タイ北部、中部を旅する2019(4)喧噪のパーイへ

7月12日(金)
パーイへ

夜中にまたかなりの雨が降っていた。旅の途中で雨が降るのは何とも憂鬱なことだ。特に移動の際、車を持たない私は、常にそのリスクにさらされる。朝起きがあると雨が止んでいる。それだけでもう心が晴れる。朝食を食べたら、取り敢えず散歩に出ようという気になる。宿の朝食、昨日はビュッフェスタイルだったが、今日はメニューから選ぶ方式に変っている。お客が少ないとこうなるのだろうか。

 

この街は小さいので特に行くべきところはない。街の脇に標高400m程度のコーン・ムー山があるので、そこにでも登ってみようか。山に登る入り口にはお寺があり、若い坊さんたちが何やら集まっていた。そのわきの階段をひたすら上って行く。思ったよりずっと大変な行程だと気が付いたときはもう中腹まで来ており引き返せない。息がかなり上がった状態で山頂に着く。上からの眺めは、街の全景が見られなかなかよい。

 

山頂にはワット・プラ・タート・ドーイ・コーンムーという長い名前のお寺があった。メーホーンソン王国の最初の王によって19世紀後半建てられたという。雰囲気はビルマ様式だ。パゴダには曜日ごとの仏が収められており、生まれた曜日にお参りするのは、ミャンマーと同じだ。今日は何か行事でもあるのか、多くの信者が車で上がってきていた。しばらく休憩したのち、また階段をとことこと降りていく。

 

街を歩くといくつもの寺に出会う。この辺もタイというかミャンマーというか。メーホーンソンの父と書かれた、王国初代の像もあった。一旦宿に戻り、荷物を整えて、昼にチェックアウトした。荷物を預けて昼ご飯はチキンライスを食べた。あまり暑くはないので、街をふらふらしたがもう行くところもないので、足マッサージをして時間を潰した。片言の英語を話す女性は田舎から出稼ぎに来たらしい。

 

午後4時前に指定された郵便局脇でパーイ行バスを待つ。何の表示もないので、本当にここでよいのか心配になるが、通りかかったおじさんが、『パーイへ行くのか』と聞いてくれたので、安心する。それでも4時になってもバスは来ない。バスターミナルを出るのが遅れたか。10分ほど過ぎてからようやくロットゥが見えた。このバスも満員だったが、私の席はちゃんと空いていた。

 

山道を1時間ぐらい走っていくと一人が降りた。こんなところで、と思ってみると、何と瞑想センターがあるらしい。隣の隣に座っているおばさんが、何やら奇声を発したり、くしゃみを繰り返したりと忙しない。窓は開けないルールらしいが、それを破ったため、運転手が激怒する。それでもこの女性、自分勝手な行為をやめようとしない。

 

合計2時間半ほどで、パーイの街に着いた。ロットゥはターミナルに行くと思ったのだが、路上で我々全員を下ろした。宿は予約してあったので、後はGoogleを頼りに歩き出す。辿りつたい所は、ホテルとゲストハウスの中間と言った感じだが、プールもあり、部屋は思ったより立派だった。

 

既に暗くなってきたので、外へ出て、夕飯を探す。パーイというのは、チェンマイとメーホーンソンの中間にあり、昔はバス路線の中継点として、バックパッカーなどが宿泊した、とても良い田舎、というイメージだった。だが今回歩いてみると、すでにかなり発展してしまい、ある種の観光地になっていて、正直それほど面白い街とは思えない。夜市もかなりの規模になっており、今晩はそこで食べ物を調達して終了。

 

屋台を見ていると、小中学生の子供たちも一生懸命お手伝いをしていて好感が持てる。私がフライドチキンを買うと、少女がきれいな英語で『これは骨なしだよ』などと受け答えをしてくれる。外国人が多いせいか、ハンバーガーやサンドイッチ、ワッフルなどが少し単価を高くして沢山売られており、どうもタイの夜市とは少し雰囲気が違っている。中国人や韓国人の姿も結構見られたが、日本語に出会うことはなかった。

 

宿に帰ると夜のプールに入っている若者たちがいる。それが済むと、今度は夜市などで酔っ払った白人たちが戻って来て、夜中まで大声で話している。中国人は声が大きいとよく言われるが、白人さんも声は大きい。更にはそれが酔っ払っていればその音量は倍増する。しかも深夜まで延々と続く。眠りはかなり浅くなっていた。私も若い頃はそうだったろうかと反省しながら、耳をふさいだ。ここに静かな田舎町パーイはなかった。

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