タイ北部、中部を旅する2019(5)パーイの中国人村

7月13日(土)
中国人村へ

翌朝はゆっくりと起き上る。昨晩のバカ騒ぎで皆まだ寝静まっているようだった。あるいは早朝からトレッキングにでも出掛けただろうか。私はパーイでゆっくりするつもりだったが、予想外の展開に少し慌てた。そしてどこかへ出掛けようと考え、その行き先を探した。

 

郊外にいくつも観光地があるようだったが、ツアーに乗るか、レンタルバイクで行くような距離の物ばかりだった。その中で比較的近くに『中国人村』なるものがあることが分かった。恐らくはここも国民党残党の村だろう。レンタサイクルを探したがここにはないと言われてしまったので取り敢えず歩いて行って見ることにした。

 

Googleを使えば簡単に行けるはずなのだが、最近の方向音痴は凄まじい。簡単な道で違う方に歩いて行ってしまう。どう考えてもおかしいと気が付いて初めて地図を見返すと違っているのだ。約5㎞の道のりを1時間かけてゆっくり進んだ。途中は山間部ながら道が平坦で助かる。田舎の畑道、何とも懐かしい雰囲気が漂う。大きなお寺を通り過ぎると、何とか村にたどり着いた。

 

山地村、と書かれた門を潜る。急に漢字の看板が増える。その先には、まるで遺跡のような広い敷地に、テーマパークのような村が存在していた。なんだここは、という意外感。覗いてみると、一軒のお茶屋が目に入る。中から『お茶飲んでいってよ』と華語で声が掛かったので、これ幸いと入っていく。

 

ここはやはり国民党残党の村だったが、店主は国民党ではないという。『爺さんが雲南から移住してきたんだ。メーサローンの山向こうさ。あちこち歩き回る商人だったんだ。親父もその商売を継いだ』という。奥さんはここの村の出であるらしい。これは元々もお茶の商売ではないな、と感じる。ここで売っている茶はメイオ村とメーサローン近くから持ってきた茶だった。

 

それからこのテーマパークを歩いてみる。土曜日ということで、タイ人の家族連れなどが遊びに来て、写真などを撮っている。それにしても、中国人村か。中国風の大きな建物や門があるかと思えば、ちょっと古代の雰囲気を持つ池などが配されている。国民党残党とはかけ離れた世界がここでは展開されている。タイ人の中国に対するイメージって、こんな感じなのだろうか。

 

何となく腹が減ったが、どこでご飯を食べられるのだろうか。観光客目当ての食堂は避けた。少し離れた所に、村の食堂、といった雰囲気の店があったので、そこへ入る。メニューが漢字で壁に貼ってある。雲南米線と書かれていたので、迷わず注文すると、大きな鶏肉が骨付きでドーンと入っており、味も悪くなく、コスパは抜群だった。

 

先ほどの茶荘に戻ると、オーナーに『パーイの街に戻るバスはないか』と尋ねた。さすがに疲れたので、聞いたのだが、『定期バスはないが、ちょうどこれから配達があるから、乗せて行ってあげるよ』というではないか。しかも、『せっかくここまで来たのだから、雲来の景色も見て行きなよ』といい、まずはバイクで頂上まで連れて行ってくれた。入場料20バーツ、ここからは周囲が一望でき、いい眺めだった。観光バスがやってくる。歩いてはとても来られない道なので、ラッキーだった。

 

更に店に戻り、今度は車に乗せてもらい、近所にある彼の家に行った。立派な家だった。配達荷物を載せると、ついでに息子も乗せていく。街でアイスが買いたいらしい。有り難いことに5㎞の道を歩いて帰らなくて済んでしまった。これも一つのお茶のご縁、と言ってよいのだろうか。彼にはもっと話を聞くべきだったと後悔する。

 

午後は昨晩の睡眠不足と午前の歩き疲れのため、しっかりお休みして、また夕方から散歩に出た。小さなパーイの街を歩いてみると、川沿いにリゾートホテルがあったり、洒落たバーがあったりと、やはりただの田舎町ではなくなっており、白人が好きそうなアイテムを作って、タイ人も観光地として楽しめるように、店が広がっていることが分かる。

 

夕飯はどうしようかと迷っていたが、折角なのでパーイらしいものを食べようと思い、ハンバーガーを出す店に入る。そこのメニューには何と『鰐肉』があったので、それをチョイスした。一体どんな味だろうか興味津々だったが、ハンバーグになってしまえば、特に普通の肉と変わりはない。そういえば昔、中国深圳で、『タイ産ワニ』が売られているのを見たことを思い出した。

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