埔里から茶旅する2016(9)良久 消えゆく茶畑

そしてその先には門があり、頑丈な鍵がかかっていた。それを取り外して中へ入る。両側に気持ちの良い茶畑が広がっていた。上がっていくと奥に茶工場が見えた。既に春茶の作業はすべて終了しており、誰もいない。電気も止めてしまっている。辛うじてトイレが使えるだけだった。ここが茶業関係者の間では『良久』と呼ばれている茶産地だった。これは地名ではなく、昔何かの工場があり、その名前だそうで、勿論地図にも載ってはいない。

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周囲20㎞には全く民家がなく、生活排水など汚染とは無縁な場所。今や台湾でも、このような自然環境は殆ど見られないという。工場で必要な水は特別設備で引いてきており、まさに大自然の中に、ポツンと存在する茶園となっていた。茶畑を歩いて見る。木に囲まれた斜面に茶樹が植えられている。30年ほど前に茶園が開拓され、植えられたものらしい。実にきれいな茶畑で、うっとりしてしまう。空気もすごく澄んでいる。虫の音が微かに聞こえるだけ。ずーっとここを歩いていたい、そんな気分にさせる滑らかな傾斜。うまく表現ができないが、この自然環境、これまでいくつもの茶畑を見てきたが、こんなところは珍しい。わざわざ来た甲斐があったというものだ。

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しかしよくも、こんな山の中に茶畑を開いたものだ。何んとも感心するしかない。ここでお茶を飲みたい、ここのお茶を飲んでみたい、と切実に思ったのだが、残念ながら電気がなく、湯を沸かすことができないし、既にひとかけらの茶葉もないということで断念した。次回はぜひ製茶シーズンにここにきて、ここの小屋に泊めてもらおう。そんなことを思っていると、葉さんが『外国人がここに入るのは2組目ですが、なぜ皆さんをここに連れてきたのか。それはこの茶園がその内無くなってしまうから、その素晴らしさを外国人にも見ておいてもらいたいと思ったからです』と衝撃的なことを言う。確かにこれだけ人が入っていない秘境を紹介すれば、行ってみたいという人が続出して、結果的に環境が徐々に悪化してしまうだろう。これまではそれを懸念して、関係者以外は案内しなかったらしい。

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茶園が無くなるとはどういうことか。『すでに政府林野庁の役人が調査に入っています』と。台湾では梨山の大烏嶺など、標高の高いところにある茶園が、土砂災害の危険があるなどの理由で、相次いで閉鎖されている。本当に茶樹を植えたことにより自然災害の危険があるのか、については、意見が分かれているが、土地が政府の物であれば、賃貸契約を打ち切れば、茶園主は手も足も出ない。一説によれば『高山茶があまりに高値で取引されていることへの同業者の嫉妬』が理由で、政府が動いている、と説明する人もいる。確かに台湾の高山茶の標高はどんどん高くなり、そしてその価格も高ければ高いほど高くなっていた。これと自然環境の破壊が全くリンクしていないとは言い切れない。

 

地域ごとに様々な地元の事情もあると思われ、事はそう簡単な話ではない。ただハッキリしているのは、茶園が閉鎖され、茶樹が伐採されていくという現実である。そもそも大烏嶺などは確かに土砂崩れがあり、道路が封鎖されるなど、交通への被害があるのも見てきた。しかしこの人家もない山の中、例え土砂崩れがあっても被害を受けるのは、茶業者だけのように見える。なぜここを閉鎖するのか、理由はさっぱりわからないと茶園管理者の葉さんも言う。

 

この茶園のオーナーは、非常に良識のある人で、ここで採れた茶を『梨山高山茶』と称して高値で売ることも可能なのだが、敢えて『良久茶』として、区別して販売している。消費者を騙すような真似はしたくないことと、良久の良さを世間に広めたいという思いから、こうしている。それもこれも茶園の存続があって生きるのだが、残念ながらいつ終焉を迎えるのか分らない。葉さんから『良久を日本の皆さんにも紹介して欲しい』と言われたので、敢えて今回ここに記している。今は風向きが変わるのを祈るばかりである。

 

また車に乗り、山道を引き返す。帰りは少し慣れたのと、朝早かった疲れから、寝入ってしまう。気が付くともう埔里の街に戻っていた。何だか夢を見ているような気分である。竜宮城から戻った浦島太郎とは言わないが、かなりの喪失感がある。美容室に戻ると、ちょうど昼時で、昼めし食おう、ということになる。美容室の隣の隣に美味しいおこわの店があるというので、そこで食べる。おこわ飯、美味し。肉団子スープ、絶品!サクサク食べて、嬉しくなってしまった。

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