未だにバックを背負ってフラフラしているわけだから、21年前中国を旅行していた時と特に変化は無い訳だ。貫禄が付かないと言うか??

(3)ヤワラー1

BTSに乗り、サイアムからはタクシーでヤワラーへ。ヤワラーとは所謂チャイナタウンのメインストリート。Oさんはバンコック在住1年。タイ語を何とか駆使して目的地へ。私にとっても過去何度も来ているこの道。懐かしい。中国城というところで降りる。少し歩くと汗が出る。さすがバンコックは暑い。やがて右の脇道にお茶屋さんが見えた。あれ、こんな所にあったかな??前回まで何度か探したお茶屋が急に見付かるとは??しかし今日は日曜日、戸は閉まっていた。

そしていよいよOさんが調べて置いてくれたバンコック、チャイナタウンの不思議なお茶の世界へ。そこは何とデパートの2階。デパートと言っても1階は小さなブティックが大きな建物の中に並んでいる感じ。エスカレーターで2階に上がるとそこには中国雑貨が売られている。

そしてその向こうには何やらカウンターがあり、上に茶葉が壺に入って並べられている。おじいさんが一人のんびりお茶を飲んでいる。その向こうにもカウンターが。そこでは横にテーブルが置かれ、4人のおじいさんが茶を飲んでいる。まさに私が望んでいたお茶を飲む風景ではあるが、何だか違和感が??

確かに涼しいこともあり、朝からお茶を飲んでいるように見える。但し中にはココナッツミルクやジュースを飲んでいる人もいる。一人で人待ちげにぼんやりしている人も。カウンターの一つに腰掛け、そこの女性に声を掛ける。彼女はチェンマイから来たということだが北京語が出来た。

横のじいさんが何やら話し掛けてきたが、分からない。潮州語らしい。広東語は出来ないかと聞かれたことは分かったが、こちらの広東語も錆付いていて使い物にならない。仕方なくカウンターの彼女に通訳を頼む。どうやらお茶を飲みに来たのではないらしい??

チェンマイの彼女が我々に囁く。午後になれば大陸の女の子がやって来るから??何だそれは??既に下見をしていたOさんが『援助交際ですよ』と事も無げに言う。中国大陸から不法入国した女性は働くところがなく、チャイナタウンで言葉の通じる相手を探すらしい。暇なじいさんたちは喜んで相手になるのであろう。相互扶助??ではあるが、お茶を探訪している私には全く違う次元を見ているようで、不思議な気分になる。

いずれにしても元からタイに居る潮州系中国人の他に新参者の大陸中国人が多数存在することは興味深い。今後このテーマは要チェックであろう。バンコックには日本人も沢山居るが中国人も多い。しかし残念ながら両者のコンタクトは殆どないという。因みにカウンターで一番よいと言う鉄観音を飲んだ。200バーツしたが、味は薄かった。やはりここはお茶を飲むところではないらしい。

その後デパートを出て街へ。以前も迷い込んだ横道の市場に入り、お茶を眺める。どう見ても日本から来たとは思えない日本緑茶、メーサローン産と思われる青茶、などが並ぶ。Oさんは店のお姐さんに『この辺で美味しい中華レストランないの??』と聞き込んでいる。

香港や台湾を知るバンコック在住日本人は口を揃えて『バンコックの中華は不味い』と言う。大陸が長いOさんも例外ではない。今回Oさんはバンコック最後の日と言うことで気合を入れて??探している。知り合いにも電話を入れるが日曜日とあってなかなか捗らない。

結局お姐さんに教えられたヤワラーロードに面したホテル横の飲茶屋を訪ねる。かなり不安な気持ちで入り口を入るとそこは満席。何故か2人用の席が一つだけポツンと空いていた。これぞ天からの恵み。

これだけお客がおり、更にひっきりなしでお客が入っている様子から期待が持てた。頼んでみると味はどれもなかなかいける。値段はビール1本とチャーハンを入れて330バーツとちょっと高いのかも。それでもOさんいわく『バンコックでこれだけの味に出会ったことはない』。彼女とは途中で別れたが、又北京で直ぐに再会する事に。人の巡り合わせは分からない。

(4)インド哲学をバンコックで聞く

バーンタオハウスに戻る。時間はもう3時に近い。すっかり遊んでしまった。そして今度は修行の場が。我が同窓生でインド在住20年のA師夫妻がハウスに来てくれることになっている。思えばA師を紹介してくれたのもバーンタオ氏であった。感謝。

少し待っていると飄々としたA師がいつものように登場。奥さんとは初めて会ったが、初対面とは思えない親しさが感じられた。人徳だろうか。A師も夫人あってのA師であることを発見??

A師はもう直ぐインドに戻るそうだが、それまでも精力的にバンコックで活動していた。バーンタオ氏も含めて先日はバンコックの瞑想寺を訪ねたらしい。そこは派手派手のタイの寺とは全く違う静けさと落ち着きがあるらしい。タイも昔と違って緊張社会。これから逃れるために週末瞑想やヨーガがブームだとか。

将来息子が躓いた時、インドに送りたいと言うとA師は『インドはやはり厳しすぎる。タイ辺りでやさしく慣れていく必要がある。』という。やはりインドは何年住んでも緊張する厳しい世界だそうだ。タイではこの瞑想寺に入れることにしよう???実は3月にバンコックを再訪、この瞑想寺の一つを訪問したが、息子を入れることが出来ないことが判明?この話は後に譲る。

最近読んだ本の中に『3年間毎日一定のポーズで一時間立っているだけで強くなると言う拳法がある』とあったが、その真偽を質問するとA師は『十分にありえる。要するに自律神経を如何に鍛え、コントロールするかである。』という。熱湯が手に掛かりそうになったら誰でも無意識に手を引っ込める。この時にスピードはかなりの速さ。このような力をコントロールできれば確かに相当の力を発揮しそう。出来ればこの拳法の先生を探したいものだ。

『人間は一体どこを鍛えるべきなのか』との質問には『横隔膜である』との明快な答え。ようは呼吸の質を如何に高めるか、である。この考え方はヨーガでも太極拳でも座禅でも全て同じであろう。但しそれを意識している人は極めて少ない。因みにA師はその場で突然シャツを脱ぎ、見事な肉体を披露してくれた。横隔膜を自在に操る姿を見て、大いに納得。

それともう一つ『人間最後は生殖力と消化力』だそうだ。この力があれば長生きするらしい。うーんと唸らざるを得ない。やはり物事を極めた人は言うことが鮮明である。

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